杉山穎男 『サムライと日本刀─土方歳三からの言伝て─』

■司馬史観に物申す
本著は、神器、武器の二律背反を兼ね備えた日本刀という武器と、そのことをわきまえて生きた武士のすがたを通じて「わがサムライ」の生き様を描き出す試みです。
語り部には、新撰組の土方歳三が選ばれました。
キモは、



「司馬史観に物申す」です。
「司馬史観に物申す」核心として杉山さんは、「松平定信、八王子千人同心、天然理心流」をキーワードとする仮説を提唱しました。武全般への造詣が深く、ご自身も天然理心流を長く修業されている武人・杉山さんならではの独創的な視点です。
日本刀一振りごとに章が立てられています。
各章では、函館で戦いの渦中にいる土方の行動・ことばを通じ、神器、武器の二律背反を兼ね備えた日本刀という武器、そのことをわきまえて生きた武士たちの生き様・群像が浮き彫りにされてゆきます。
杉山さんの余談もためになります。
私なりに感じた本著の印象は次のとおりです。
【主人公】 20振の日本刀。
【主役】 土方歳三
【舞台】 函館。
【期間】 土方来函から最期の日まで。
【脚本・監督・脇役】 杉山穎男
映画に近い内容と感じました。
■司馬史観
戦後日本に住む多くの方は、司馬史観の影響を受けて自らの歴史観を形成しています。
司馬さんには、わが誇るべき歴史上の人物に光をあて、多くの人にその存在を知らしめたという、極めて大きな功績があります。
しかし一方でその歴史観には、「神器、武器の二律背反を兼ね備えた日本刀という武器と、そのことをわきまえて生きた武士」という視点が、決定的に欠けています。
その面で司馬史観を「真の意味で」批判し、わが歴史を多面的に捉える糸口を広く一般に提供してくれた著者は、現れなかったように思います。
武士のキモは日本刀にある。
わが武のキモも日本刀にある。
そう確信するいくさびとからの「物申す」は、今生きるわれわれにとって福音といえるものではないでしょうか。
■硬質の文章から香り立つ匂い
ご承知おきのとおり杉山さんは、『週刊プロレス』『格闘技通信』『武道通信』の開闢編集長です。
ひとことでいえば雑誌畑の方です。
そのためか、文がわかりやすくキレがあると感じます。
あわせて、杉山さん独特の硬質の文体は、目を通すだけで、サムライがかもしだすピリッとした空気と、日本刀がもつ鋼の匂いを香り立たせます。
各章は、8~15ページと読みやすい長さで、日本刀に触れたことのない読者への心配りを感じます。
本著は日本刀の解説書ではありませんが、刀の背景や歴史、刀鍛冶や研師にまつわる話も随所にあり、刀をめぐる常識が、読んでる中で把握できるよう上手に構成されています。
前作もそうでしたが、杉山さんの本は、読み手に「ホンモノのわが武」のなんたるかを啓発してくれます。
わが歴史の核心である「わが武士の実像」を教えてくれます。
■刀狩り
私がイチバン興味を持ったのは、刀狩りにふれたところでした。
太閤さんの刀狩りや、維新後の廃刀令は「帯刀するな」ということであり、刀をはじめとする武器を持つな、ということではなかったということです。
しかし米に占領され、わが歴史上初めて「刀狩り」された日本人は、武士がなくなっても脈々と受け継がれてきた日本刀のことを忘れてしまいました。
この刀狩りの結果、日本人が刀を忘れるとともに、戦後日本も軍事を忘れたのではないでしょうか。
日本人にとっての刀と日本という国家にとっての軍隊は、意味するところ同じではないか、と思えてなりません。
刀という古来からある武備を忘れた日本人に、軍を扱う国家指導者の任は勤まらない気がします。思えば単純な話です。
武の発露と霊性を併せ持つ日本刀を通じて祖国を眺めると、さまざまなものが見えてきます。
■弊マガジンのかかわり
弊マガジンは、この本作りの一端に関わりました。
どう関わったかについて、あとがきのなかで杉山さんが以下のとおり紹介くださっています。感謝するばかりです。
(あとがきより抜粋)
<近年、武士モノの時代考証が盛昌であり喜ばしいことではある。が、武士は本来、軍人である。この軍人の常在戦場の心構えが、なぜかあけらかんと抜け落ちている。
永きにわたる町人国家ゆえであろうか。
武士の作法ひとつも、常在戦場、臨戦態勢の心構えから生まれたものである。この盛昌の風潮は危ういと、武士の作法を著した。『使ってみたい武士の作法』と題され、平成二十年九月に刊行された。発売後、時宜を得た企画だったのか、すぐに増刷となった。版元さんからは次の作をと、ありがたいお誘いがあった。
メールマガジン「軍事情報」に拙著の書評が載った。拙著の意図を充分に汲み取っていただいた心に滲みる一文であった。
感謝すると同時に、一万余人の「軍事情報」読者は、武士、さむらいにどのようなイメージを持たれているのだろうかと思案した。そこで「軍事情報」発行人のご好意に甘え、次の著のキーワードを探るべくアンケートをしていただいた。
「あなたにとって、これぞ武士・サムライといえる歴史上の人物は誰ですか?」
「武士・サムライについてもっと知りたいことは何ですか?」
「あなたが持っている武士・サムライ像は、何が最も影響していますか? 」
「あなたの実生活で、武士・サムライを意識することはありますか?」
など十項目。
アンケート内容を読み解くことは雑誌編集者としての経験から多少の自負はある。
「武士とは何者であったか」を解かんとする筆者の武士像と、歴史・時代小説、映画などでつくられた武士像の違い。これをキーワードとした。
ついては己の力量とを秤にかけ、このような舞台設定をした。アンケートに答えていただいた諸氏に感謝すると同時に、武士の実像を再考する書になることを願う。
(以下略)>
このアンケートを行なったのは2008年10月22日(水)~25日(土)でした。
アンケートを形にしてくださった杉山さんと並木書房さん、そして、あのときアンケートに回答くださった各位に、この場を借りて改めて感謝します。
いまわたしは、あのときのアンケートが形になった事実に接し、感激するばかりでおります。
■オススメです
日本刀のもつ意味合いをつかめない日本人は、「へそのない民族」と扱われても仕方ない気がしてなりません。
それがいやなら、日本刀を知る必要があると思います。
しかし日本刀の何たるかを、サムライの歴史、生き様とからめて「わが武」に昇華して伝える一般向け語り部は、これまでいなかったように思います。
杉山穎男さんという、このうえない語り部をあなたに紹介できることを、心よりうれしく思います。
どこを切ってもためになる知識や話が出てくる。
それでいて一冊が一編の詩になっている。
素晴らしい作品です。オススメします。
最後に最も印象に残った一文をご紹介します。
<歳三は床机に座ったままで、腰の源之助国包の鍔に手をかけた。
 神代の世と違い、剣は武士が担った。剣をもって武士が武士を裁き、民を裁いてきた。徳川様の世となり、武士は罪ありとなったら自裁する者。民は自裁できぬ者だから武士が代わりに処刑した。それが法であった。平時でも武士が一腰に大小二本差したのはそのためだ。
 武士が剣を携えた世は終わるのか。軍人(いくさびと)は剣に代わって銃を持つだろう。いまの世の軍は銃であることは京で知った。新撰組に最初に銃砲隊をつくったのは歳三だった。銃の軍では異国の戎衣(軍服)がよい。
江戸を発ち、甲州勝沼へ攻め入るとき月代を断ち、異国の戎衣を着た。歳三だけだった。
 では、武士は何をもって矜持を保つのか。断じて銃ではない。武士の剣はどこへ行く。薩長は銃で武士の剣を葬るつもりだ。武士の世を終わりにする気だ。
 天子さまは、天皇の威を代行させる節刀を薩長に授けるのか。いにしえに戻って天子さま自ら剣を持つのか。もし、天子さまを武家の棟梁にしてしまったら、もし日の本が異国に敗れたとき、天子さまを罰し、葬るのか。>
(P99~100)
本日ご紹介したのは、

