今こそ知りたい陸自の後方支援(2)

7後支は1981年に当時の第7武器隊、補給隊、装甲輸送隊、衛生隊が統合され、陸上自衛隊初の後方支援連隊として誕生しました。
1993年には北海道南西沖地震(奥尻島)で給水支援、1995年には阪神淡路大震災で入浴支援といった災害派遣に従事。2004年にはイラク人道復興支援、翌年にはインドネシア国際緊急援助隊派遣など、海外でも活動しています。2008年の洞爺湖サミットも支援しました。
東日本大震災や熊本地震では被災地の生活支援隊の主力となり、2016年には南スーダンに施設隊を派遣。
2018年9月に発生した北海道胆振東部地震では、隊員たち自身が被災者でありながらのべ7090名を災害派遣。そして昨年、今年と2年連続で白老町や千歳市で発生した鳥インフルエンザの災害派遣活動を行なっています。

7後支の連隊長である中島孝太郎1佐は、2023年5月に開催された創隊43周年記念行事の式辞で次のように述べています。
「安全保障環境は極めて複雑かつ不確実な時代に突入し、これを踏まえた安保3文書が策定され、可動率の向上や第一線救護能力の向上等、兵姑・衛生への期待もこれまでにない大きなものとなっている。一方、自動的に精強な部隊ができるわけではない。このため、部隊を鍛え人材育成を行い強い思いで隊務に遭進し、今の時代に適合した『真に戦える兵姑・衛生部隊を創造』していく」

安保3文書では、新しい戦い方に対応するために必要な機能・能力のひとつに「迅速かつ粘り強く活動し続けて、相手方の侵攻意図を断念」させるために「持続性・強靭性」を挙げています。具体的には「必要十分な弾薬・誘導弾・燃料を早急に保有。装備品の稼働率向上」、「自衛隊員の継戦能力向上のため衛生機能も強化」などが明記されており、これらが後方職種の担う役割であり、7後支の任務となります。

中島連隊長に7後支の特性を尋ねたところ、「陸自唯一の機甲師団を支える連隊ということで、全国の後方支援連隊でもっとも規模が大きく、陸自16の職種のうち支援先部隊の隊員も所在するため11職種の隊員が集まる、まさに多様性を具現化したような連隊」と返ってきました。「それだけまとめるのは大変だが、さまざまな視点からの知見を得られるのも7後支の強み」とも。

ここからは7後支の各部隊をご紹介していきます。
7後支の第1整備大隊は、第7師団諸部隊に対する野整備支援などを任務としています。
車両整備中隊では73式装甲車、通称73APCなどの装軌車から大型トラック、そして師団長などが利用する黒塗りの乗用車までの整備を一手に引き受けている部隊です。
取材時は73APCのパワーパック(エンジン、トランスミッション、トランスファー動力部が一体になったもの)を、重レッカー車を用いて下ろす訓練を実施していました。工場内にはクレーンが設置されているのでそれを用いて乗せ降ろしが可能なのですが、訓練のためにあえてレッカー車を用います。クレーンを扱うオペレーターは女性隊員です。