神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(10)
火箱は執務室に戻るとすぐさま、自ら君塚東北方面総監に電話をかけた。幸い防衛マイクロ回線は異状なく、電話はすぐにつながった。
「やられました」
君塚総監の第一声はそれだった。
庁舎は停電、棚という棚から中身が飛び出し、新庁舎と旧庁舎のつなぎ目からは土煙があがっているという。停電でテレビも映らないので、総監部では津波の状況があまり認識できていないようだった。
「しっかりしろ。東北方面隊は全員非常呼集。ただちに出動、現地に向かえ。災害派遣要請を待つ必要はない。津波が来ているからな、気をつけろ」
自衛隊は災害発生時、部隊ごとに担当区域が決まっている。そこで「まず各部隊はそこを目指し、救助に当たれ」というざっくりとした指示を出し、さらに「全国から東北方面に部隊を集める。君が指揮して災害に対処しろ。頼んだぞ」。
そう言って電話を切ったときは、地震が発生してからまだ10分も経っていなかった。
火箱の動きは止まらない。一度置いた受話器をすぐさま手に取り、木崎西部方面総監に電話した。
北部、東北、東部、中部、西部という5つの方面隊のうち、被災した東北を除くどの方面隊から連絡するか考えたとき、「被災地から遠い部隊ほど到着まで時間がかかるから、まずは西部だ」と考えたのだ。
西部方面隊隷下には、福岡に第4師団、熊本に第8師団、そして沖縄に第15旅団がある。西方総監によると、九州では小さな揺れだったという。
「すぐに西方から部隊を出せ。ただし8師団と15旅団は動かすな、出すのは4師団だ。それから方面隊直轄の第5施設団(福岡)も出せ。道路啓開が必要になるだろうし、橋も架けられる。施設の持っているボートも救助に使えるだろう。行先? とにかく東北に向かって走れ!」
陸幕長から直々に電話がかかってきただけでも異例のことなのに、いきなり「すぐ部隊を出せ、とにかく東北に向かえ」と言われ、西方総監も驚いたに違いない。しかも九州の震度は1~2だったからなおさらだ。しかし火箱からの電話によって、事態の深刻さが一気に認識されたところもあったかもしれない。
乱暴な指示を出したものの、もちろん算段はあった。九州から陸路で東北に向かうには、給油のためなど中継しながら進むので、少なくとも一晩はかかる。前進中に新たな指示を出せると見込んでいたから、「行先が決まるまで待機」ではなく、「とにかくすぐに出ろ」とスピードを重視したのだ。
また、8師団と15旅団は留まるよう指示したのは、尖閣諸島など南西諸島への対処のためだった。日本の混乱に乗じて中国が上陸をもくろまないとも限らない。また、当時は霧島山が噴火しており、火山噴火による災害も懸念されていた。
「もしもなにか問題になるようなことになったなら、『陸幕長からの指示だ』と言え」。
わざわざ火箱がそう言ったのは、すべての責任を負うつもりでいたからだ(理由は後述)。
次に電話したのは中部方面隊である。
中方総監部幕僚副長、第10師団長、そして前職の中部方面総監と、過去3度の勤務経験がある火箱にとってなじみのある方面隊だ。2府19県におよぶ担当地域の広さといった中方ならではの特性も熟知していたから、判断は早かった。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)7月1日配信)