「徒歩パトロール」 フランス外人部隊・日本人衛生兵のアフガニスタン戦争 Vol.29

2019年2月6日

Wikipediaより
はじめに
医療関係の知り合いに誘われ、救命講習のお手伝いに行ってきました。
AEDの使い方や心肺蘇生法、ケガの手当などの応急処置を教える講習なのですが、インストラクターのかたは、ただ教科書に沿って教えるのではなく、応急処置の実体験などを語りながら講習していました。
実体験のエピソードを聴くことで、受講者のかたがたも講習がより興味深くなったと思います。
私も、前回のメルマガ巻頭に書いた心臓マッサージの体験や、イラン人の同僚に腕を噛まれた体験などをお話しました。小隊内でおきたケンカをとめようとしたときに、当事者のイラン人に噛まれたのですが、このエピソードがとてもウケました。
徒歩パトロール
 2010年4月8日、朝。2日前に第2中隊の一等兵がヘルメットに被弾するという事態があったが、我々の士気は落ちてはいなかった。第3中隊のほとんどの兵士が、その一等兵を知らなかったからかもしれない。知り合いである同僚が被弾した場合、どうなるだろう。
 我々は車列を成して、COP46からCOP51まで北上した。COP51の外側に駐車し、徒歩で村に入る準備にかかる。COP46を出る前にバックパックの中身などはすべて用意していたので、VABから降りて、ともに行動する予定の小隊のところに行けばいいだけだ。
 私は運転席から降り、FAMASのスリングを首にかけた。VABの後部にまわると、観音開きの後部扉が開いており、オアロ上級軍曹とミッサニ伍長は出発準備を完了していた。
私のイーグル社製A3メディカルパックと、プルキエ少佐のキャメルバック社製BMFバック
 パックが、車両の奥から後部扉のそばまで引き出されていた。後部にいた2人がやってくれたのだ。少佐と私はバックパックを背負った。
「ノダ、行くぞ。少佐殿、ミッサニ、またあとで!」
オアロ上級軍曹が笑顔で言い、私は上級軍曹とともに第1小隊へと歩きだした。
 今回の任務は、タガブ谷のある村に入り、敵がいないかパトロールをするという「テロリスト捜索」だ。しかし、我々フランス軍には住居に入って敵を捜す権限はなかった。
 そこでアフガン国軍の出番だ。彼らにはその権限があるので、もし疑わしい住居があれば彼らが家宅捜索をする。我々はあくまでアフガン国軍とアフガン国家警察に軍事支援をするためにいるという建前だ。現地人のプライバシーに踏み込んだ活動はアフガン当局がやる。我々が他の国々の部隊と構成する国際部隊「ISAF」の「A」は「ASSISTANCE=支援」を意味するのだ。
 そういうわけで今回の任務は、アフガン国軍と我々第3中隊の合同作戦だ。参加するアフガン国軍の規模はわからないが、我々の近くで見かけたアフガン兵の人数を見るかぎり、一個小隊だ。
 いっぽう第3中隊からは2個戦闘小隊と中隊長班、そして我々医療班が参加する。医療班は2人ずつのバディシステムに分けられ、それぞれの戦闘小隊に編入される。プルキエ少佐とミッサニの2人は第4小隊に、オアロ上級軍曹と私は第1小隊に配置される。
 さらに、IED(即席爆発性装置)や地雷に対処する必要が生じた場合のために、工兵小隊が一個、我々のあとにつづく。第17工兵パラシュート連隊の小隊で、アフガン派遣前の演習をともに積んできた仲間だ。
 なお、VABの運転手は通常では車内待機になるのだが、今回私は例外とされた。衛生要員の必要が認められたうえ、村の中の道は狭いので車両は入れない。村の端までなら来ることができるが、もしその必要が生じた場合、車両整備班の運転手と車長が医療班のVABに乗りこんで来てくれることになっている。
 上級軍曹と私は第1小隊の小隊長でリトアニア人のボーボニス曹長に合流した。彼は筋肉の塊で、太短く見える。FOBトラの鉄棒で、彼がアーマーを着たまま懸垂を軽くこなすのを見たことがある。腰を痛めてしまいそうなので、私にはできない。
「きみら2人は我々指揮班に同行してくれ。」
ボーボニス曹長が言った。指揮班とは小隊長の班だ。我々はその班について行き、どこかで負傷者が発生したら、急行すればいい。
 指揮班には小隊長、通信兵、衛生兵、副小隊長、2名の狙撃兵がいるが、副小隊長と狙撃兵たちは、同じ第1小隊の4つある戦闘班のどこかで行動する。そのため、この日の指揮班は小隊長、通信兵、衛生兵、オアロ上級軍曹、私の5名だった。
 
