朝鮮戦争における「情報の失敗」 ~1950年11月、国連軍の敗北~(7)

2019年2月6日

(C)Department of Defence April 15, 1953. M. Sgt. Eugene C. Knauft. (Marine Corps)□はじめに ~前回までのあらすじ~
10月25日から11月1日にかけて、韓国軍は清川江周辺で多数の中国人兵士を捕虜にした。尋問により得られた供述を基に作成された報告書は、第40軍所属の50万~60万人の中国人部隊が朝鮮半島に所在していると指摘していた。
中国人兵士捕虜の供述によれば、10月15日の深夜、人民解放軍第40軍が中国領の安東から木橋を使って鴨緑江を渡河し北朝鮮領内の新義州に入ったという。この報告書は、北朝鮮領内に入る前に兵士に北朝鮮軍の制服が支給されると共に、米空軍機による探知を回避するために夜間行軍を実施するという人民解放軍が採った欺騙手段を報告していたが、この記述は同時期に戦われた雲山周辺の戦闘の結果、韓国軍第1師団が捕らえた捕虜に対する尋問結果を基に作成された報告書での記述内容とも一致していた。
10月25日の韓国軍の交戦情報や交戦の結果捕らえられた捕虜に対する尋問報告書が発生源となった中国介入の噂は、ワシントンの国務省関係者や軍関係者の間で瞬く間に広まった。しかしながら、北朝鮮に展開する国連軍が捕虜を捕らえたという報告に対し、国務省で中国問題を担当する専門家たちはあまり深い関心を持たなかった。
▼続々に寄せられた中国人兵士に対する尋問報告
国連軍がマッカーサーの企図した鴨緑江への攻勢を開始した時点で、国連軍の指導者を懸念させる多くの報告書類は、確定的なものではないものの、何かおかしな事態が起こっているという印象を高めさせる内容であった。雲山北方を偵察した最初の米軍偵察部隊の1つは、米第8騎兵連隊第3大隊に所属する部隊で、この部隊はハーバート・ミラー軍曹に率いられていた。ミラー軍曹の部隊は、彼らが尋問した北朝鮮人農民が何千名もの中国人兵士が米軍を待ち伏せしていると証言したことと、大隊司令部に報告した。
ミラー軍曹からの報告に加え、前回の連載で登場した10月28日と30日に第1騎兵師団第5騎兵連隊により捕らえられた中国人兵士捕虜の尋問報告が、中国共産党による朝鮮戦争への介入の規模と意図の詳細情報を提供していた。11月2日に印刷されたこれら3つの尋問報告が、人民解放軍第39軍隷下の第115師団および116師団が10月28日に中朝国境を越境したことを確認していた。
これらの尋問報告書は前回連載で登場した韓国軍第1師団の報告書と統合された。これらの情報は大規模な人民義勇軍部隊が鴨緑江へ向け北進中の米第8軍を待ち伏せしているとの認識をさらに強めさせた。
もし、チャールズ・ウィロビーがこの情報を正確に評価し、中国的なレトリックで周恩来ら中国指導者層により発せられた警告とよく比較したうえで分析していたとするならば、ウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部(情報部)は、マッカーサーと前線に展開する諸部隊に対し決定的な警告を提供し、11月1日に人民義勇軍により米第8騎兵連隊が壊走状態に追い込まれることを防止できたであろうと思われる。
▼北朝鮮領内に所在する人民義勇軍の規模をめぐる見解の不一致
10月30日までに、米第8軍は中国人兵士捕虜を獲得し、北朝鮮領内において人民義勇軍2個野戦軍隷下の3個師団の諸部隊が所在することを確認した。それにもかかわらず、朝鮮戦争に参戦した人民義勇軍の本当の規模がどの程度なのか、という点に関しては意見が一致せず複数の意見が存在した。
人民解放軍第40軍隷下の第119師団・第120師団と人民解放軍第39軍隷下の第117師団が北朝鮮領内に所在しているとの米第8軍の分析にもかかわらず、10月30日付のCIA韓国情報日報は、極東軍司令部がこれらの人民義勇軍部隊が北朝鮮には所在するとは信じていないと報告している。
