オリンピックと自衛隊(7)
1964年はいよいよ最終フェーズです。
オリンピックが約半年後に迫り、これまでの机上における準備や計画、会議といった「静」から、支援部隊の編成や訓練など、流れが一気に「動」へと転じた時期です。
まず1964年4月、OOCからの最終要請があり、防衛庁が協力する人員と装備は以下の通り決定しました。
最終要請人員・装備合計
人員5345名(競技関係)、1/4トントラック469台、3/4トントラック74台、1/2トントラック186台、救急車9台、レッカー車2台、無線機248台、有線機525台、交換機4台、発電機2台、航空機(ヘリコプター)12機、砲3砲、給水トレーラー2台、艦艇72隻、折り畳み舟5
第1回の要請時より、車両や無線機、有線機は激増したことになります。
なお、基本的な必要経費はOOCが負担することになりました。防衛庁はさぞや胸をなでおろしたに違いありません(少なくともこのときは)。
また、自衛隊が協力する項目は式典、近代五種競技、馬術競技、ライフル射撃、クレー射撃、自転車競技、陸上競技、カヌー、漕艇、ヨット、代々木選手村、八王子選手村分村、輸送、衛生とすることも決まりました。
一方、前述したとおり、依頼があったものの協力しないことになったのは、次のとおりです。
選手村の宿舎の清掃
交通警備における警備資材の輸送
大会役員用乗用車の運転
広報における技術支援および記録の整理
国外聖火リレー
近代五種の馬術における馬の誘導作業
マラソンでの天幕の提供、救護(競技運営に協力する種目のみ協力)
このほか、各音楽隊の制服を新調することは決まりましたが、選手村を支援する隊員の服装については、自衛隊の制服を着用するか、それとも背広を貸与するか、この時点でも「さらに検討する」こととして決定していません。
なにを着るか、これは案外深刻な事案でした。
広報についても本格的に稼働し始めます。
テレビ放送されるオリンピックは自衛隊をPRする絶好の機会です。5月に長官官房広報課オリンピック広報室を設置、オリンピック広報実施要綱を定めました。自衛隊の協力状況をパンフレットや週刊誌、広報写真などによって計画的に広報に務め、さらに協力した隊員の手記『東京オリンピック作戦』の作成なども行ないました。
さて、協力予定部隊は、1964年度初頭から協力業務の複雑なものの教育訓練や図上研究を始めたほか、OOCや競技団体の行なう選手選考大会・大会運営予行に参加して経験値を重ねていきました。
この時期の陸海空各自衛隊の動きは以下の通りです。
陸上自衛隊
輸送(ジープ隊)、選手村、近代五種、ライフル射撃支援隊の基幹幹部要員教育、車両操縦手および支援群(隊)長要員教育訓練など、主要な種目の教育は東京で、語学教育や協力のための基礎的事項などについてはそれぞれの方面隊で教育訓練を行ないました。
海上自衛隊
ヨット競技支援図上演習により関係部隊基幹要員の教育を行なったほか、港湾調査と合わせて浮標設置訓練を実施。さらに大会選手権選考予選に協力することで問題点や未解決点の解決を図り、協力の方法を固めました。
航空自衛隊
陸自と調整しつつクレーおよび漕艇支援要員に対ししつけ教育、基本教練を行ないました。また、大会選手選考予選に協力しました。
防衛大学校
5月に標識隊のメンバーを選定。授業と定期訓練の余暇を利用し、さらに夏季休暇における合宿で、基礎的体力の充実とともに標識の操作を訓練。さらにオリンピックに関する知識も学ぶなど教育訓練を重ねました。
次週は支援の中心となる陸自の訓練について、詳しく見ていきます。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)5月5日配信)