対馬の3自衛隊(7)

先週の記事で、海上自衛隊対馬防備隊ならびに上対馬、下対馬警備所のセキュリティがいかに強固なものか、おわかりいただけたかと思います。
取材側としても、はるばる対馬まで訪れているのですから(さらに言えば陸海空同じ時期の取材の調整は控えめに言って大変でしたし、離島ゆえ往復の交通費や現地レンタカー代もそこそこかかりました)、やはり「撮れ高」「聞き高」は欲しいのが本音です。

ただ、その点は部隊側もよくわかってくださっていました。本州から取材に来たのに提供できる情報も見せられるものも極めて限られていることを気の毒に思ってくれたのでしょう、対馬防備隊はきわめて友好的に取材陣を受け入れてくれ、見せられるものについては惜しげなく丁寧な説明を添えて披露してくれました。そもそも取材を受けてくれているわけですから、その段階で「可能な範囲で最大限協力」というメッセージは伝わりましたし、実際に現地でも司令はじめ隊員からもその思いをひしひしと感じることができました。
濃い話をたっぷり聞け、存分に撮影できる取材は確かに満足感も大きいです。が、「秘」が多すぎる部隊を実際に訪れることでその部隊の任務の重要性を実感するというのも、大事な体験だと感じた次第です。これは、会社の経費で取材していては体験できない、フリーランスならではの醍醐味かもしれません。持ち出しは多いですが(笑)

対馬防備隊の沿革です。
1954年に佐世保基地警防隊・対馬連絡所設置。1960年に上対馬に対馬監視隊、1963年に壱岐監視隊が新編、その後「警備所」と名称を変え、1969年には下対馬警備所が新編されました。1970年に佐世保地方総監部直轄部隊として対馬防備隊が新編、各警備所は対馬防備隊の隷下となりました。
本部は旧海軍の竹敷要港部跡地にあり、本部から徒歩5分ほど北へ進むと民家の庭の一角に旧海軍の揮発油庫が残っています。1908年に竣工されたイギリス式のレンガ造りで、主にガソリン類を貯蔵していたところです。民家の裏山には線電信所(無線電信所・発電機室・水溜から構成)として建てられた建物の一部も残っている。ちなみに本部から揮発油庫へ向かう道中には韓国資本のホテルがありました。

本部の敷地は広くありませんが、建物も隊員の数も少なく、目の前が海だということもあってかきゅうくつな感じはありません。
営内を案内して自室を見せてくれた3曹は「建物は古いですが、個室で広いのがいいですね」。
敷地の隅にある倉庫はかなりの年代物ですが、倒壊しない限り使い続けるのが自衛隊。別の場所別の部隊で取材時、「ついに屋根が落ちたからやっと新しく建て直してもらえた」と喜んでいる隊員の声を聞いたこともあります。

対馬防備隊司令に改めて部隊についての話を聞きました。
「対馬は南西方面または日本海方面への進出、帰投時に通過すべき水道を東西に有している交通の要所であり、この点では沖縄のようにどこを通過するかの選択肢が多くないと認識しています。一方で、韓国資本による基地周辺の土地買収が実施されたことから、重要土地調査法ができたという経緯があります。そういった部分が対馬の地政学上の特性といえるでしょう」
「対馬出身の隊員はごく少数ですが、対馬の自然を気に入って自ら希望し2度目、3度目の勤務という隊員もいます。詳細を語れないことで注目されることも多いとは言えない部隊ですが、そこは隊員の士気には関係ありません。24時間絶え間なく、一瞬たりとも見逃すことなくこの対馬海峡を守っている、どんな船舶等も見逃すことはない。そういう自負が隊員たちにはあります」

(つづく)