【第66講】スペイン語文法入門―兵法的外国語学習への誘い―(その44)
人とは・・・如何なる制約、条件の中で生きて死んでいるのか?
それは、三次元の肉体があるから・・・即ち「空間」の内に存在していることは誰で
も分かりますが、その空間の中には「時間」が流れており、時間は二度と繰り返すこと
はないという特徴があることは日常的にあまり意識的に接してはいないものです。
時間は、流れている・・・それと正比例して肉体は”老”に化して行く・・・ここか
ら、不老不死を考えてみたり、生きることに焦りを感じてみたり、あるいは楽観したり
悲観したりもするのです。
今回は、先ず、時の概念について学び、次に「言語で時を表現」する「時制(テン
ス)」というものについて観察して行きましょう。
☆時制(テンス)について
時制に関するキーワードは、自然時間(タイム)、文法時間(テンス)、現在、過
去、未来、現在/非現在、二分法・・・などがありますので、ここで記憶の中に少しだ
けでも止めておくと解説が分かりやすくなります。
☆時制の考え方について
私たちが話をするとき、言及している内容が、現在、過去、未来のどこで起るのか?
によって、それぞれ動詞の語尾を変化させ、「時」という概念について表現し、また、
相手から聞いて話しをしている出来事や事象が”いつ”のことなのか?を理解していま
す。
では、「時」とはどういうものなのでしょうか?
次に観察を進めて行きたいと思います。
☆自然時間(タイム)=物的制約を受ける時間について
「時とは、未知の過去から永遠の未来に向かって流れるもの」というロマンチックな
表現があります。時については、いろいろと説がありますが・・・荒っぽく簡単に分か
りやすい例にしてみると・・・地球が生まれてから約・・・47億歳になっている?と
考えてみてください。そして、あと太陽が膨張して地球も星の命運の尽きる時がやって
くるまで20億年はかかると?考えてみてください。
ここで大変、荒っぽい比較になって恐縮ですが、一円玉を例にして・・・一円玉一枚
を一年(良い日も悪い日も、暑い日も寒い日も、悲しい日も嬉しい日も皆ひっくるめ
て)と捉えてみてください。
それを地球が既に過去に過ぎた年の分・・・一円玉を47億枚ですが・・・
それと・・・後に残る未来の20億枚ですが・・・を目の前に積んだとイメージしてみ
てください。恐らく、ダンプあたりで持って来なければなりませんし、目の前には一円
玉が小山のようになっていて、もし、それらを普通の規模の部屋にドドドーと入れる
と・・・生き埋めになってしまう位の量です。
あなたは、大きな一円玉の小山の麓に立ち、そこから・・・あなたが生きるであろう
年齢、即ち、漢字で表現するところの「寿」(いのちながし)の概念をそのまま素直に
享受するとして、”そう思う枚数”を取ってみてください。
遠慮することはありません。今や80年位の寿命(天の与えた命)は軽く行く・・・と
仮定して、100歳まで生きるとして・・・目の前の一円玉の小山から両手で100枚
程度すくってみてください。
47億年の過去と20億年の未来の間に、100枚の人生がある・・・本当は、十数
枚あたりは返却しなければならないとか考えているかも知れませんが・・・
では、両手に乗って、まだ余裕がある一円玉100枚をチャラチャラチャラと目の前の
小山に戻してみましょう。吹けば飛ぶような一生なのか?ですね。
一人の人間の生きる時間とは・・・大きさの単位で考えると、人の一生といっても
宇宙からみれば、あたかも細菌以下の大きさなのか?
宇宙の過去と未来から眺めてみると、人が一生の間に生きる時間など、あるのかない
のか分からない位です。
しかし、これから一食でも抜けば、お腹は空くし、水も飲まなければ喉も渇くし、
寝なかったら倒れるし・・・近いうちにあれこれやりたいこともあるし・・・これが人
なのであります。時間は、貴重です。
では、話を戻して。
過去は、どこにあるのでしょうか?
また、未来は、どこにあるのでしょうか?
