海上自衛隊 第111航空隊 (1)

今回から海上自衛隊第111航空隊をご紹介します。取材したのは3年ほど前になりますが、111空は非常に印象強く残っている部隊のひとつです。
 安全保障関連法が国会で審議されている際、「ペルシャ湾口のホルムズ海峡の機雷掃海に掃海部隊を派遣」といった言葉を何度も耳にされたと思いますが、今回ご紹介するのは掃海部隊でも「掃海艇」ではなく「掃海ヘリ」です。
 海を漂い、船舶に反応すると爆発する兵器、機雷。
 海の安全を脅かすだけに、周囲を海に囲まれた日本にとっては、その脅威はとてつもなく大きいものです。
 わが国の生命線といえる海路を守るため、ヘリコプターを使って空から機雷を除去するという、唯一の掃海部隊が海上自衛隊の第111航空隊です。
 海の中に仕掛けられる爆発物である機雷は、船舶に当たる、もしくは船舶の音や磁気に反応することで爆発し、船舶を沈没させます。
 潜水艦から発射される魚雷は高価なものですが、機雷は1つ数十万円で作れるものもあるといいます。しかも漁船からでもたやすく投下できるうえに威力は絶大ということで、極めてコストパフォーマンスが高い兵器です。そのためしばしば戦争や紛争で使用される、厄介な代物です。
 敷設された機雷を取り除く作業が「掃海」ですが、周囲を海に囲まれた日本は機雷、掃海との関わりが深い国です。
 第2次世界大戦中、瀬戸内海と日本近海には約6万7000個もの機雷が敷設されました。戦後、旧海軍から海上自衛隊にいたるまで所属は変遷しながら、掃海部隊はこれらの膨大な機雷の掃海に従事、主要航路や港湾泊地を切り開きました。その間、作業中に機雷が爆発するなどして79名の犠牲者も出しています。
 1991年、自衛隊初の海外派遣となったペルシャ湾での掃海作業。掃海部隊は「金は出しても人は出さない」と散々な言われようだった日本の国際協力に対する評価を覆した立役者であり、自衛隊の海外派遣の礎となりました。掃海部隊の確かな掃海技術がペルシャ湾で各国の海軍から賞賛され、国際的な評価を受けたことが、翌年のPKO法成立の追い風となったのです。
 さて、航空機による掃海は、朝鮮戦争時、日本海の沿岸に流れ着く機雷を上空から発見しようという発想から始まりました。
 取材した第111航空隊(以下、111空)は、ヘリコプターによる航空掃海を行う部隊。掃海艦艇の到着に時間がかかるような遠隔地に機動力を生かして早期に展開し、機雷除去を行う役目を担っています。
 111空は1974年に千葉県の下総基地に新編、現在は退役したV-107、通称バートルというヘリコプターでのスタートでした。1989年に現在の山口県の岩国基地へ移り、翌年から海上自衛隊最大サイズのMH-53Eが、さらに2008年にはMCH-101が配備されました。
 主要任務は航空掃海と輸送、MCH-101のみ救難にも利用されています。MH-53Eは吹き下げ流、いわゆるダウンウォッシュが強すぎて救難には向かないのです。ちなみに海上自衛隊のヘリコプターの中で最新のMCH-101は、南極観測船『しらせ』に搭載されている輸送ヘリCH-101と同じ機種。そのためCH-101の搭乗員養成は111空が実施しています。
 次回は航空掃海の方法と、その訓練についてご紹介します。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成27年(西暦2015年)10月8日配信)