人民義勇軍の規模をめぐるこの意見の不一致は、第一線に展開する野戦軍司令部たる米第8軍と、戦線のはるか後方の東京に司令部を置くウィロビー率いる極東軍司令部参謀第2部(情報部)との間で情報評価をめぐる大きな溝を形成することとなった。
▼情報将校の警告を無視する原因となった楽観主義
一部の情報将校は国連軍の前進軸内に存在する人民義勇軍部隊に関する報告にますます大きな懸念を抱くようになった。米第8軍隷下の第1軍団司令部参謀第2部のパーシー・トンプソン大佐は、人民義勇軍が北朝鮮領内で作戦活動中であるとの疑念を10月下旬までに抱いていた。
人民義勇軍がひそかに活動している北朝鮮北部に近い場所にトンプソンのオフィスが近接していたため、彼は多くの報告書にアクセスできた。そしてそれらの報告書は、「個々」の報告書では確定的ではないものの、それら個別の報告書を「統合」してみると人民義勇軍が朝鮮戦争へ介入している徴候を示していた。
ディヴィッド・ハルバースタムの『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』(文藝春秋)によれば、トンプソン大佐は第1騎兵師団の先鋒を務める第8騎兵連隊長ハル・エドソン大佐に直接警告を与えたが、エドソン大佐はトンプソン大佐の警告をまじめにうけとらなかったという。戦争は間もなく終わるだろうという楽観主義が東京の極東軍司令部から前線に展開する部隊まで蔓延していた。
そして、この楽観主義こそが、極東軍司令部だけではなく朝鮮半島に展開する部隊の上級指揮官に対して懸念を表明しようとしたトンプソン大佐の努力を妨害する結果となったのである。
▼情報源が意図的に操作されたウィロビー報告書
国防総省を構成する陸軍省第2部(情報部)に対する10月31日付(人民義勇軍が本格的に介入する前日)のウィロビーの報告書は、28人の中国人兵士捕虜が国連軍の拘束下にあると認めることにより、前の週に捕らえられた中国人兵士捕虜数との数字の矛盾を修正していた。
さらにこのウィロビー報告書は米第8軍と米第10軍団が人民義勇軍部隊を捕虜にしたことを明らかにしていたが、このことは、米第8軍が朝鮮半島の西海岸から中央部まで、米第10軍団が朝鮮半島の東海岸から中央部までを管轄していたことを考慮すると、人民義勇軍がかなり広範囲にわたる地域に展開していることを意味した。
「複数」の尋問報告書が大兵力の人民解放軍による北朝鮮侵入を報じていたが、ウィロビーの報告書は、「人民義勇軍第40軍司令部と隷下師団から出されたほんの形ばかりの部隊が10月20日に北朝鮮に入った」との記載がある尋問報告書を「1通」だけ引用しただけにとどまった。
つまり、ウィロビーの報告書は、複数存在した尋問報告書の中から、人民義勇軍の朝鮮戦争への介入に対する極東軍司令部参謀第2部の評価を裏付ける――より明確に述べるならば、自分にとって都合のいい結論が書かれている――「意図的に選ばれた」1通のみに依拠して書かれていたのであった。
▼怪しき山火事
前回の連載で言及した清川江で韓国軍第1師団が経験した人民義勇軍との小戦闘は、11月1日に勃発する米陸軍と人民義勇軍との間で繰り広げられる最初の本格的戦闘の予兆であった。
第1騎兵師団師団長のハップ・ゲイ少将は師団が前進する際に中国人部隊に関する報告書が増加していったことを懸念しており、彼の師団が広範囲に分散していることを憂慮していた。
こうした懸念に加え、師団が1950年の終わりまでに本国に帰還できるだろうという噂が配下の兵士たちの心を奪っていた。
11月1日の朝、第8騎兵連隊を指揮するエドソン大佐は、山火事から立ち上る煙が一帯を覆っていることに気が付いた。エドソン大佐は雲山近くの清川江北方の開いた地形に配下の連隊を展開させていた。北朝鮮人の一般住民が全く存在しないことや部隊が展開している地域周辺で中国人部隊に関する報告が増加していたことは、この山火事が国連軍の地上および空中からの偵察監視から人民義勇軍の部隊機動を隠蔽するために意図的に発生させられたものであると、エドソン大佐に信じ込ませるのに十分であった。
