「徒歩パトロールPart2」 フランス外人部隊・日本人衛生兵のアフガニスタン戦争 Vol.30 (野田力)

2019年2月6日

ER314はじめに
 大阪府警が、役所の採用試験問題のようだった従来の試験内容を変更して、体育会系の警官希望者に有利な内容の試験内容にするという記事を読みました。
「本当は役所に務めたかった」と言って、警察を辞めてしまう新人が多いという問題等への対策とのことです。
 その対策がうまくいくかわかりませんが、より良い組織になるため試行錯誤する大阪府警の姿勢はすばらしいと思います。
徒歩パトロールPart2
 IEDの発見されたコンパウンドを出た我々は、村と荒野の境にある深緑の麦畑やケシ畑のあぜ道を通り、第1小隊の戦闘班につづいて村を目指した。
 なお、我々が活動していた地域では、ヘロインやアヘンになるケシが多く栽培されており、行く先々で目にした。アフガニスタンの法律でもケシ栽培は違法らしいが、我々フランス軍がケシを取り締まることは一切ない。
 ケシにより生計を立てている村人たちがいるので、もし我々がケシの伐採などしたら現地住民を敵にまわしてしまう。村人に混ざって潜伏する敵の情報を得るには村人の協力が必要だ。だから、村人を敵にまわすような取締りはできない。
 我々の標準規定で言われているのだが、アフガン国軍やアフガン警察がケシ畑の伐採や焼却を始めた場合、我々フランス軍部隊は早急に撤収し、村人から姿を隠す。そうすることで、ケシ取締りとフランス軍部隊は関係がないと村人に思い込ませ、敵視されないようにするのだ。
 ケシについては、敵が麻薬ビジネスで儲けた金で武器を買ったりしているうえに、そのケシからできたヘロインなどが世界中に流出しているので、フランス軍も取り締まるべきではあるが、話はそう単純ではない。村人との関係のほうが優先だ。
 やがて畑を通り過ぎ、我々は1.5mほどの高さの、横に長い土塀につきあたった。土塀の向こう側には、また麦畑が広がっているが、高い土壁に囲まれたコンパウンドがところどころにある。コンパウンドのひとつひとつが村人たちの“家”なのだが、まるで砦のように見える。
 土塀越しに麦畑を眺める。ここを通って第4小隊は村の西側へ向かったのだろう。私から見て麦畑の右側、つまり麦畑以北からコンパウンドの数が増えており、我々が今、この村のほぼ南端にいることがわかる。
 コンパウンドの内側は必ずしも住居とは限らない。内側がザクロなどの果樹園になっているコンパウンドもある。住居のコンパウンドは土壁が3m~5mくらいあり、果樹園や植林の場合は1.5m~2mなど、低めのことが多い。
 第4小隊は配置についているだろうから、我々第1小隊も急いで配置につきたい。我々は土塀に沿って少し進んだあと、両側が土壁に挟まれた幅約2m通路へと入って行った。通路沿いに連なる高さ2~3mの土壁は、コンパウンドの土壁であり、我々はコンパウンドとコンパウンドの間を歩いていることになる。まるで屋根のない土の廊下みたいだ。
 道はまっすぐな箇所もあるが、グネグネしたり、直角に曲がったり、交差点があったり、さまざまな形になっていた。幅が2mくらいある深い用水路までもが村のなかに来ており、村人の文明に感動したが、敵がこの地形をおおいに利用し攻撃してくるかもしれないと思い、気を引き締めた。
 壁の向こう側から手榴弾を投げ込まれるかもしれないし、壁より上にAK47小銃だけ出して乱射してくるかもしれない。先頭の隊員は敵と鉢合わせするかもしれない。先頭を行く隊員は、役割なので仕方ないとは言え、すごく勇敢だと私は思う。
 通路に第1小隊が入ったとき、ボーボニス曹長率いる我々指揮班は、戦闘班を2つ追い越して、最後尾ではなくなった。原則として指揮班は前後を戦闘班に守られる形で村のなかに展開する。
 ここから第1小隊は村の西側半分の区域内にある通路をグネグネとパトロールし、第4小隊は同じように東側半分を行く。中隊長班は第4小隊とともに行動し、アフガン軍小隊は第1小隊のあとにつづく。工兵小隊がどこにいるのか私にはわからないが、ついに敵捜索が本格的に始まった。