それらは、どこそこにある・・・というものでもなく、全て私たちの「現在」の
「心の中の一点」に瞬間、瞬間、瞬間にあるものです。現在なくしては、過去も未来も
ありません。現在=今の一点が本当は、過去と未来の基本になっているのです。
この時については・・・天文学的には、一年=365日、一日=24時間、一時間=
60分、一分=60秒という数字を計測して的確にとらえることができます。
「時刻」という言葉はこの通りで、一見したところ訳の分からない時の流れを目印に
刻んで計測して・・・解るようにしたものです。人とは、「時が刻む目盛りを目安に」
して行動して行くのですから、今現在の”位置”を知ることができるのです。
この時間の流れが、人が産まれて、生きて、老いて、死んでということです。
時間の流れとは、生命そのものであるといわれます。流れがあり、二度と逆行は出来
ません。このような絶対的な立場にある時間を「自然時間」(タイム=二度と返ること
がない時間)と言っています。
☆言語時間(テンス)=自由なイメージが許される時間について
人の頭の中で、今現在のことを認識すると、直ちに蓄積されて過去の情報となり、
未来に対する準備が出来上がります。そして、未来は、今現在に流れ込んで来ていま
す。
ここから次のようなことが分かります。即ち、人は、一度目を閉じると、「今その時
に」過去のことを思い出して過去へ帰ることができますし、「今その時に」未来のこと
も予測してあれこれと想像や空想をすることができます。今現在にいながら、今のみな
らず、過去にも、未来にも、いろいろと思って言葉で口に出して言うことができるので
す。
このように、人間とは、言葉の中では、自由に過去も未来も行ったり来たりすること
ができます。言語における「時間」というものは、自然時間とは異なり、絶対的なもの
ではなく、私たち一人一人の中にあるものです。
特に、この「言語時間」のことを「時制」(=TENSE)と言って、自然時間(=TIM
E)と区別しています。この言語時間は、大体、一人の人間の寿命ぐらいの「間隔」、
「長さ」があります。
要するに、過去時制といってみても、日常表現では、いつも1万年前とか10億年前
のことを言及することに使いません。また、未来時制といってみても5千年後とか太陽
系消滅後について・・・語ることもありません。
つまり、人とは、宇宙の時間の大きさから比べてみると・・・たかが知れている時間
の区間を表現しているだけなのです。そして、その殆どが「自分の裁量を問題」にし
て、また「その基本を自分に置いて」いるものです。
人とは、遠くを見ているようで近くしか見ていないものですし、細かい音に敏感なよ
うでいて、その全てを聞き分けているものではありません。小鳥が猛禽類の餌になるの
も同じような理屈からでありますが、人の使う言語にしても興味深い点でありましょ
う。
☆現在時制について
「今、ここにある私」が基準になっています。
言語における「時制」と言えば・・・次のような表裏一体の”対立構造”になってい
ます。即ち:
ア)「今現在においていうこと」
イ)「今現在以外の全てにおいていうこと」
という”二分法”でとらえるのが普通です。
これを漢字で要約すると・・・「現在/非現在(=済んだら過去・これからが未
来)」という図式になります。
☆過去時制について
過去時制とは、現在時制と区分されています。「過去のその時に起こったこと」を
いうものです。日本語では、「~シタ」という完了の相(アスペクト)を表す過去の
表現と、「~シテイタ」という不完了の相を表す過去の表現があります。
スペイン語でも、過去を表すのに二つの表現方法があります。スペイン語でも日本語
と同じく過去の「時」において、「間」を表すアスペクトについて”~シタ”のか
“~シテイタ”のかを言及します。(本講座の下の方で習いますよ!)
☆未来時制について
これから来る時間で起こると予想されることを言います。過去や現在と未来が異なる
点は、「事実が存在しない」ところで、そこから推量や予想の「想念」でもって未来時
制は表現されるのです。日本語では、「~ダロウ」という表現が未来時制であると考え
られますが、これは、「推量の助動詞」です。
例)食べル-ダロウ:現在の時制を表すものが未来時制に適用
食べタ-ダロウ:過去の時制を表すものはそのまま過去での推量へ
英語の場合には、will:”意志”を実行する時=今でなくこれから
shall:”義務”を実行する時=今でなくこれから
で共に「これから流れてく来る時間にやること」を指して「未来時制」を構成している
のです。
スペイン語の場合、英語のshall(義務)を表現する方法から未来形が出来ています。
そして、未来だけは、事実のつかめないところから、「推量」の意味が出て来たので
す。(未来時制は後日学習します。)
☆スペイン語の二つの過去時制について
ここでは、スペイン語の直説法の二つの過去時制について見て行きましょう(接続法
のにも過去時制はありますが、それは、もう少し後で・・・学びます)。スペイン語の
過去には相(アスペクト)の完了/不完了の対立に従って二種類の活用による表現があ
ります。
1)直説法完了過去(preterito perfecto)
過去において、単純に行為の終了を表します。別名、時間の流れの上では”点的”に
捉えるので、「点過去」と呼ばれます。活用は、-ar動詞/ -er, -ir動詞の二種類に
