トーチ作戦とインテリジェンス(19)

【前回までのあらすじ】
本連載は、1940年から1942年11月8日に実施されたトーチ作戦(連合国軍によるモロッコおよびアルジェリアへの上陸作戦のコードネーム。トーチとは「たいまつ」の意味)までのフランス領北アフリカにおける、米国務省と共同実施された連合国の戦略作戦情報の役割についての考察である。
前回から、情報調整局(Office of the Coordinator of Information,;OCI)が行った北アフリカ地域の諜報活動について述べている。
ドノヴァンが就任していた情報調整官のポストは対外諜報活動に従事する米国政府の各諜報機関が行っている諜報活動を統括するものであった。しかし、各諜報機関がこれまで掌握していた権限を手放すことに難色を示していたため、ドノヴァンは各諜報機関の縄張り争いに悩まされた。
1941年8月、ウォレス・バンタ・フィリップス(彼は、海軍情報局の「K機関」の人物で、海外12か国に所在するエージェントを統括する地位にあった)が、ドノヴァンを訪問し、協力を申し出た。ドノヴァンは、この申し出をすぐに受け入れ、K機関のエージェントを現在の駐在地で任務につかせる決定を下した。K機関に所属していたエージェントの中には、海軍の駐在部官としてエジプトで勤務しているウィリアム・A・エディー予備役海兵隊中佐のような人物も含まれていた。
K機関が情報調整局の指揮下に入るや、ドノヴァンは直ちにエディー中佐を北アフリカにおける情報収集の責任者に任命した。エディーは1941年9月14日にロンドン経由でカイロからタンジールへ移り、そして、諜報網を動かし始めた。
エディーが北アフリカで諜報網を組織している間、ドノヴァンはルーズヴェルト大統領と北アフリカにおける作戦活動に関して協議を続けていた。ドノヴァンは、1941年10月10日に極秘裏に展開される諜報活動に関する計画案を大統領に提出した。さらに、同年の12月22日には再度計画案を提出している。今回の計画案は、戦略計画立案のために、破壊活動、レジスタンス活動およびゲリラ・コマンドー部隊の使用を強調する内容であった。
12月22日附の大統領に対する覚書の中で、ドノヴァンは、自身の計画を次のように明らかにしている。「現地の長たちの援助を獲得し、住民たちからの忠誠心を深め、第五列を組織・配置し、破壊活動用の物資を貯蔵し、大胆で勇敢な者たちからなるゲリラ部隊を組織・配置すること」にあると。
今回も情報調整局が行った北アフリカ地域の諜報活動について述べることとする。
■□ドノヴァンの諜報活動、アルカディア会談に影響を与える
ドノヴァンがエディーに命じて行わせた諸準備と、副領事および情報調整局のエージェントが収集した現地情勢に関する情報は、1941年12月22日から1942年1月14日にかけてワシントンDCで開催されたアルカディア会談において重要な意味を持った。
アルカディア会談において、ルーズヴェルト大統領およびチャーチル首相は、最初の戦略目標が太平洋ではなく欧州であることを確認すると共に、軍事資源を欧州戦域において集中的に運用するとの合意を行った。
会談の期間中、ルーズヴェルト大統領およびチャーチル首相は、北アフリカにおいて英米の連合作戦を行うことを検討しており、情報調整局が収集した情報は、ルーズヴェルト大統領およびチャーチル首相の北アフリカ侵攻構想に影響を与えたのだ。
そして、この英米両首脳の決断が、トーチ作戦(当時はスーパージムナスト作戦と呼ばれていた)計画立案の基礎となったのである。また、この英米両首脳の決断は、情報調整局にとっても大きな意味を持った。
というのも、この決断により、情報調整局は、英国の秘密情報部(SIS。MI6としても知られる)および特殊作戦部(SOE)と共同して秘密工作・破壊活動に従事する役割を担うことになったからである。
■□ルーズヴェルト大統領、ドノヴァンに仏領北アフリカでの秘密活動を命じる
アルカディア会談も終了し、真珠湾攻撃から六週間が経過したあるさわやかな冬の朝、ルーズヴェルト大統領はドノヴァンをホワイトハウスに呼び出し、情報調整局にとってこれまででもっとも実質的な意味を持つ任務をドノヴァンに与えた。
