神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生 (36)

西方総監部防衛部には訓練班と防衛班などがあり、防衛班は年度の防衛・警備や災害派遣などを担当する。火箱が班長を務める訓練班は、西部方面隊の師団などへの演習場の割り当てや訓練経費の配分、演習日程調整など部隊訓練全般や、直轄部隊に対する訓練検閲などを行ない、精強な方面隊の育成の役割を担う。すべての方面総監直轄部隊の訓練検閲を企画、実行し、講評をまとめるのも訓練班長である火箱の役目だった。

演習ならお手のものと思いきや、思わぬ壁にぶつかった。これまで自身が参加してきた訓練検閲はすべて戦闘部隊のものだ。しかし方面隊の直轄部隊は特科群を除き、輸送隊や会計隊、音楽隊に航空隊など後方支援職種が中心で、火箱にとってはなじみのない部隊ばかりだった。日頃どんな訓練をしているのか見当もつかず、想定を作るどころではない。そこで各部隊がどんなことをしているのか、まずは学びに行くことから始めた。

輸送隊については「トラックをたくさん保有していて部隊の物資を運ぶ」程度の知識しか持っていなかった。
「輸送隊の隊本部は規模が小さく、隊長を補佐する体制が弱い。有事の際、方面総監は輸送隊をどのように運用するんだろう。輸送隊はそのための訓練をどう行なっているのか? それにその訓練をしていれば任務は達成できるのか?」
主要訓練項目はどうしたものかと考えながら訓練を見に行くと、勝手がわからないながらも「ちょっとそれはどうか」と思うところがあった。これが有事を意識した訓練だとしたら、明らかにゆるい。
有事は平時に増して車両が大事になる。運用する車両の数が増えた場合、輸送隊長はその増加分をどう配置するのか。また、駐屯地ではなく野外に拠点を作り、そこから展開して運用することになるはずだ。さらに、爆撃を避けるためにどのような対策を講じているのか、もし車両が故障したらどこで整備をするのか。疑問はさらに増えた。
輸送隊隊員の「整備場は駐屯地にありますから」 というのんびりした声を聞いたとき、 火箱は思わず「馬鹿野郎」 と怒った。
「野外で整備するためにはどうすればいいか、そこを考えないといけないだろう。有事だという頭で考えろ」

野外に天幕を張り光が一切漏れないようにして行なう野整備は、空自の整備員から驚かれることがある。確かに、小さなゴミひとつ落ちていないハンガーで戦闘機の整備をする彼らからすれば、 屋外の天幕の下、掘った溝に仰向けに横たわった姿勢で整備をするなど、想定にない整備だ。これは海自や空自が基地を拠点としているのに対し、陸自はあくまでも駐屯外に展開した先が作戦行動の拠点となるという、それぞれの特性の違いゆえだろう。
輸送隊は平時における訓練しかしていない。火箱は訓練を見てそう判断した。
「有事の際は間違いなく平時以上にニーズがある部隊だ。そのとき持てる力をフルに活用できる訓練項目を作ろう」と決めた。昨年度までと同じ訓練をすればいいという考えは、はなからなかった。