分かれます。√語根+活用語尾のパターンは、現在時制を習った時と全く同じです。
例)
yo habl-e com-i viv-i
tu habl-aste com-iste viv-iste
Vd., el, ella habl-o com-io viv-io
nosotros,-as habl-amos com-imos viv-imos
vosotros,-as habl-asteis com-isteis viv-isteis
Vds., ellos, ellas habl-aron com-ieron viv-ieron
対応する日本語は、全て「~シタ」と訳しましょう。過去における一回きりの動作や
行為が単純で、連続性がないという「完了」の相(アスペクト)、即ち、間が短くて
時間の流れの中で点的に捉えられること・・・について述べるものです。
例)
Salieron cinco muertos en el accidente. その事故で五名の死者が出まシタ。
Fernando hablo del programa フェルナンドは、その番組について話しをシタ。
補足)不規則動詞について
次のようなパターンがあります。即ち、直説法完了過去のための√語根+不規則動詞
用活用語尾です。あなたは、√語根と、不規則動詞用の活用語尾だけ憶えるのみで済み
ます。
tener(持つ) = tuv- andar(歩く) = anduv- estar (ある)= estuv-
poner(置く)= pus- poder (できる)= pud- saber (識る)= sup-
venir(来る)= vin- querer(欲する)= quis- hacer (する)= hic-
以上の√語根に:
-e
-iste
-o
-imos
-isteis
-ieron
を加えるだけでできあがりです。
hacerは、第三人称単数が発音と綴り字の関係から”hizo”になります。
また:
decir(言う) = dij- traer(持ってくる) = traj-
traducir (翻訳する)= traduj- conducir (運転する)= conduj-
のようなパターンは、第三人称複数が”-ieron”ではなく”-eron”と”i”の音を脱落
させた語尾が変則的なので注意しましょう。
例)Este colonel tradujo “DE LA GUERRA” al italiano.
(この大佐が「戦争論」をイタリア語に翻訳したのだ。)
2)直説法不完了過去(preterito imperfecto)
過去における、継続していたこと、習慣的なこと、何度も反復して行っていたことを
表現する過去です。間が長くて時間の流れの中で線的に捉えられるところから「線過
去」と呼ばれます。活用は、-ar動詞/ -er, -ir動詞の二種類です。√語根+活用語尾
のパターンは崩しません。
yo habl-aba com-ia viv-ia
tu habl-abas com-ias viv-ias
Vd., el, ella habl-aba com-ia viv-ia
nosotros,-as habl-abamos com-iamos viv-iamos
vosotros,-as habl-abais com-iais viv-iais
Vds., ellos, ellas habl-aban com-ian viv-ian
こちらの方は、過去としては行為は終わって昔のことを言っているのですが、行為の
有り様が長く続いたという「間」を強調するものです。ここから、不完了の相(アスペ
クト)を表す過去時制ということで不完了過去となるのです。用法は次の通りです:
例)
Siempre maltrataban ellos a Luis. 彼らはいつもルイスをいじめテイタ。
Cuando me llamaste, yo miraba la television. 君が僕に電話シタ時、僕はテレビ
を観テイタ。
活用の憶え方は、人称語尾に着目して:
-ゼロ
-S(エス)
-ゼロ
-MOS(モス)
-IS(イス)
-N(ン~)
です。最初の第一人称単数だけ憶えてしまえば、後は、これらの人称語尾をひっつけ
るだけです。
ここで・・・不完了過去の不規則動詞ですが・・・次の三つしかありません!
あなたは、第一人称単数の語形のみを先に憶えて、上の憶え方通りに人称語尾をひっ
つけて行くだけでよいのです。
ser(~である)= era eras, era, eramos, erais, eran
ver(見る) = veia veias, veia, veiamos, veiais, veian
ir (行く) = iba ibas, iba, ibamos, ibais, iban
注意)irの不完了過去の訳は、行くという単純動作を何回もやったこと=「通ってい
た」という訳になります。
例)
Cuando eras estudiantes, siempre ibas al cine.
(君が学生だった頃、いつも映画館通いしをしていた。)
→学生という時代の継続性があり、その時の反復・継続の動作を表現しています。
Cuando yo era estudiante, practicaba las artes marciales.
(僕が学生だった頃、武術をやっていた。)
時制とは、単独で生起するものではなく、常に法(モード)、相(アスペクト)と
同時に「三位一体」で働いているものです。