 2個戦闘班につづく指揮班における歩く順番は、まずボーボニス曹長とブラジル人通信兵がくっついて歩き、そのあと、第1小隊付き衛生兵のバラシュ一等兵、オアロ上級軍曹、そして私がつづく。班のなかでは間隔をだいたい2~3m開ける。
 後ろを振り向くと、6~8mの間隔をあけて、後方の戦闘班のセルビア人隊員がMINIMIを持って歩いている。そいつは長身なのでMINIMIがサブマシンガンのように見える。
 前後を戦闘班に固められているが、指揮班が安全であるわけでは全くない。敵はどこから攻撃してくるのか明確ではない。私は足元や土壁の上部などに警戒しながら進んだ。土壁を越える高さの樹木があれば、茂る枝や葉に隠れた敵がいないかなども注意する。少しは起こりうることだ。
 恐怖感はない。「さあ、仕事をやってしまおう。敵が視界に入れば撃てばいい。負傷者が出たら対処すればいい。ただそれだけのことだ」と自分の心に言い聞かせていた。そういう気持ちが恐怖感を排除していたのかもしれないし、負傷や戦死の可能性が実感できないくらい鈍感だったのかもしれない。
 我々が歩きつづけていると、ふと通路両側の土壁が途切れ、大きな麦畑が現れた。その麦畑はコンパウンドの土壁や土塀に囲まれている。
「休憩だ。」ボーボニス曹長が言う。
第1小隊と第4小隊の進み具合を調節するために我々の前進を中断するのだろう。我々は北に向いて麦畑を眺める感じで、コンパウンドの壁沿いに作られたあぜ道に座り、壁にもたれた。
 バックパックやアーマーの肩への負担がやわらぐ。私は深呼吸をし、バックパックから伸びるハイドレーション・リザーバーのチューブから水を飲む。目のまえの麦畑の向こうには、また土壁があり、樹木が土壁より遥かに高く突き出ている。その上には澄みきった青空が広がっている。
 そのとき青空に“ババババン!”と、短い連射音が響いた。
 条件反射が働き、私は飛びこむように麦畑に伏せる。ボーボニス曹長や通信兵、バラシュやオアロ上級軍曹も全く同じことを、ほぼ同時にやった。伏せるさいに、彼らがきれいに同じ動きをしたのを目にし、滑稽だったので、不謹慎だが私は微笑んだ。
 銃声はそれだけだったが、どこで誰が発砲したのかわからなかった。私の耳には村の東側、つまり我々第1小隊の担当区域で起きたように聞こえた。確実に言えるのは、私のいるところに向かって発砲されてはいないということだ。
 我々が立ちあがると、通信兵の背負う無線機に連絡が入り、その内容をボーボニス曹長が我々に説明をした。
「村の東端でGCPが敵に向け発砲した。敵は逃げたから我々のほうに来るかもしれない。」
 GCP(Groupement des Commandos Parachutistes)とは連隊の優秀な隊員で構成されるコマンド小隊だ。私はGCPが我々より東で活動しているとは知らなかった。曹長は知っていたようだ。
 曹長が言う。
「なあ、指揮班に衛生要員が3人いるのは無駄じゃないか?オアロとノダは戦闘班と一緒に行動したほうがいい。そうしたほうが、どこで負傷者が発生しても、なるべく速く対処できるだろう。」
 オアロ上級軍曹が答える。
「賛成です。私が前の戦闘班に行き、ノダが後ろの戦闘班に行くということでどうでしょう?」
「ああ、それでいい。」
 曹長はそう答えると、ヘルメットの下に被っているヘッドセットから伸びるマイクに言った。
「2班、3班、そっちに衛生要員を1名ずつ送る。」
 そのヘッドセットのコードは曹長のアーマーのポーチに入った小型無線機ER328につながっていて、この無線は小隊の班長のあいだでの交信に使われる。いっぽう、通信兵の背負う大型無線機ER314は中隊長、副中隊長と小隊長らのあいだでの交信に使われる。
 オアロ上級軍曹は前から2つ目の第2班に向かい、私は最後尾から2つ目の第3班に合流した。そこの班長でアルゼンチン人のデルトロ軍曹に私は言った。
「一緒に行動します。」
「よし、班の最後尾を務めてくれ。」
 鋭い目つきの軍曹が笑顔を見せながら、ドスの効いた声で言った。私は、よく知っている第3班の伍長たちや一等兵たちに「元気か?」と声をかけながら、班の最後尾についた。
 やがて小隊は前進を再開した。デルガド軍曹が班の先頭を歩き、6名の伍長・一等兵がつづき、そのあとを私が歩く。接敵はあるのだろうか?負傷者は発生してしまうのか?