日本に足りないシステム&法整備(2)

2024年9月8日

冷戦中、防衛予算は、国会では「日本に対する目に見える脅威とはなんなのか?」と質問され、これに回答してもなかなか国民の支持を得ることが難しい問題でした。「日本人は水と安全はタダと思っている」と言われていましたから。
ところが1990年代後半、北朝鮮の不審船が能登半島沖に現れ、国民全員が拉致問題を知ることになり、テポドン(弾道ミサイル)が日本上空を越えて飛行したことで、「日本も安全ではないんだ」と初めて日本人は認識したのです。正に北朝鮮によって「日本の安全神話が崩壊」し、その危険性が「見える化」されたのです。その後防衛力整備上種々の予算がつくようになったのは事実です。
ただそれ以前にあっても中曽根総理は、米国とのロンヤス関係を背景としてソ連の脅威に対応するため防衛予算を大きく増額した総理大臣でした。特に海上自衛隊は現在世界第2位の海軍といってよい規模と能力を持っていますが、その立役者と言えるでしょう。

私が1981年に海上自衛官になった当時は、海自はミサイルを撃てる艦艇を5~6隻しか持っておらず、遠洋航海に行く際、恥ずかしい思いをしました。寄港した中南米で、現地の海軍士官に「ミサイルはどこにあるの?」と聞かれ、「ない」と答えたら「そんなわけないだろう」となかなか信じてもらえなかったことを思い出します。
それが80年代後半には「ゆき」クラスというシステム艦が、次に「きり」クラスが毎年2~3隻就役するようになりました。これにより極東正面は海自と第7艦隊でソ連を完全に封じ込めることができ、冷戦終結に一役買うことができたと思っています。
さらに海自はアメリカからイージス艦も購入しました。イージス艦は機密の塊ですから、アメリカはそれまでどの国にも売ったことがなく、米上下院でも「なぜ日本に売るのか」と議論になりました。それを懸命に説得してくれたのが米海軍でした。これをNavy to Navy relationshipといい、米陸軍や米空軍との関係性の違いになったのです。
ちなみにその購入価格も、開発費など上乗せされることなく、米海軍が購入している価格と同額でした。ミサイル防衛用にイージスシステムを改造した際も費用も同様でした。これは陸自、空自ではありえないことです。

自衛艦隊と第7艦隊はいずれも横須賀に所在し、かつ双方の司令部が近く、両司令官はしょっちゅう会う関係にあります。横須賀に第7艦隊を置いてくれたおかげで、海自は艦艇などの物理的な能力のみならず、施策や国際関係を見る視点など、ソフトウエアについても国際水準を身に付けることができるようになりました。
しかも第7艦隊司令官はかならず約米海軍で8人しかいない4つ星(大将)になる人で、そのうち半分は米海軍参謀長としてトップまで昇りつめています。そういった配置が戦後横須賀に配置されたということは、正に僥倖といっていいでしょう。

(つづく)