平成30年西日本豪雨災害派遣(2)
平成30年度7月豪雨は、各地に甚大な被害を与えました。
6月28日から7月8日までの総降水量は四国地方で1800mm、東海地方で1200mmを超え、7月の月降水量平年値の2~4倍となるところもありました。
たった10日間ほどで、同じ時期の1か月の2~4倍以上という降水量。どれほど激しく猛々しい雨だったことでしょう。
気象庁は7月6日より1府10県に大雨特別警報を発表。「特別警報」とは警報の発表基準をはるかに超える現象に対して発表されるものです。対象とする現象は、1万8000人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災における大津波や、わが国の観測史上最高の潮位を記録し、5000人以上の死者・行方不明者を出した1959年の伊勢湾台風の高潮、そして紀伊半島に甚大な被害をもたらし100人近い死者・行方不明者を出した平成23年台風第12号の大雨等が該当します。
また、気象庁は「特別警報が発表された場合、お住まいの地域は数十年に一度の、これまでに経験したことのないような、重大な危険が差し迫った異常な状況にあります。ただちに地元市町村の避難情報に従うなど、適切な行動をとってください」強い言葉で危険を訴えました。
この災害の死者は221人、行方不明者9人。住家被害は全壊5236棟(うち4040棟が岡山県、658棟が広島県、381棟が愛媛県)、半壊家屋は5790棟、床上浸水1万3258棟、床下浸水2万942棟となっています。
そして自衛隊の活動規模は、人員最大時約3万3100名、艦艇最大時28隻、航空機最大時38機、LO(連絡幹部)最大74か所に約300名を派遣。
活動実績は人命救助・孤立者救助2284名、給水支援1万8973・3t、入浴支援9万4119名、給食支援約2万590食、物資輸送飲料(約18万2512本)、食料(約7万4027食)、燃料(約125・5キロリットル)、水防活動(土のう作成)約5200袋、道路啓開約39・8km、がれき処理等ダンプカー1万3890台分となっています。
また、平成30年7月豪雨では、東日本大震災と熊本地震に続いて即応予備自衛官約300人も招集されました。過去2回は地震による災害派遣なので、大雨災害では今回が初となります。
即応予備自衛官とは元自衛官で、普段はそれぞれの職業に従事しながら年間30日間の訓練を受けています。当然ながら予備自衛官制度に理解のある企業の存在あっての即応予備自です。
今回のように大規模な災害等が発生し、現職自衛官により構成される部隊だけでは対応が不十分な場合には災害派遣等に派遣され、部隊の一員として活動します(即応予備自の応募資格は、自衛官として1年以上勤務し、退職後1年未満の元陸上自衛官または陸上自衛隊の予備自衛官として採用されている者)。また、有事の際は即応予備自衛官から自衛官となり、現職自衛官とともに防衛招集、国民保護等招集あるいは治安招集に応じるという重責も担っています。
今回は7月11日に召集され、12日から31日まで広島県東広島市において、地域住民への診療に対する支援などの生活支援活動を実施しました。
また、被災した人々への支援の1環として、7月15~28日までの間、防衛省がPFI方式(公共サービスの提供を民間主導で行うこと)により契約している民間船舶「はくおう」で入浴サービスを提供、延べ5562人が利用しました。この支援は2016年の熊本地震に次いで2度目となります。
災害発生時、「はくおう」は陸自13旅団の訓練に伴い、隊員や車両などを載せて北海道に機動展開していました。しかし各府県で豪雨による災害派遣要請が相次いだことを受け、10日に室蘭を出港、12日に定係港となっている兵庫県の相生港に戻って補給物資などを積み込み、15日から入浴支援を開始しました。
入浴時間は15~22時の間で、洗濯・乾燥機の利用ができるほか、飲み物のサービスや陸自音楽隊による船内カフェテリアでの演奏等も実施されました。入浴サービス提供終了後は、現在も多くの被災者が避難所生活を送っている岡山県からの要望により、1泊2日を基本とした宿泊、食事及び入浴のサービスを開始。8月3~4日には岡山県玉野市宇野港において宿泊支援を実施し、計82名が宿泊しました。船内では個室が用意され入浴や食事のサービスもあり、利用者にとっては心身の疲労が蓄積される避難所での暮らしから解放されるひとときだったことでしょう。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成30年(西暦2018年)10月11日配信)