『サムライと日本刀─土方歳三からの言伝て─』
著:杉山穎男
発行:並木書房
発行日:2009/7/20
でした
(エンリケ航海王子)
●本著の目次
「まえがき」にかえて  日本刀を見ると、この国のかたちが見えてくる
一、鷲ノ木浜沖に旧幕府軍艦隊結集 ─ 初代会津兼定
二、荒波をぬって鷲ノ木浜に上陸 ─ 関の孫六
三、二隊に分かれ五稜郭へ進攻 ─ 菊一文字則宗
四、土方軍、箱館府軍と火蓋切る─ 同田貫正国
五、歳三、五稜郭の周りを馬で駆ける─ 千子村正
六、箱館府軍の本拠地、松前城へ出撃─源 清麿
七、土方軍、松前城目前に迫る─ 武井信正
八、歳三、松前城の搦手門を突破─ 大原真守
九、歳三、松前城で天然理心流を語る─ 伊賀守二代金道
十、歳三、松前軍追討に、江差へ向かう─ソボロ(初代)助広
十一、開陽沈没、榎本海軍の功の焦り─ 源之助国包
十二、歳三、伊庭に天然理心流の謎を語る ─ 水心子正秀
十三、蝦夷共和国樹立の祝砲鳴る─備前長船兼光
十四、甲鉄奪取作戦。歳三、回天に乗る─ 五郎入道正宗
十五、新政府軍上陸。歳三は二股口へ─ 手掻初代包永
十六、歳三奮戦。二股口台場山の戦い─ 武州住康重
十七、弁天台場に新選組集結。七重浜へ夜襲─ 直江志津兼信
十八、訣別の宴。歳三、伊庭八郎を見舞う─藤原国清
十九、決戦前夜の五稜郭。沢忠助の謎─長曾祢虎徹
二十、歳三が最期に吐いたひとこと─初代康継
あとがき
本日ご紹介したのは、

『サムライと日本刀─土方歳三からの言伝て─』
著:杉山穎男
発行:並木書房
発行日:2009/7/20
でした
(エンリケ航海王子)