マーケット・ガーデン作戦はなぜ失敗したのか?




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前回までのあらすじ

 

 稿は「インテリジェンス活用の失敗」という観点からマーケット・ガーデン作戦が
失敗した理由を考察することを目的とし、考慮すべき論点として、(1)兵力見積りと
(2)地形判断の二点があると前回の連載で指摘した。

 

(1)の兵力見積りの点に関して、マーケット・ガーデン作戦では、情報提供する側に
あった情報コミュニティー(各国政府が設置している複数の情報機関すべてを指す用
語)は敵兵力の見積もりを誤らなかったが、正しい情報を提供された指揮官が、空挺作
戦を再検討するに値するに十分な情報を得ていたにもかかわらず、この情報が考慮に値
するとは考えなかった。

 

ドイツ軍が抵抗不能なまでに打ち負かされているという観念が、マーケット・ガーデン
作戦直前期の連合軍首脳部の共通理解であり、結果として、複数の理由から、できるだ
け迅速に作戦計画を実行したいという過度の希望が存在した。では、その理由とはなん
であろうか?

 

 

なぜ、連合国の高級指揮官は、作戦実行を焦ったのか?

 

 1の理由として、アイゼンハワーもモントゴメリーも、戦争が意外なほど早く終結
する前に空挺作戦を実戦で実験してみたいと熱望していた。アーカット少将の伝記を書
いたジョン・バイネス(John Baynes)は「9月初め、アイゼンハワー以下全てのレベル
の指揮官が、クリスマスまでに戦争が終結すると話していた。空挺部隊を全面的に使用
することなく戦争が終結することは、多額の支出と多くの努力が捧げられた空挺部隊創
設にとって、考えられないことであった」と指摘している。

 

 これに加えて、「ブラウニングが第2次世界大戦の戦闘で未だ部隊を指揮したことが
無かった」ため、ブラウニングが空挺部隊の使用を強く希望していたというアーカット
少将の証言もある。

 

 そして、コーネリアス・ライアンも『遥かなる橋』の中で、米陸軍航空隊司令官ヘン
リー・アーノルド元帥や米陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル元帥が、実戦での空挺部
隊使用を強く望んでおり、あらゆる機会を利用してアイゼンハワーにできるだけ早い機
会に空挺部隊を使用するよう催促したと述べている。

 

 第2の理由として、モントゴメリーは、ドイツに「最後の一撃」を与えた栄誉をイギ
リスが確保したいと望んでいた。イギリスがアメリカ参戦以前から長期間ドイツと戦っ
てきたことを考慮するならば、このことは理解できる。さらに、パットンの第3軍がノ
ルマンディ地方の突破に成功したので、モントゴメリーにとって事態は急を要するもの
となった。このことを裏付けるような次のような証言がある。「モントゴメリーはパッ
トンの輝かしい成功を見て悔しがっており、慎重であるという彼の評判とは対照的に、
イギリスによって戦争を終結させるための絶妙的な手段を追求していた」。実際に、あ
るインタビューの中でアイゼンハワーは、モントゴメリーが「アメリカが、戦争努力に
おけるアメリカの役割にふさわしい栄誉を受けない」ことを確実にするよう個人的に意
図していた、と述べている。

 

 

地形判断のミス その1:降下地点選択のミス

 

 ーケット・ガーデン作戦を失敗させた情報の失敗のもう1つの問題として、地形情
報が不正確であったという指摘がある。マーケット・ガーデン作戦の計画立案者は、
(1)降下地点を適切に選択する、(2)アルンヘム及びその他5つの橋へ至る最良の
接近路を決定する、という2つの理由から詳細な地形情報を必要とした。

 

 マーケット作戦についての米軍公刊戦史は、降下地点が目標からあまりにも遠くに設
定された(目標の橋から約6〜8マイル離れていた)責任を地形及び敵対空砲火の密度に
ついての情報の誤りに求めている。オランダのレジスタンス組織がアルンヘム付近に存
在したことを考慮に入れるならば、正確な情報が入手できなかったことは、不可解なこ
とのように思える。

 

