陸上自衛隊15旅団
第15旅団は、西部方面総監の隷下にあり、司令部を沖縄県那覇市の那覇駐屯地に置く。東西約1000km、南北約400kmという広大な海域に有人島50を含む160の島々をもつ沖縄地方の防衛警備・災害派遣などを任務とする。
編成
旅団は、中核となる旅団長と旅団司令部(那覇)、旅団司令部付隊(*1)(那覇)および以下部隊が、那覇駐屯地(沖縄県那覇市)および、八重瀬(沖縄県島尻郡八重瀬町)、白川(沖縄県沖縄市)、勝連(沖縄県うるま市)、知念(沖縄県南城市)、南与座(沖縄県島尻郡八重瀬町)の5個分屯地で展開している。
(*1)司令部の管理及び業務支援を任務とする旗本部隊。
那覇第51普通科(歩兵)連隊(3個普通科(歩兵)中隊基幹)、八重瀬第6高射特科群(高射砲兵連隊)、白川高射第323中隊、勝連高射第324中隊、知念高射第321中隊、南与座高射第326中隊、那覇第15飛行隊(航空自衛隊那覇基地内)、那覇第15偵察隊、那覇施設(工兵)第15中隊、那覇第15後方支援(輜重)隊、那覇第15通信隊、那覇第101不発弾処理隊、那覇第15音楽隊、那覇第15特殊武器防護隊
特性
中期防 (2005)に基づいて平成22年(2010年)3月26日、第1混成団に代わって編成された離島型旅団。南西諸島の地理的特性を踏まえ、ゲリラや特殊部隊による攻撃・NBC攻撃・島嶼部に対する侵略・大規模特殊災害等の新たな脅威や様々な事態に対し迅速かつ実効的に対応できる体制を構築する一環として編成された。第1混成団よりも高い対処能力を持つ。
略歴
昭和47年 臨時第1混成群編成(北熊本)。第6高射特科群編成、那覇駐屯地開設
昭和48年 第1混成団編成。与座(現八重瀬)、コザ(現白川)、勝連、知念、南与座分屯地を開設
平成22年 第1混成団廃止及び第15旅団編成
【参考】
現15旅団の担任地域は、帝国陸軍では熊本6師団(管轄区域:大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県)が担任していた。
帝国陸軍第15師団は、日露戦争末期、師団総ての動員により本土駐留師団がなくなった事態を受け、明治38年(1905年)に創設された4個師団のひとつ。編成地は豊橋。
日露戦争後、講和条約で認められた朝鮮半島の警備に従事。大正14年(1925年)、いわゆる「宇垣軍縮」によって決まった4個師団廃止を受け、第13・第17・第18師団と共に廃止された。
第一次編成の第15師団の跡地には、近衛篤麿らの東亜同文会が設立した東亜同文書院の後裔である愛知大学(愛知県豊橋市町畑町)がある。
支那事変勃発後、三単位師団として再編成される。
昭和13年(1938年)4月4日に留守第16師団の担当で編成。支那大陸でわが占領地の治安維持にあたった。昭和18年(1943年)6月、第15軍(在ビルマ)に編入。インパール作戦に参加した。インパール作戦では作戦開始時1万5000名を越えた将兵の半数を失った。昭和18年末にはイラワジ会戦が行われたが、戦力を回復できぬまま戦闘加入。甚大な損害を蒙った。
1945年(昭和20年)8月タイに転進し同地で終戦を迎える。