自衛隊海外派遣の歩み (5)

第1次カンボジア派遣大隊長である渡邊氏が出発前に懸念していることのひとつに、隊員の健康管理がありました。
「現地の生活環境は劣悪、隊員は日本の豊かな生活に慣れてしまっている。そういう隊員600名を連れていって、本当にちゃんと6か月勤務できるのか心配でした」
実際、現地では隊員の健康状態には問題が生じることもあったようですが、「部隊そのものが揺らぐような事態はなかったのでその点はほっとした」とのことでした。
 また、現地の人々が自衛隊を受け入れてくれるか、それも不安だったそうです。
「基本的に道路工事というのは、地域の住民の方に迷惑をかけるわけでしょう。道路は封鎖しなくてはいけない、大型車両が通れば埃まみれになる、橋を架けようと思えば迂回路を作らなければいけない。地域の方々に不便を強いることになるので、工事する現場近くの村や部族の長のところにはかならず挨拶に行きました」
 カンボジアは雨季になると陸の孤島になってしまう地域が少なくありません。ある日、とある橋が落ちたままになっていて住民が不自由を強いられているというので、「ちょこちょこっと直しに行った」そうです。
「われわれが橋を作り始めてから完成するまで、地元の方が見ているんです、ずっと。それで橋ができあがったら、みんな渡り初めをするんです。非常に感謝されて、あれは嬉しかったですね。相手の喜びがダイレクトに伝わる、そこがPKOでいちばん達成感のあるところかもしれません」
 一方、飲料水と生活用水の確保には苦労しました。
 派遣部隊の飲み水や生活用水を確保するためには、井戸を掘る必要がありました。現地にも井戸はあったのですが10m程度の浅井戸で、雨季と乾季で水量が違うし、浸透水を吸い上げるだけなので質がよくありません。そのため岩盤を抜いた地下の深層水を求めたのですが、約80mもの深さまで掘ってもまだ深層水が出ないのです。
 しかも井戸を掘る技術というのは、もともと施設科にはありません。意外に思われるかもしれませんが、分野としては需品科が担当するものなのです。とはいえ、需品科ですら国内の訓練で水源を掘り当てる必要などないし、本来は「水を綺麗にする、飲めるようにする」というのが役目です。現地では業者から指導を受けながらなんとか掘ったそうですが、これも初の海外派遣ならではの混乱といえるかもしれません。
「タケオ温泉」と呼ばれたドラム缶の浴槽を作るほど風呂を求めた隊員たちにとって(しかもお湯は川の濁った水を沸かしたもの)、生活用水すら自由にならない日々はさぞきつかったことでしょう。
 ネット環境どころか携帯電話も普及していない時代、日本に残した家族とのやりとりは、通信衛星を使った電話が6台のみが頼りでした。しかし公務で常に何台かはふさがっているので、600名の隊員に対して3台程度しか割り当てられません。これはほとんど使えないに等しいレベルです。
「だから隊員には手紙を書きなさいと言ってました。手紙もいいですよ。お互いに出し合うと、ちょうど1週間に1回くらいやり取りできるいいペースなんです。そういえば女房に手紙を書いたのは、後にも先にもあのときだけですね」
 渡邊氏はそう言って笑っていました。現在、南スーダンやジブチで活動している隊員たちにとっては、「ケータイなし、メールなし、スカイプなし」は、もはや想像のつかない世界かもしれません。ただしその分、カンボジアPKO時代にはなかった苦悩やジレンマを背負っていることでしょう。
 カンボジアPKOの話は来年に続きます。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成27年(西暦2015年)12月24日配信)