神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(15)

JTF東北司令官に君塚東北方面総監を任命するセレモニーが始まったのは11時だ。奇しくも11時1分、福島第一原発3号機が爆発した。
兵站体制の変更や即応予備・予備自衛官の招集など、やることが山積みで仙台には行かず市ヶ谷に残っていた火箱は、執務室のテレビで爆発の瞬間を目撃した。
「これは水素爆発じゃないか!」
火箱は「原発に隊員が入っていないか確認しろ」と命じながら、「これはおかしい。福島第一原発は大丈夫なんかじゃない、危険だ」と、初めて実感した。
中特防の岩熊真司隊長ら6人の隊員を乗せたジープと給水車はちょうど3号機近くに到着、まさに注水作業に取り掛かる寸前だった。爆発により降り注いだがれきで4名が負傷した。
放射性物質が漏れているとは聞いていた。しかし岩熊たちは注水を頼まれ、政府・東電がそう言うなら1号機に続いてすぐ爆発が起こるようなことはないのだろうという前提で動いていた。
この日までに現地のLO(連絡官)に、もっと福島第一原発の実情を確認すればよかったかもしれないと、後になって火箱は思った。しかし仮にそれができていたとしても、LOは参加できない会議もあり、どこまで情報を獲得できたかは不明だ。意見を言う立場でなく、おのずと「要請があれば了解しました」という受け身の姿勢にならざるを得なかった。
しかし3号機の爆発が起きたことで、津波による一般的な災害対応はJTF東北の指揮官君塚東北方面総監、原子力対応はCRF(中央即応集団)の宮島俊信司令官と、役割が分端されることになった。
夜になると火箱のもとに、被災者の中には生活物資が不足し凍死、餓死の恐れすらあるという情報が届いた。そこで被災者の生活支援のため部隊の増強や民間物資輸送スキームの構成や自衛隊の灯油、ガソリンを民間に転用するための準備を進めた。
実はこの夜、オフサイトセンターは「3号機以外も危ない」「オフサイトセンターは撤退」「2号機が重大危機」など、デマも含めてさまざまな情報が飛び交い、パニック状態に陥っていた。そのため、新たにCRFの副司令官がLOとしてオフサイトセンターに派遣されたものの、相変わらず福島第一原発でなにが起きているのか、火箱の元に正確な情報は伝わってこないままだった。発災から3日経っても、陸上自衛隊のトップににすら情報は届かなかったのだ。
3月15日
6時10分、4号機が水素爆発を起こし、燃料プールの屋根が吹き飛んだ。続いて9時7分には2号機から白煙が上がり、4号機では火災も発生した。
すると9時32分に原発事故に関して、初めて首相官邸、政府の対策本部から「原発がきわめて危険な状態。オフサイトセンターでの任務や原発への燃料輸送を中止せよ」と指示があった。
発災からこのときまで、首相官邸、政府の対策本部から防衛省・自衛隊への指示は一切なかったのである。
9時35分、火箱は一晩かけて準備した被災者支援のための部隊増強と全国物流輸送支援について北澤防衛大臣に報告に行き、了承を得た。
するとそれから1時間も経たないうちに大臣に呼ばれた。緊急の大臣・幕僚長会議である。防衛大臣が言った。
「官邸から、福島第一原発が非常に危険な状態なので、自衛隊に放水してもらえませんかと言う要請が来ています」
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)8月12日配信)