この問題でも再び、問題の本質は、意思決定者が使用可能な情報源を信用するか否かに
かかっていた。ある米国の戦史研究家は、オランダのレジスタンスが「ヨーロッパのレ
ジスタンス組織の中で、最も高度に組織され効率的なレジスタンス組織の一つ」である
と、激賞している。しかし、モントゴメリーはオランダのレジスタンス組織に疑念を持
ち、不信感を抱いていた。9月6日、オランダのベルナルド皇太子が、オランダから即座
にドイツ軍を追い出すことが連合国最大の関心事であると、モントゴメリーを説得しよ
うとした。この時、ベルナルド皇太子は、オランダのレジスタンスからの報告はドイツ
軍が退却中であることを示唆しており、ドイツ軍はほとんど抵抗しないであろうと、モ
ントゴメリーに語った。この発言に対しモントゴメリーは次のように回答した。「私は
これらの報告を信じない・・・なぜならば、ドイツ軍が9月2日以来退却中であるという
レジスタンスの主張は、ドイツ軍が現在も今もなお退却中であるということを必ずしも
意味しないからである」。さらに、モントゴメリーは「殿下のレジスタンスが、我々に
とってあまり役立つとは思えませんな」との暴言を吐いた。ベルナルド皇太子は、モン
トゴメリーがオランダのレジスタンスによって送られた情報を全く信用していないとい
う印象を抱きながらその場を去った。つまり、オランダのレジスタンスが提供した正確
な情報は、モントゴメリーにより、全く無視はされていないまでも、少なくとも十分活

用されなかったのである。

 

 アルンヘムでの降下地点が目標とする橋梁から離れていた問題について、もう1つの
理由が存在する。その問題とは、アルンヘムに所在した橋梁周辺の対空砲火網が濃密で
あったということである。実際、アーカット少将の伝記を書いたジョン・バイネス
(John Baynes)は、この懸念が橋の近くに空挺部隊が降下しなかった主要因であっ
て、軟弱な地形が主因ではないと指摘している。ここで再びこの問題を幅広い視点から
再検討してみると、この懸念は、ドイツ軍がたいした抵抗を示さないだろうという作戦
実施前のモントゴメリーの確信と一致しない。この作戦の総司令官であるモントゴメリ
ーは、ドイツ軍が大した抵抗を行わないと信じていたならば、橋を確保することの重要
性を特に考慮して、空挺部隊がより橋に近いところに降下するように命じるべきであっ
たのである。

 

 

地形判断のミス その2:アルンヘムへ至る最良の接近路選択のミス

 

 イマン・B・カークパトリックは、アルンヘムの地形の誤判断やドイツ軍の戦闘意
欲の計算ミスを上回る最も致命的なミスは、第30軍団がベルギー国境からアルンヘム間
の限定的道路網に沿って適切な速度で前進できるという想定にあったと指摘している。
ミューズ運河にかけられた第1の橋からアルンヘムの第6の橋までの間の地形は、ポルダ
ーと呼ばれるオランダ特有の干拓地や、堤防、堤防道路(洪水対策のために盛り土の上
に作られた道路)、容易に防御可能な水路・運河が混在していた。これらの運河、軟弱
な土壌、多数の排水路及び堤防が存在するため、機甲部隊である第30軍団の車輌梯隊
は、アルンヘムへの接近経路の大部分を道路に限定されることになった。たぶん最も顕
著な地形的特質は、植生の範囲と濃度である。ほとんど全ての道路の片側には木が植え
られており、木や潅木が平原や堤防を覆い隠していた。このため、葉が生い茂る春・
夏・初秋の間は、周囲の展望がききにくかった。

 

モントゴメリーらの高級指揮官だけでなく情報コミュニティー関係者も、この問題に関
してオランダ人の助言を仰ぐべきであった。オランダ人の将軍たちは、ブライアン・ホ
ロックス中将率いる英第30軍団が使用しようと計画しているルートを知った時から、敵
から丸見えの堤防道を使用することの危険性を警告する事により、このルートの使用を
思いとどまらせようとした。ある軍事専門家は、「我々は、この問題について数え切れ
ないほどの研究を行った。我々は、戦車が歩兵の随伴無しにこれらの道路に沿って作戦
行動を実行できないことを知っている」と述べているし、「オランダ参謀大学入試の試
験問題の1つが、ナイメーヘンからアルンヘムを攻撃するための正しい方法についてで
あった。(A)幹線道路を直進する、(B)1〜2マイル直進し、左方向に向きを変え、ラ
イン川を渡河し、側面包囲行動を取る、という2つの選択肢が存在し、幹線道路直進を
選択した者は不合格となり、左方向に向きを変えライン川まで機動することを選択した
者は合格した」というオランダ人将校の証言もある。

