神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生 (37)

特科群は戦闘職種なのでまだ勝手がわかった。検閲時、特科群長が考える戦法も理解できたし、検閲官に講評の指導報告の際、それを是としない西方総監に意見具申、反論するほどの素地もあった。しかし会計隊や音楽隊は、これまたさっぱりわからない。有事の際の会計隊に求められることはなにか、必死に考えた。
「そうか。1分でも早く見積もり会計処理して調達することだ。そのスピードを追求することが、会計隊の有事を想定した訓練だ」
これで訓練項目は作れるものの、今度は訓練検閲における補助官の確保にも苦労した。なにせみんな会計隊の業務を熟知していないので、火箱が頼んでも「会計はわかんないからイヤだよ」と抵抗されることもしばしばだった。

音楽隊についても、演奏のクオリティなど火箱には判断できない。音楽隊が方面総監部の指揮所の警備をしているところに部外の専門家を招き、野外における演奏の練度について評価してもらった。

火箱にとっても手探りのような後方支援職種の訓練だったが、その中で学び得たものは非常に大きかった。これまでの自分が、いかに自身の所属する第一線部隊のことしか考えていなかったか、まざまざと思い知らされた。

後支を見下していたわけではない。しかし歩兵第一主義の旧軍で言われていた「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち、電信柱に花が咲く」を冗談で言うようなところがあったのも事実だった。有事の際、火箱が第一線で生かしてもらえるのは後支が食事をはじめとしていろいろ補給してくれているからこそなのに、これまでその重要性を認識できていなかったのだ。むしろ「メシ遅いぞ」と思うことすらあった。

師団長ですら、後方支援は当たり前という感覚でいる人も珍しくなかった。というのも、師団は作戦基本部隊なので、敷かれた座布団の上で攻撃や防御といった戦闘を行なう。その座布団を敷き、人事兵站など作戦の基盤を付与するのは方面隊の役割だ。また、 方面総監部は後支部隊の作戦運用も行なう。火箱も西方に勤務することで、それらを改めて身をもって学び経験した。人事・兵站の破綻が作戦の限界を招く。方面隊に勤務し訓練を担当する立場になると、それが痛烈にわかった。
「俺は西方の訓練班長にすぎない。だが今、方面隊を動かしている」
そんな自負も生まれた。着任前は都落ちだと肩を落としていたのが嘘のように、訓練班長の業務にやりがいを感じるようになっていった。

そして西方勤務が2年目を迎えた1991年6月3日。長崎県の雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生した。

(つづく)