自衛隊海外派遣の歩み (9)

ハリケーンはホンジュラスだけで死者6400人以上、行方不明者約1万1000人という惨事を引き起こしました。150万世帯が家を失い、穀物収穫の70%が壊滅しました。地球の裏側にあたるような日本にも支援を要請したのは、天災によって国そのものまで失いかねない危機だったからです。
 陸自の医療支援隊は藤川さん率いる空輸隊が往復して運んだ支援物資や医薬品を使いって診療施設を開設、防疫活動を行ないました。わずか開設2日目で、医療テントには約2000人の市民が訪れたといいます。
 藤川氏は言いました。
「この任務で印象深かったことは、普段の訓練どおりにやっていればできるのだということですね。隊員たちのも通常の訓練同様、自分の仕事をしっかりやってくれました。ミッションというと気負いがちになるのではと思いきや、そういうものが隊員たちにはまったくありませんでした。現場は非常事態でも、任務の面だけで見れば極めてノーマルな環境でした」
 国際緊急援助活動への参加は初めてでも、すでにPKOでカンボジアやモザンビークを経験していたので、ノウハウは蓄積されつつありました。とはいえ現在に比べればはるかに少ないノウハウではありますが、それでも隊員たちはさも当然のごとく、まかせておけという空気を醸し出していたそうです。
 藤川氏はホンジュラスの過酷な状況を目の当たりにして、こう感じたそうです。
「ホンジュラスの人たちはひどい被害に遭っているのにも関わらず、明るいのです。こちらはスペイン語がわからないから言葉は通じないのに、すごくほがらかで人懐こくて、目が合えば白い歯を見せてにっこり笑ってくれます。大変な状況なのにすごいなと思いましたね。また、JICAの方々が極めて積極的にサポートして下さっていたのが印象的でした。現地に根付いて技術協力や指導をしている皆さんは実に立派でした。困っている人を見たら手を差し伸べる互助精神、それを同じ日本人が外国で実践している姿を目の当たりにして、じんときましたね」
 カンボジアPKOの第1次カンボジア派遣大隊長、渡邊隆氏の「自衛隊、外交官、ODA、海外青年協力隊、文化使節団などこれらすべて含めて国際平和協力」という言葉と、どこか重なります。
 取材時はちょうどイラク・サマーワに復興業務支援隊が派遣されている時期でした。
「隊員たちはこのような任務に積極的に参加するべきだと思います。今回、みんな行きたいと手を挙げるものですから人選に苦労しました。普段の訓練通りにやっていればどこでも通用するよという話を経験者から直接聞くと、自分も力を試してみたいという意識が生まれるのかもしれません。実際、現地で若い隊員の一挙手一投足を見ていると、頼もしく思えます。隊員一人ひとりが背中に日の丸背負っているから、上が何も言わなくても行動が統制される。恐らく今回サマーワに派遣されている人たちも、基本的には同じような考えを持っているのではないかと思います」
 どんな国際緊急援助活動についても、空輸隊は常に主役の影に隠れた存在です。しかし、彼らの働きがなくては現地での医療・防疫活動は機能しません。現在では輸送機C-130Hとそれに関わる隊員たちにとって、国際緊急援助活動による国際貢献は日常の延長に過ぎない、ごく当たり前の任務になっています。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)1月28日配信)