 

さらに、ホロックス中将自身がこの計画に不安を抱いていた。実際に、彼の自伝におい
て、ホロックスは、「(この地域の)地形は、砂漠さえもが子供のお遊びであるかのよ
うに思える」ほど困難な地形であることを十分に認識していたと述べている。さらにホ
ロックスは、アルンヘムへの代わりとなる道路が考慮されていないという印象が存在し
たので、取るべき接近経路は唯一しかなかった、とも回想している。このことは、オラ
ンダ人がこの重要な問題について一度も相談を受けなかったというベルナルド皇太子の
主張を裏付けている。

 

地形及びその他のあらゆる要素に基づき最良の接近経路を決定することは、情報コミュ
ニティーが担当すべき問題である。英第30軍団が使用するルート選択の問題では、情報
の欠如がマーケット・ガーデン作戦の成功を妨げたと指摘できなくもない。

 

 

おわりに 〜マーケット・ガーデン作戦失敗の真の原因〜

 

 説のように、情報の見落としや情報の誤りがマーケット・ガーデン作戦の失敗に
繋がったとするのは、幾つかの理由から不公平な見解であるといえる。

 

まず第1に、情報がドイツ軍の兵力及び能力を正確に把握するのに失敗したというのは
真実ではない。作戦決行の2日前には、連合国軍最高司令部情報主任ケネス・ストロン
グ少将が、第9・第10SS機甲師団がアルンヘム付近に存在することは絶対疑問の余地が
ないとの報告を出している。さらに作戦前日の情報要約(INTSUM)には「第9SS機甲師
団、それに恐らく第10SS機甲師団も、オランダのアルンヘム地区に撤退中であると報じ
られている。彼らはそこでクレフェス地域にある兵器廠から新しい戦車を持ってくるだ
ろう」と、ドイツ軍の兵力及び位置を正確に報じていた。

 

以上のように、この作戦の計画立案者及び意思決定者は、正確な情報も正確な情報分析
も入手可能であった。確かに必ずしも全ての情報要約(INTSUM)が一致していたわけで
はないが、さらなる調査活動や作戦を中止するような注意心を喚起するに十分な情報は
意思決定者に提供されていた。

 

しかし、これらの正確な情報はドイツ軍の崩壊が近いという楽観的観測から無視され
た。当時の連合国軍司令部に充満していた楽観主義についてアーカット少将は、「海峡
を渡って広く流れてくる楽観主義にケチをつけることは少しも許されなかった」と述べ
ている。そして、ドイツ軍が戦車を装備していることを報告した第1空挺軍団の情報将
校アーカット少佐(アーカット少将とは別人)は、司令部内で「非常に目障り」な目で
見られ、先任参謀から「彼の見解は神経衰弱で参っている証拠だ。彼は少しノイローゼ
気味」だとして、休養のためイギリス本国への帰国を命じられた。

 

第2に、アルンヘム周辺の地形を正確に評価することに失敗したことが連合軍空挺部隊
の降下地点を、目標の橋梁から6〜8マイル離れた場所に設定させる原因となったという
のも真実ではない。実際のところ地形の問題は瑣末的な問題だ。さらに重要なことは、
モントゴメリー自身がこの問題について食い違う証言を残しているという点である。も
しモントゴメリーが、ドイツ軍兵力があまりに弱体化しているので第30軍団の脅威とは
ならないと考えたならば、ドイツ軍が空挺部隊の脅威とはならないと考えないことが考
えられるであろうか?モントゴメリーは、ドイツ軍が大した抵抗を行わないと信じてい
たならば、橋を確保することの重要性を特に考慮して、空挺部隊がより橋に近いところ
に降下するように命じるべきであったのである。

 