ジョセフ・E・パーシコ『ルーズヴェルトの秘密戦争』(原題:Roosevelt’s Secret War )およびアンソニー・C・ブラウン『最後の英雄 ワイルド・ビル・ドノヴァン』(原題:The Last Hero: Wild Bill Donovan)によれば、ルーズヴェルトがドノヴァンに話した内容は次のようなものであった。
1、十二使徒たち(すでにフランス領北アフリカで活動中の副領事たちのこと)は、今後、ドノヴァンおよびロバート・マーフィーの下で活動することになる。
2、ドノヴァンの主たる任務は、フランス軍参謀本部との秘密裡の接触を通じて、フランス領北アフリカへの米軍侵攻後に生起することが予想されるフランス軍と米軍との戦闘を回避することにある。
これと関連して、ドノヴァンは、もし侵攻作戦が実際に開始された場合、フランスの植民地住民たちが、連合国側につくのか、それともナチス・ドイツに味方するのか、あるいは日和見を決め込むのかについて確実な情報を得る必要があった。
3、ドノヴァンは、当時中立の立場をとっていたスペインの中立を確実にせよとの命令を受けた。というのも、もし、スペインが連合国の北アフリカ侵攻中に介入したならば、モロッコに駐屯するスペイン軍が枢軸側に味方して形勢を一変させる恐れがあったからである。
さらに、ドノヴァンのエージェントたちは、フランコ総統が、ジブラルタル海峡を封鎖したり、ドイツ軍部隊をスペイン本土からスペイン領モロッコへと上陸することを許すか否かに関する確実な情報をつかむ必要があった。というのも、もしそのような事態が現実に生起した場合、連合国による北アフリカ侵攻作戦は悲劇的結末を迎える可能性が高いからである。
4、ドノヴァンは、もし、連合国が北アフリカ侵攻作戦を実施する場合に、実際の上陸地点から約1500マイル離れたアフリカ大陸の西端ダカールで実行されるとドイツ側に誤信させるために陽動作戦を実施する任務も付与された。
5、さらにドノヴァンは、フランス艦隊がドイツもしくはイタリアの手にわたらないようにする任務も与えられた。
6、このような任務を達成するために、ドノヴァンは、英国のインテリジェンス機関と共同して大規模かつ多額の予算を必要とする秘密工作活動を実行する権限が付与された。
7、すでにフランス領北アフリカの各地で活動を行っている米国の外交官や諜報員がフランス陸軍および海軍の動向をワシントンに報告し続けることができるようにするために、ドノヴァンは、地中海全諸国を包含する諜報網を構築せよとの任務も付与された。
8、ドノヴァンは、連合国の北アフリカ侵攻の際にフランス側の通信網を無力化する準備として、フランス領北アフリカ内の協力者たちに、財政支援や軍需物資を提供するためのシステムを整備せよとの任務も与えられた。
9、ドノヴァンは、スペインやポルトガルを敵に回さないようなやり方で、大西洋にある島々がドイツ軍によって占領されていないかどうかを確認するために、そうした島嶼にエージェントを潜入させる手段を見つける任務も与えられた。
■□ドノヴァンに対して付与された任務の意義
ドノヴァンが与えられた任務は、第二次世界大戦において欧州戦域の戦略情報に関して大統領が出した初めてのリクワイアメント(情報ニーズ)であった。大統領により要求された情報ニーズは、ドノヴァン率いる情報調整局にとって重荷であったが、それと同時に、欧州大陸への大規模侵攻作戦に先だって情報調整局の能力を確かめる機会でもあった。
また、ドノヴァンは、創設間もない情報調整局がこうした任務を実行に移す過程で、すでに存在する米国および英国のインテリジェンス機関からお手並み拝見という目でもってその活動を見られることも理解していた。米国内の他のインテリジェンス機関と縄張り争いを展開するドノヴァンおよび情報調整局にとって、北アフリカでの活動は、失敗が許されなかったのである。
それと同時に、北アフリカでの活動は情報調整局の権限と役割とを迅速に確立することができる大きなチャンスでもあった。というのも、北アフリカでの困難な任務は、米国内の他のインテリジェンス機関に、ドノヴァンおよび情報調整局の能力を認めさせる絶好の機会でもあったからである。
(以下次号)
———————————
現在発売中の『歴史群像  2013年8月号』に、著者・長南政義さんの「帝国海軍を育てた男『人物研究 山本権兵衛』」が掲載されています。
新史料に基づき、従来の山本のイメージに修正を迫る内容となっています。面白いですよ!
http://okigunnji.com/picks/lc/rg1308.html

コメント

RSS