航空自衛隊ファントムの軌跡(1)
今週から4回にわたって、40年以上にわたって日本の空を守り、2020年度までにすべての退役が決まっている航空自衛隊のF-4EJ改ファントムⅡ(本文ではF-4EJと表記)、通称ファントムの軌跡を振り返ります。
2018年12月2日に行なわれた百里基地航空祭は、例年以上に熱いファントムファンが結集しているように見えました。多くの人のお目当てはおそらく「オジロワシ」だったはずです。
空自戦闘機部隊の中で最大サイズとしても知られる垂直尾翼に描かれたオジロワシは、第302飛行隊の部隊マーク。この雄姿を百里基地航空祭で見られるのはこの日が最後でした。第302飛行隊は三沢基地に移動して今週から、正確には来年度からF-35Aの飛行隊となります。
マクドネル・ダグラスF-4はアメリカで1958年に初飛行、1960年に最初の部隊運用が始まったという、60年もの歴史を持つ戦闘機です。世界で計約5000機が生産された、今なお数百機が現役で活躍する第3世代の大型超音速戦闘機です。
参考までに、第1世代はF-86など音速を越えない1950年代までの亜音速ジェット戦闘機、第2世代はF-104など初期の超音速ジェット戦闘機。F-4が分類される第3世代はマルチロール・電波ホーミングミサイル搭載能力・夜間戦闘能力を有します。第4世代は制空戦闘から爆撃・偵察など広範囲の多用途性を有するジェット戦闘機で、F-15などが該当します。
そして第5世代がF-22やF-35に代表される高度な火器管制装置とステルス性、最新のアビオニクスなどを備えているもので、現在運用されているジェット戦闘機の中で最高峰の性能を誇ります。
ファントムが1958年に登場した際、その設計は革命的と称賛され、抜群の飛行性能を世に知らしめました。
地上運用型と空母運用型の2種があり、米空軍、海軍、海兵隊が採用しました。最初にA型、B型として海軍と海兵隊用が導入された後に空軍用としてC型が導入されたという経緯があります。空軍機なら本来ほとんど使う機会のないアレスティング・フック(機体制動用拘束フック)が太かったり、着艦に耐えうるよう主脚が頑丈だったりするのは艦上機ならではの構造ですし、主翼の折りたたみ機構も海軍機の名残といえます。なお、3軍が同時に使用した機種はその後約半世紀後、F-35の登場まで現れません。
ちなみに米軍がファントムを作戦に投入したのは1991年の湾岸戦争における砂漠の嵐作戦が最後で、1996年に退役しています。
一方、1954年に発足した航空自衛隊が最初に入手した戦闘機はF-86F、通称セイバーで、1955年以降アメリカから供与されたほか、国内でも300機を生産しました。1982年まで27年間運用し、後継機にはF-104Jが採用されました。
これとほぼ同時期に導入が決まったのが、米空軍のF-4Eを日本向けに改修したF-4EJです。
しかし、要撃機という位置づけでありながら、ベトナム戦争で攻撃機としても能力を発揮していたため、自衛隊の「専守防衛」には無用の長物であるという声が上がりました。
そこで核兵器制御装置、爆撃計算機、空対地ミサイル・ブルパップ制御装置、空中給油装置といった対地攻撃装備はすべて取り外し(ただしF-4EJ改への改修の際、再び一部装備されました)、データリンクを載せ、多用途戦闘機としての色合いを薄めて要撃戦闘機タイプにした形での導入となりました。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成31年(西暦2019年)3月28日配信)