神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(17)

3月17日
8時58分、通常業務の搭乗ローテーション通りに乗り込んだ隊員たちを乗せたチヌークが霞目駐屯地を離陸した。
放水のためのメンバーを志願制にしなかったのは、隊員の練度が変わらず、誰が任務に当たっても結果は同じという第1ヘリ団の任務意識の高さと矜恃ゆえだ。
2機のチヌークによって計30トンの海水が原子炉に放水されたシーンは、国民の多くがテレビで目にしたことだろう。
作戦を立てるのが困難な中での放水は、どこまで効果があったのかわからない。しかし、無人機ではなく有人のヘリがここまで近づけるということを初めて示せた意義は大きかった。そしてこの放水が「日本政府は原発に対してなにをしているのか」と不信を募らせていた米国の態度を変えるきっかけにもなった。また、東電の原発再興意欲の振作となったと火箱は自負している。
ただし、その日の陸幕長定例記者会見では、火箱は記者たちに「隊員の被ばくはどれくらいか、健康への影響はないのか」から「陸幕長が無理に行かせた無謀・無意味な作戦ではないか」「陸幕長は隊員の命を平気で危険にさらさせたのではないか」まで、随分と責め立てられた。非難の矢面に立つのも陸幕長の役目かもしれなかった。
ヘリからの放水後は、地上から3号機へ放水することになった。
陸海空各自衛隊は、それぞれ航空基地に航空機の事故に備えた高機能な化学消防車を所有している。
前日の16日に統幕長から指示があったので準備を進めていると、今度は防衛大臣が「陸幕長、警察が放水をやりたいと言っている。自衛隊が警察の放水を指揮できるか?」と聞いてきた。機動隊がデモ隊鎮圧のために用いている高圧放水車を使うという。
省庁の枠を超えた指揮は難しい。現場の人間に、そんな重いものを背負わせるわけにはいかない。
「うちが指揮して警察官が死んだりしたら『誰の命令でやったんだ』と問題になります。われわれが警察部隊に対してやれることは援助までです。たとえば化学防護隊がそばにいて、放射線量が高いから撤退しろというような側面援助は可能です。それでよろしければやります」
大臣もそれで了承した。どうも警察は、自分たちが最初に放水したいらしい。要求通り、自衛隊の地上からの放水は警察の直後に実施することにした。
そして17日、ヘリからの放水後はすぐさま警察が地上から放水を実施するという話だったのに、当日朝、自衛隊との待ち合わせ場所になかなか警察が集まらない(自衛隊は正午前には予行も済ませ待機していた)。
結局、警察が放水を始めたのは19時過ぎで、しかも一部放水したところで水の勢いが弱まり届かなくなってしまった。それでも最初に放水できたからいいということなのか、これ以降は二度と放水はしなかった。警察の後は自衛隊が放水を実施した。翌日も自衛隊は放水を行い、次いで東電も放水した。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)8月26日配信)