宮廷画家ゴヤは見た!Goya's Ghost

2020年3月12日

今回は、講座開始の前に、スペインに関するもので、時期的にもみなさんに一
見を勧めておきたい大変興味深い映画があります。

『宮廷画家ゴヤは見た!Goya’s Ghost』( http://www.goya-mita.com/ )です。
専門的な映画批評・評論(監督、俳優、ストーリーなどの諸々の詳細点)や上
映館並びに上映開始時間など、ハード面・ソフト面の分析については、上述サ
イトやグーグル検索の方をご参考ください。
本講座では、この映画について、戦略、情報、軍事といった一般とは異なった
観点から、幾つかの面白そうな点を指摘して、生兵法を脱し(最も重要な基本
的思考法は、「生兵法は大ケガの基と謂われますがその意味を教えてください」
2006.1.1:http://sonshi.jp/sub70.html を必ず参照しておいてください)、
あなたの「兵法センス」に磨きがかかるようにしたいと思います。
第一のポイント、それは、スペイン人俳優ハビエル・バルデムが演じている
“ロレンソ神父”の有する思想の遍歴と彼自身の生き様でありましょう。
革命思想の兆していた18世紀末のスペインで、異端審問所(*)を”中興”さ
せたガチガチのカトリック(所謂、当時の保守的立場からすれば”原理主義的”
と言えましょう)であったロレンソ神父(ハビエル・バルデム演)が、何と異
端の容疑で拘束されていた少女(「スター・ウォーズ」や「レオン」のナタリ
ー・ポートマン)に面会・尋問の際に手を出して妊娠させてしまったことで身
を追われ、フランスに逃亡してしまいます。
(*)異端審問所(Inquisicio’n:インキシシオーン)とは、宗教的な要素よ
りも、むしろ一つの政体の中での内務省的な要素を多く含むような・・・公的
かつ権力的な機関でもあり、所謂、思想警察・思想検事・思想裁判の三つを兼
ねたようなところがあります。
「スペイン史」というより、組織管理(モラール:士気の維持)、”督戦”に
関する方法論などをキーワードとして、戦略と情報の観点から見つめ直すと色
々と興味深い点が発見されるでしょう。
(”スペインの異端審問所”は、また別の意味で”特殊な性格”を有していま
す。現在、書店で発売中の『属国の防衛革命』の兵頭二十八氏との共著者・太
田述正氏による「アングロサクソン文明と軍事研究ブログ」
http://blog.ohtan.net/archives/51150809.html )に興味深い解説が行わ
れておりますので、ご参考になさってください。)
逃亡先のフランスで、このロレンソ神父は、すっかり革命思想に転向してし
まって、「不犯の身」であった神父から、一転して、結婚もして数人の子供も
もうけ、ヴォルテールやルソーを礼賛し、「自由や平等や民主の思想に大いに
覚醒し過去を改心」する「フランス魂のスペイン人」になっていたのでした。
そして、何と侵略側であるフランス軍に所属し、フランス軍と共に、自らの祖
国スペインに侵攻して来て、”異端審問所の思想”を取り締まる新しい思想を
宣撫する役職を担い、かつてのカトリック教会での上司を逮捕し、今度は「フ
ランス式の自由思想・民主思想」で以て裁きを下し、死刑を宣告するのでした。
しかし、対仏ゲリラ戦の活発化、イギリス軍の参戦から形勢が逆転します(こ
れは映画のシーンにも取り入れられています)。妻子と共にスペインから脱出
する途中で”スパニッシュ・ゲリラ”の襲撃を受けて捕虜となり、今度は、死
刑を下した教会の上司が判事となった法廷で死刑を宣告され、公開処刑(残酷
ではなくて当時のならわし)されるのです。
このロレンソ神父の「生き様、死に様、無様・・・」には、何となく「戦前・
戦中」と「戦後」の某旭日旗をシンボライズしている権威筋大手マスコミ・・・
とか、某帝国大学の御大教授あたり・・・とかの”白から赤へ”とかの比喩で
捉えることも出来ましょう「傾奇ぶり」では済まされない「転向ぶり」などと
「オーバーラップ」してしまうところがみなさんには大変面白いところである
・・・と思われます。
(所謂・・・今日における「外国魂の日本人」と「大和魂の日本人」の”格差
社会”の現実こそ、現代日本の特徴となりつつあるところとも比較すると興味
深いと思います。)
最後は、ロレンソ神父は、フランス風の革命思想を諦めないというよりは捨て
きれなかったのか、それを貫き通し、「スペイン風に」処刑されてしまったの
でした。
このスペイン風の処刑に”ガロット”という刑具が登場します。”一般的なも
の”(ヴァリエーションあり)には、先ず、罪人を背もたれ式の椅子に固定し
て座らせ、鉄製の首輪をはめます。次に、処刑人が罪人の背後からハンドル式
になっている首輪の締め付け装置を回転させます。すると、ボルトが前進して
行き、罪人の首の後ろを圧迫すると同時に前にはめられた首輪で窒息死させる
という一種の絞首刑です。が、スペインはもとより、ラテンアメリカの植民地
でも長らく使われたスペイン特有の死刑執行の方法でした。
死刑には斬首系もあれ、絞首系もあれ・・世界にはそれぞれの共同体の有する
「世界観」に従い、幾つかの”処刑”の方法論が見られるようですが、スペイ
ンは”絞殺”(窒息死タイプ)が特徴的と言えましょう。
この映画には、異端審問所での拷問を通じての告白を迫るシーンや、無実の異
端容疑をかけられた少女の父親がこのロレンソ神父の身柄を逆に拘束して、拷
問を通じてあることの宣誓に無理矢理に署名させるシーンがあります。人
とは肉体的にも精神的にも「苦痛」というフィルターなるものに濾過されると
非常に脆い点(白も黒も無く、有るのは”無色”の一点のみで、そこを”操作”
すること)が存在していることを痛感させられる作品でもあります。
「本格的で的確な拷問をかけると、どんな特殊訓練を積んだ手練れの者でも必
ず口を割る。拷問に堪え忍んだと言っている者がいるが、それは拷問をかける
方が”へぬるかった”だけ」とは、かつての特務機関関連のようなところでは
伝えられたことでありましょう。
京都・河原町三条東入ルに記念碑が建てられている、新撰組の大活躍で有名な
「池田屋事件」にしても、そもそも、新撰組が身柄確保した”貝になりたい”
容疑者に対する尋問に一切手を抜かず、今では考えられないような拷問を通じ
て、見事、告白させた情報から、その武功が生じたものであることを思うと、
この映画の意味も少しは異なった観点から鑑賞を楽しむことができましょう。
久しぶりに・・・というか珍しく・・・スペインをテーマとした「重い作品」
が日本で公開されていると思います。
映画の中の台詞やシーンが全体的に興味深く、ナポレオンの言い分、フランス
軍の所業(侵攻先での民間人への暴行や虐殺)、フランス軍司令官による部下
兵士への激励の言葉、異端容疑の少女の家系について、家族中では父親が秘密
にしていた先祖の出身地を異端審問所が調査して父親を驚かせるところ、少女
が長年の拘束でボロボロ(恐らく、かの黒田如水が摂津有岡城にて荒木村重に
拘束されて後、解放された際の姿もこのようであったのか・・・と思わせるよ
うなシーンです)になって”侵略軍”のフランス軍に解放されたり、GHQと敗
戦日本のドサクサ(解放という言葉の意味)とも重なり、114分という上映時
間は、途中で飽きが来ないものとなっています。