【脚気と軍隊】荒木肇です

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『脚気と軍隊』の著者・荒木肇さんからのメッセージです。
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 つい半世紀前まで結核と並んで国民病だった脚気。江戸時代から大都市で患者は見られ、しかもそのほとんどは若い男性でした。これに深刻に悩んだのは陸海軍です。毎年、多くの兵卒が入院しました。およそ全体の2割から4割もが脚気の症状を訴えて、歩くことすら難しくなり、最後には心臓マヒで亡くなってしまうこともありました。戦時になっても、西南戦争では多くの患者が生まれ死者も多く出ました。
 薩摩出身の海軍軍医高木兼寛は兵員の食糧に目を付けました。英国で学んだ疫学的手法を駆使して実態を調べ、食餌の改善に努めます。維新以来、陸海軍は下士兵卒に1日6合(約900グラム)の白米を支給し、海軍は副食も自由に購入させていました。白米を腹いっぱいに詰めこむことが幸せであり、副食代金を節約し、貯金したり実家に送金したりするのが普通の時代でした。
しかし、これではタンパク質と炭水化物の比率があまりに後者が大きすぎる、脚気の病因はそこにあると考えた高木は、パンや肉を主とする西洋食を取り入れようとします。しかし、予算上の問題、兵卒の嗜好から、この実現はとうてい無理であり、せめて麦を混ぜる、パンを食べさせる、おかずを充実させるということから始めるしかありませんでした。
この施策は成功します。海軍には脚気患者はほとんどいなくなりました。ところが現代の栄養学から見ると麦にはそれほどの有効性はありません。実際にはビタミンB1を多く含んだ副食の改善がもたらした偶然の成功でした。
 対して陸軍は創設当初からドイツ医学に傾倒していました。世界の医学界ではドイツが最先端をゆき、そこへ留学した森林太郎軍医は細菌感染説を信じていたのです。森からすれば、民間の漢方医がいう「白米害毒説」こそ、迷信であり、学理的根拠のない主張だったのでした(これは正しかった)。当時の帝国大学(のちの東京帝大)医科大学ではそれが常識でありました。ビタミンという微量栄養素の存在が世界中の誰からも提唱されていない時代だったのです。
森をはじめとした帝国大学卒業者たち、それを軍医界の大ボスである石黒忠悳が応援していました。陸軍は日清・日露の戦いでも白米支給にこだわり、それが多くの脚気患者を出し、膨大な死者も生んでしまった原因でした。
 すでに医学史では東京大学山下政三教授、東京慈恵会医科大学の松田誠名誉教授による詳しい研究、また高名な作家吉村昭氏の小説『白い航跡』があります。それらから学びながら、有事と戦時の違い、軍医養成制度、兵站システムなども調べてみました。
 西洋医学にもなかった脚気への、森鴎外も含めた当時の研究者たちの挑戦、日露戦後の臨時脚気病調査会の活動、医学会のさまざまな対応など、学ぶことばかりでした。
(荒木肇)
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『脚気と軍隊』
荒木肇
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