実は、これに先立つ10月最終週にも、北朝鮮への浸透を隠すことを企図した人民義勇軍が多くの山火事を発生させていた。
▼却下された退却許可
11月1日午後、1機の偵察機が、未確認の大規模な歩兵部隊が清川江に向け南進中であることを発見した。
第1騎兵師団所属の砲兵部隊が激しい砲撃を加えたにもかかわらず、この歩兵部隊は前進を継続した。
この時、師団長のゲイ少将は広範囲に分散している彼の部隊を統合するために曝露する位置にあった第8騎兵連隊を雲山の南方へ退却させる許可を取ろうとしたが、上級司令部の第1軍団はゲイ少将の申請を却下した。
この時ゲイ少将率いる師団の砲兵部隊と交戦していた敵部隊は、この日の夜に第8騎兵連隊に対し猛攻撃をかけることになる人民義勇軍所属の2個師団(第115師団と第116師団)であることが後になって確認されたが、あとの祭りであった。
▼第8軍司令部参謀第2部(情報部)のターケントン中佐の報告書
11月1日から2日にかけての雲山の戦闘で、人民義勇軍2個師団によって第8騎兵連隊が撃破されたことは、第1騎兵師団司令部、米第1軍団司令部および米第8軍司令部に激しい衝撃を与えた。
米第8軍司令部参謀第3部(作戦部)は11月2日の戦闘日誌に次のように書いている。
「この期間は重要であった。というのも9月16日の突破攻勢以来初めて、部隊が敵軍による攻撃の成功に直面して防御的役割を強いられることになったからである」。
米第8軍司令部参謀第2部(情報部)のターケントン中佐は、17人の中国人兵士捕虜が現在拘束中であり、人民義勇軍2個野戦軍(第39軍と第40軍の6個師団)隷下の部隊が米第8軍と現在交戦中であると気づいたことで、第8騎兵連隊の雲山での戦闘が持つ重要な意味を理解し、報告書の中で明確に指摘した。
ターケントン中佐の報告書はさらに、雲山での戦闘における敵軍が、重迫撃砲、多連装ロケット・ランチャー、国連軍所属の機甲車輛の装甲を無力化することに使用される爆薬などにより、戦術能力を大幅に改善しているということも指摘していた。
そして、報告書の中で最も重要な点は、ターケントン中佐が「敵集団が夜間戦闘に非凡の能力を示している」と述べていたことであった。
▼ウォルトン・J・ウォーカー中将、マッカーサーに警告を出す
雲山で激戦が展開される直前、米第8軍軍司令官ウォルトン・J・ウォーカー中将はマッカーサーに宛て至急電を打電していた。
その至急電には「新鋭のよく組織化され十分な訓練を受けた部隊――そのうちのいくつかは人民解放軍である――による待ち伏せ攻撃と奇襲」というタイトルが付されていた。ウォーカー中将の報告は戦闘に関与している人民義勇軍の規模を十分に明らかにしたものとはいえなかったが、朝鮮戦争の性格が大きく変化したということをマッカーサーとウィロビーに気づかせたに違いない。
11月1日の夜から2日早朝にかけて戦われた雲山の戦闘で第8騎兵連隊が敗走した後、ウィロビーはウォーカー中将と会談する目的で平壌に飛んだ。ウィロビーと会うや否やウォーカー中将は次のように話した。
「チャールズ、われわれ第8軍は中国人がここにいることを知っている。君は中国人がどんな目的でここにいるのかわれわれに教えてくれないか」。
本連載でも何度か登場したようにウォーカー中将は直言を憚らない人物であったが、この発言は彼の面目躍如たるものがある。
朝鮮半島を視察したウィロビーによる11月3日付の情報見積は、人民解放軍部隊が北朝鮮で国連軍と交戦していることを反映した内容であったが、ウィロビーは中国が朝鮮戦争の性格を劇的に逆転させるような規模と方法で反攻作戦を展開しているとまでは評価しなかった。
ウィロビーは敵情について正確な認識を持ち合わせていたが、自分の自説に固執するあまりその敵情から正しい評価を導き出すことに失敗してしまったのである。
(以下次号)
(長南政義)