 第1小隊の衛生兵はハンガリー人のバラシュという一等兵だ。衛生兵としては新人だが、ハンガリーでは陸軍士官学校にいたエリートなので、なにも心配はいらない。
「ブラック1、出発せよ。」
無線から中隊長の命令が聞こえた。
「ブラック1、了解。」
ボーボニス曹長が答える。
 私はFAMASの装弾レバーを少し引き、排莢口のボルトが少し後退した隙間に弾薬の一部が見えることを確認し、レバーを放した。弾は入っている。いつでも撃てる。
 第1小隊はCOP51と村のあいだの荒野を縦一列で歩き始めた。しかし、村へは直行せず、村の端から200~300mくらいのところで、村に面して横一列隊形になったところで止まり、銃を構えた。
 我々を追い越して、第4小隊が縦列を成して村へと向かっていくのが見えた。ひとりひとり5mくらいの間隔をあけている。班と班の間はもっとあいている。プルキエ少佐とミッサニ伍長の姿も見える。
 計画では、まず第4小隊が村へ入り、その後、第1小隊が入ることになっている。第4小隊が村の西側半分を、第1小隊が東側半分をパトロールしながら北上する。中隊長班は2つの小隊のあいだを行き来し、状況に合わせて指揮をする。そして、第3中隊のバックに工兵小隊とアフガン国軍部隊がつく。
 まずは、第1小隊の援護のもと、第4小隊が村へ入って行った。そして、第1小隊が出発するときが来た。まずは戦闘班が入っていく。
 村の手前に大きな遺跡のような大きなコンパウンド(現地の土壁の建物をこう呼ぶ)があった。上から見れば四角形の壁になっており、一辺が100mくらいありそうだ。部分的に崩れている廃墟だが、エジプト文明の遺跡のようで美しい。
 第4小隊はこのコンパウンドからやや遠くの道をたどって村に入ったが、我々第1小隊はこのコンパウンドを調べることにした。3つの戦闘班のうち、1班が壁が崩れたところから中へ入り、別の2つの班がそれぞれ左右の外壁沿いに歩いた。
 彼らが異常を発見することなくコンパウンドを通り過ぎたので、指揮班はコンパウンドの中へ入った。中は雑草が少し生えた広場になっており、はるか昔に見放された廃墟のようだった。戦闘班が中をチェックしたので、ほぼ確実に敵は潜んでいないと思われるが、我々は慎重に広場の中央を進んでいく。我々が入った入口の真向かいに出口はあった。
 そこも壁が崩れたところだ。かつてはここに扉があったが、古くなって扉が外れ、隙間ができたため、強度が低くなり、この部分が崩れたのだろう。遺跡と呼ぶより廃墟と呼ぶほうが正しいが、壁の色がエジプトのピラミッドのような色をしているので、映画「スターゲイト」の米兵になった気分がした。
 すると突然、ボーボニス曹長がつぶやいた。
「なんだこれは?」
曹長のほうを向くと、曹長と通信兵が足元の地面を見つめている。もっとよく見えるように曹長がしゃがんだ。そこから5mほど離れた私の位置からは、地面から5㎝ほど伸びた白い細いコードが見える。電気コードっぽく見える。IEDでなければいいが。
曹長が静かに言った。
「全員、離れろ。電気コードの切れ端が地面から出ている。念のために工兵を呼ぶ。」
我々は歩いて遠ざかる。曹長は無線で中隊長に報告するとともに、工兵を要請した。
 やがて、我々はコンパウンドの内壁に寄り掛かり座った。白いコードからは50mくらい離れている。少しすると工兵小隊の2名がコンパウンドに入ってきた。2人とも40歳くらいに見えるので、ベテラン工兵と思われる。実際の爆発物処理経験もあるかもしれない。
 曹長は彼らに歩み寄り、コードの位置に案内したあと、我々の座っているところに戻ってきた。工兵2人の手元は見えなかったが、スコップで地面を少し掘ったりするのを眺めていると、1人が我々のほうへ歩いてきた。
 「爆薬が見つかった。爆薬の量が多いから、もっと離れないとダメだ。このコンパウンドから出たほうがいい。」
 工兵はニヤニヤした顔でそう言った。こんなときにニヤつくのは異常に思われるかもしれないが、私はなんとなく理解できる。自分の本領を発揮できる喜びかもしれないし、実はストレスを緩和するための自然な心理的反応かもしれない。
 ボーボニス曹長が工兵に後の処理を頼むと、我々はコンパウンドの外へと歩いていった。曹長が言う。「地面からヒモが出ていて、よく見たら電気コードだったから変だと思ったんだ、ハッハッハ。」危機を回避すると人間は笑ってしまうものだ。
 後になって聞いたのだが、そこには25㎏もの爆薬があり、携帯電話の遠隔操作で起爆する仕組みのIEDだった。もし爆発していれば、我々はあの世行きだったはずだが、なぜ爆破されなかったのか?工兵がいくつかの仮説を話してくれた。
 最初の仮説としては、爆破の失敗が挙げられる。IEDの製造に不備があったり、携帯電話の遠隔操作に不備があったのかもしれない。つまり、不良品だったという説だ。
 次の仮説は、起爆装置である携帯電話を持つ敵が、爆破するタイミングが来るまえに逃げたというもの。コンパウンドに近づくことなく、まず第4小隊が村に入って行ったので、村からコンパウンドを見張っていた敵は起爆することなく逃げるしかなかった。
村に入る前にコンパウンドに入っていたら、危なかったかもしれない。
 次の仮説はIEDの放棄だ。敵はこの日より以前の別の日に、待ち伏せのためにIEDを仕掛けたが、全然フランス軍がコンパウンドに入らないので諦めてしまった。
 他にも仮説はあるだろうが、私が聞いたのは以上だ。とにかく自分たちが無事でよかった。このIEDは回収され、FOBトラ近くの荒野で爆破処理されたらしい。
コンパウンドを出た我々は村を目指した。
(つづく)