神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(2)
先週に続き、元陸上幕僚長火箱芳文氏の半生を振り返る連載「神は賽子を振らない」の第2回をお届けします。
防大では2年になると、陸海空のどの自衛隊に進むか決まる。
火箱は最初、航空自衛隊でパイロットになりたいと思っていた。ところが航空実習で飛行機に乗ったときエアポケットで激しく揺れ、「これはあまり気持ちのいいもんじゃないな」と思ってやめた。
海上自衛隊の乗艦実習では波が高くて「これも嫌だな」。
一方、行進訓練では周囲が根を上げて次々と倒れていくのだが、火箱は「なんでみんなこの程度で倒れるんだ」と不思議に思うほど余裕だった。そして「俺の道はこれしかないな、陸だ」と、陸上自衛隊を希望することにした。しかも職種は柔道で鍛えた屈強な体を生かせる歩兵、つまり普通科以外は一切眼中になかった。
実際、防大を卒業後に入校した幹部候補生学校で職種が決まる際も「私を普通科にやらなければ自衛隊を辞めます」と言ったほどだ。さらに言えば、空挺の基本降下課程と幹部レンジャー課程はかならず受けたいと思っていた。
ところで、火箱が防大生だったころはまだ自衛隊に対する風当たりが強い時代だった。
「税金泥棒」と言われた先輩の話も聞いていたし、制服で出かけるといつも奇異な目で見られている感じもした。それでも防大に入ったことに悔いはなかった。
しかし入校してしばらくは「『陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない』と憲法に明記されている。じゃあ俺たちはなんなんだ」という思いが胸の内でくすぶっていた。
「戦力」を「実力」と言えば軍隊ではないのか、階級の名称を大中小ではなく一二三と数字にすれば軍隊ではないのか。憲法の授業では無理矢理の解釈を習ったが、それで納得できるわけもない。
自分たちの存在意義がわからず苦しかったが、結局のところそれは自分自身で植え付けていくしかないものだった。そして日々の学業や訓練を重ねていくうちに、国を守るということがどれほど大事なことか理解できるようになる。そうなると自衛隊が世間からどうとらえられようが、われわれは国を守るために存在するのだと迷わず思えた。
最初からそういう思いが抱けていればいいのだが、ほとんどの学生はそこまで深く考えずに防大生になる。火箱もそのひとりだ。自衛官として国を守るという意識は、日々の教育や先輩との共同生活の中で徐々に培われていくものなのだ。
4年間で一度だけ、火箱は「防大を辞めようか」と悩んだことがある。
それは2年になったばかりのときで、規律正しい生活が苦痛というのではなく、なにごとに対してももっとじっくり、より深く考えたり学んだりしたいと思ったのだ。
防大での勉強は概論が多く物足りなかったし、理数系の学問よりも政治や歴史についてもっと専門的に学ぶ時間が欲しかった。
東京の大学に進学した高校の同級生の下宿先に遊びに行き、彼と仲間たちが多方面について熱く、そして大らかに議論しているのを目の当たりにしたときは、彼らがまぶしかった。自分のしているすべての学問が中途半端で浅く感じられ、「俺は一体なにをやっているんだろう」とも思った。
後から思えば「防大病」とでもいう病にかかっていたのかもしれない。指導官に相談すれば騒ぎになる、両親に話せば心配させてしまう。思いあぐねて兄に話すと、ただ「自分で決めろ」とだけ言われた。
悶々とする日々が続いたが、結果的に時間が最大の助言者となった。柔道の試合が近づいていたので余計なことを考える余裕もなく練習に打ち込んでいるうちに、次第に気持ちに変化が生じた。
「勉強が物足りないなら自分でもっと勉強すればいいだけの話じゃないか。平日が忙しいなら土日でその時間を作ればいい」と、前向きな気持ちになれたのだ。それに防大を中退して地元に帰る自分の姿を想像するとぞっとした。
そうして数カ月間のもやもやを乗り越えてからは、卒業まで一度も迷うことはなかった。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(令和元年(西暦2019年)8月8日配信)