明確に情報の失敗といえる問題として、アルンヘムへの代替ルートについてのオランダ
側との調整不足がある。確かに、地形及びその他のあらゆる要素に基づき英第30軍団が
使用すべき最良の接近経路を提示することは、情報コミュニティーが担当すべき問題で
ある。しかし、この問題が、マーケット・ガーデン作戦を失敗させた真の原因ではな
い。情報コミュニティーの名誉のために述べるならば、情報コミュニティーは、既述し
たように、第30軍団が進撃するルートの困難性を正確に報告していたからである。

 

もしこの作戦失敗の責任を負うとするならば、二つの理由から、マーケット・ガーデン
作戦失敗の責任は、何としてでも作戦を実行しようとした戦略・作戦レベルの計画立案
者達の上に存在する。

 

第1の理由は、ドイツとの戦争が突然終結する前に、空挺作戦を実行しようという圧力
の高まりの存在である。

 

第2の理由は、イギリスがドイツ降伏の最後の一撃を加えたという名声を獲得するため
に、モントゴメリーが作戦実行を急いだという点である。

 

第2の点に関して、イギリス第2軍司令官マイルズ・デンプシー大将が、モントゴメリー
が情報をかなり歪曲して解釈したという証言を提供している。コーネリアス・ライアン
によると、デンプシーは、アルンヘム周辺にドイツ軍が増強されているというオランダ
側の報告を信用し、この情報に基づいてモントゴメリーを説得しようとしたが説得は失
敗に終わった。さらにデンプシーは、この情報を第1空挺軍団長ブラウニングに送付し
たが、モントゴメリーがこの情報を支持しなかったので、この情報は信用されなかっ
た。

 

コーネリアス・ライアンによると、作戦実行に悪影響を与えそうな、ドイツ軍機甲師団
がオランダに存在するという報告は、モントゴメリーの司令部では無視されたという。
モントゴメリーは、「我々は、第2SS機甲軍団が事実上戦闘不能であると想定するとい
う誤りを犯した」と戦後になって回想している。しかし、以上の考察から結論を出すと
するならば、モントゴメリーが間違っていて、彼の部下全員を彼の意見に同意するよう
説得した、といったほうが適切である。

 

マーケット・ガーデン作戦に関する限り、情報コミュニティーは正しい情報分析を行っ
ており、従来指摘されたようにこの作戦が失敗した原因を情報のせいにするのは誤りで
ある。この作戦が失敗した責任は、戦争終結までに空挺作戦を実行したいがために、リ
スクを知りながら情報コミュニティーの警告を無視して作戦を強行した作戦計画立案者
にある。そして、自分の状況判断と食い違う情報報告や、作戦実行を阻止するベクトル
を持つ情報報告を無視した、マーケット・ガーデン作戦の総司令官モントゴメリー元帥
がこの作戦失敗の責任を一身に負うべきなのである。

 

 

(おわり)

 

 

<参考文献>

 

コーネリアス・ライアン『遥かなる橋』(早川書房、1980年)

 

バーナード・L・モントゴメリー『モントゴメリー回想録』(読売新聞社、1971年)

 

K.R.グリーンフィールド『歴史的決断』(筑摩書房、1986年)

 

Baynes, John. Urquhart of Arnhem. London: Brassey‘s, 1993.

 

Betts, Richard K. Analysis, War, and Decision: Why Intelligence Failures are
Inevitable.“ In Power, Strategy, and Security. Edited by Klaus Knorr. Princet
on:Princeton University Press, 1983.

 

Hamilton, Nigel. Monty. New York: Random House, 1981.

 

Kirkpatrick, Lyman B. Jr. Captains Without Eyes. London: The Macmillan Company,
1969.

 

Macdonald, Charles B. U.S. Army in World War II, The Siegfried Line Campaign.
Washington DC: Office of the Chief of Military History, US Army, 1963.

 

Urquhart, Brian. A Life in Peace and War. New York: Harper and Row, 1987.

 

Warner, Philip. Horrocks: The General Who Led from the Front. London: Hamish
Hamilton Ltd., 1984.

 

 

 

(2012年2月2日配信)

 

 

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無残な失敗に終わった、第二次世界大戦の連合軍による「マーケット・ガーデン作戦」。なぜ、マーケット・ガーデン作戦が失敗したのかについて、指揮官の情報活用の点から分析してみたい