自衛隊海外派遣の歩み (13)

先週は自衛隊がいつ、どこで、どんな支援を行なってきたのか、その海外派遣の具体的な記録のうち、PKO活動についてご紹介しました。PKO活動にはまだ続きがあります。
以下は、国際平和協力業務の実績に含まれる「人道的な国際救援活動」の実績です。
●ルワンダ難民救援活動 難民救援隊(23名の先遣隊を含む) 1994年9月~12月 283名/空輸隊1994年9月~12月 118名
●東ティモール避難民救援活動 空輸隊 1999年11月~2000年2月 113名
※UNHCR(国連避難民高等弁務官事務所)からの依頼に基づき、インドネシアのスラバヤにC-130Hを3機派遣。航空自衛隊が初めて単独で派遣された活動となりました。
●アフガン難民救援活動 空輸隊 2001年10月 138名
●イラク難民救援活動 空輸隊(6名の運航支援要員を含む) 2003年3月~4月 56名
●イラク被災民救援活動 空輸隊(6名の運航支援要員を含む) 2003年7月~8月 104名
 続いて、各種特別措置法に基づく活動の実績です。
 特別措置法とは、現行の法制度では対応できない場合に、有効期限付きで制定される法律です。自衛隊が海外派遣される法的根拠が恒久法にない場合は、特措法の制定が必要となります。
 参議院議員の「ヒゲの隊長」こと佐藤正久氏は、自衛隊を海外派遣させる必要が生じた際に急いで制定する特措法では、部隊は十分な訓練を行なう時間が取れないことを指摘、昨年9月に成立した安全保障関連法のような恒久法の制定を長らく訴えてきました。自衛隊は日頃から訓練を重ねていますから、災害派遣のための訓練は行なっていなくても、日頃の訓練で培っている実力で救助活動を行なえます。特措法による海外派遣でも任務を完遂しますし、その働きぶりが現地で高い評価を受けていることは周知の事実です。
けれど「これは自衛隊派遣ということになるのでは」という声が上がってから特措法が制定され、実際に部隊が派遣されるまでの限られた期間での「最善を尽くした準備」と、現地でのさまざまな想定を踏まえた訓練を日頃から行ない万全の状態でおもむく海外派遣では、結果として隊員の身の安全に差が生じます。そういう意味でも「安全保障関連法が自衛官を危険にさらす法律」という批判は、100%間違っているとは思いませんが、違う側面から見れば自衛官を守る法律でもあると、個人的には考えます。
話がそれました。特措法の活動実績は以下のとおりです。
●旧テロ対策特措法に基づく協力支援活動 2001年12月~2007年11月
※インド洋でOEF(「不朽の自由」作戦)に参加している国への艦艇用燃料の補給を行ないました。燃料補給のたびに艦艇が港に戻らなくて済むよう、洋上のガソリンスタンドを務めたものです。補給する艦艇と40~50m距離を置き、時速20~25キロで並走しながら(船が洋上で止まると波や風の動きに左右されてコントロールできず、受給艦とぶつかってしまう恐れがあるのです)補給する作業を1日2~3隻に実施。補給は1隻につき約1時間半かかります。(あまり大きな声では言えませんが、給油用に伸ばしたロープにかごをぶら下げ、おやつの交換なども行なわれたとか。中には「ありがとう」のメッセージカードも入っていて、日本から返すかごにはカップ麺を入れるとめちゃくちゃ喜ばれたそうです)
●補給支援特措法に基づく補給支援活動 2008年1月~2010年1月
※旧テロ対策特別措置法に基づき、インド洋における海上阻止活動に参加する各国艦船に対して海上自衛隊による燃料・水の補給支援を実施しました。
●イラク人道復興支援特措法に基づく活動 2003年12月~2009年12月
※陸自はイラク南部のサマーワで、イラク人による自由で民主的な政権を早急に樹立するための人道復興支援活動を行ないました。医療、給水、公共施設の復旧・整備などのほか、安全確保支援活動としての医療、輸送、補給などの復興活動に従事。サマーワ母子病院における新生児死亡率が3分の1に低下するなど、現地の復興に貢献しました。海自は陸自車両等を積載した輸送艦「おおすみ」と護衛艦「むらさめ」がクウェートまで車両等を輸送、空自はC-130H輸送機により各種物資や人員などを合計821回、輸送物資重量計約673トン輸送しました。
次週はインド洋で給油活動を行なった派遣部隊の指揮官と隊員のコメントと、国際緊急援助法に基づく国際緊急救援活動の実績をご紹介します。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)2月25日配信)