伝統墨守・唯我独尊について
【質問】
3自衛隊を表現することばとしてよく使われる
陸:「用意周到・頑迷固陋」
空:「勇猛果敢・支離滅裂」
海:「伝統墨守・唯我独尊」
について、陸と空は理解できますが、海についてはその意味するところがよくわかりません。関係者の方に解説いただけないでしょうか。
【回答:ヨーソロさま】
「伝統墨守・唯我独尊」ですが・・・「伝統尊重・唯我独尊」という言い方も聞いたことがあります。
どちらにせよ、海上自衛官が自分で言出したことではないでしょうが、三自衛隊の特徴の比喩的表現としてよく使われています。私自身は、海自OBとして、この言葉にあまり悪い印象は持っていません。(^-^;)ゞ
以下に、私の承知している各言葉の由来を書いてみます。
1 まず、陸自の「用意周到・頑迷固陋」ですが・・・
昭和25年に警察予備隊が発足したとき、旧陸軍を一切否定して米陸軍のやり方を採用することから組織づくりが始りました。これは当時の時代風潮からやむを得ぬ面もあったでしょうが、この雰囲気は陸自時代になってからも継続され、防大卒業生が各部隊に配属され始めた頃でもまだその気分は色濃く残っていました。
旧軍の軍歴のある方々は既に3佐[少佐]以上の階級になっていましたが、歴史観、戦術思想、教育訓練、生活指導等の考え方で旧内務官僚出身の高級幹部と戦後世代の初級幹部からの板挟みにあってイヤな想いをするようなことも随分とあったようでした。
しかし、昭和40年代に入ってからはこの風潮も徐々に薄れ始め、旧軍の良かったところも少しづつ取込まれ、現在ではほゞ落着くところに落着いているように感じられます。
このような言わば「いじめられっ子」のパブロフ的防御反応として、陸自の「用意周到・頑迷固陋」が醸成されたように感じています。
2 次に、空自の「勇猛果敢・支離滅裂」ですが・・・
空自は旧陸海軍の航空部隊の歴史が比較的浅かったこともあり、陸自より更に素直に米空軍方式を取入れました。米空軍自身が戦後になって陸軍から独立し、航空技術革新の速さと相俟って、陸軍とは異なることをことさらに強調していた事情も反映されています。言わば日米共に根無し草的な発足と発展の歴史であったと言えましょう。
これに加えて陸軍航空士官学校出身者と海軍兵学校出身者の対立がありました。旧陸海軍の航空関係者が混然一体となって新空軍の建設に携りましたが、新制度の導入や教育訓練等において旧陸海軍の反目をそのまま引継いだようなテンヤワンヤが展開されました。この後遺症は前述の陸自よりもむしろ長く尾を引いたかも知れません。
この旧陸海軍の亡霊のような競争心と近親増悪が「勇猛果敢・支離滅裂」の由来なのですが、今ではもう少し良い意味に昇華しているようでご同慶の至りです。
3 そして最後に海自の「伝統墨守・唯我独尊」ですが・・・
海自は組織的にも構成人員的にも旧海軍をそっくり引継いで発足しました。昭和20年12月1日の海軍官制の廃止後、外地からの引揚げ・復員輸送や機雷処分・航路啓開のために残された組織が、海上保安庁を経て海上警備隊、警備隊、そして海上自衛隊と一日も途切れることなく引継がれて現在に至っています。
新海軍の再建に協力した米海軍も帝国海軍を好敵手として一目置いていましたので、海自は米海軍の優れた点は積極的に取入れましたが、海軍気質を始め旧海軍の良いところは伝統としてそっくり残すように努めました。昔も今も同じ自衛艦旗が象徴するように、海自は「帝国海軍の正統後継者」を自負しており、これが全海上自衛官のプライドになっています。
以上が「伝統墨守・唯我独尊」の所以ですが、陸空自や内局、警察、海保等の人達にはこのプライドがやゝ鼻に突くのかも知れませんね。
なお上記に関連して蛇足ですが・・・、防衛大学校卒業生の間では上に述べたような陸海空の対立意識は殆どありません。旧軍出身の先輩達の心情的不信感や対抗心がむしろ不思議に思えたものでした。
防衛大学校が50年余にわたって3自衛隊共通の士官学校として幹部自衛官[将校]の養成教育を行い、既に二万人近くの卒業生を出していることの意義を強く感じています。
先般の新統幕組織の発足も、防大の3軍合同教育の成果が結実したものであると言えましょう。
以上、ご質問のお答になっているでしょうか?ヨーソロの管見でした。