ここであえての明治時代の陸軍大将

陸軍大将西郷隆盛2009年9月16日配信の荒木肇先生のメルマガから抜粋しました。
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明治時代の陸軍大将
 西郷隆盛有栖川宮熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王山縣有朋小松宮彰仁親王大山巌
 野津道貫(のづ・みちつら:1841~1908)
 薩摩藩下士の子。戊辰戦役に参戦。71年に少佐。
 佐久間左馬太(さくま・さまた:1830~1915)
 長州藩士の子。その初陣は「蛤御門」。戊辰戦争に転戦し71年に大尉心得。
 川上操六(かわかみ・そうろく:1848~1899)
 薩摩藩士の子。薩摩藩洋式歩兵の分隊長として戊辰戦争に参加。71年に中尉、同年のうちに大尉。
 桂太郎(かつら・たろう:1847~1913)
 兵学寮の修行者で大将に初めてなった人。1869(明治2)年に横浜語学所に入るが兵学寮に吸収されてしまう。そこで中退。維新の戦いの功績でもらった賞典禄は250石だったが、これを元手にドイツに私費留学した。
 明治、大正の軍政家として有名。長州閥で山縣有朋に引き立てられ、「ニコポン」というあだ名で人心掌握術を心得ていたとか、「十六方美人(八方美人の倍)」とか悪評がある。誰に会っても、ニコニコとしてポンと肩をたたく、それが由来だった。総理大臣もつとめた。
 実は戦歴が豊富で、幕府軍を迎え撃った四境戦争から始まり、秋田藩攻撃などで中隊長として豊富な実戦歴がある人だった。1873(明治6)年に帰国すると、木戸孝允の推薦で陸軍大尉になった。
 黒木為もと[木編に貞](くろき・ためもと:1844~1923)
 薩摩藩士の出身で戊辰戦争では東北で指揮官をつとめ、古屋作左衛門の幕府陸軍衝鋒(しょうほう)隊を潰走させたこともある。「御親兵」になり、1871(明治4)年、陸軍大尉。
 
 奥保鞏(おく・やすかた:1846~1930)
 小倉藩物頭(ものがしら)で、幕末の四境戦争で長州軍と戦った。物頭の家柄は堂々たる上士。1871(明治4)年、大尉心得に任官。
 山口素臣(やまぐち・もとおみ:1846~1904)
 長州藩士。奇兵隊教導役で東北地方を転戦。1870(明治3)年に大阪第2教導隊に入り、翌年4等軍曹。その後、めざましい進級ぶりで1873年には少佐になった。
 岡沢精(おかざわ・せい:1844~1908)
 長州藩の下級武士。1870年、山口と同じく第2教導隊入隊。4等軍曹から翌年少佐。
 長谷川好道(はせがわ・よしみち:1850~1924)
 初めての大阪兵学寮青年学舎出身。1871年に少尉心得。長州藩の支藩である岩國家中の出身。やはり戊辰戦争に従軍。西南戦争では歩兵第1連隊長。
 
 西寛二郎(にし・かんじろう:1846~1912)
 薩摩藩士。戊辰戦争で遊撃隊長。1871(明治4)年、中尉任官。
 児玉源太郎(こだま・げんたろう:1852~1906)
 徳山藩士。戊辰戦争では東北を転戦、函館五稜郭攻撃にも参加。陸軍兵学寮に69年入校。71年少尉。
 乃木希典(のぎ・まれすけ:1849~1912)
 長府藩士。四境戦争では報国隊士。ケガのため戊辰戦争では戦歴なし。71年、少佐。この世代では、乃木の初任の階級が高いことと戊辰戦争での実戦経験がないことが目立つ。
 
 伏見宮貞愛親王(ふしみのみや・さだなるしんのう:1858~1923)
 歴戦の宮様。72年に大学南校へ。翌年、陸軍幼年学校へ転校。在学中の75年1月に中尉。2月に士官学校第1期士官生徒として士官学校に入校。78年、大尉。
 
 小川又次(おがわ・またじ:1848~1909)
 奥保鞏と同じく小倉藩兵。長州兵と交戦。70年に兵学寮生徒、翌年、権曹長心得(ごんのそうちょうこころえ)に任官。72年少尉。
 川村景明(かわむら・かげあき:1850~1926)
 薩摩藩士。薩英戦争が初陣。戊申戦争でも歴戦。72年に少尉。
 
 大島義昌(おおしま・よしまさ:1850~1926)
 長州藩士。戊辰戦争に従軍。70年に兵学寮青年学舎に入校、翌年、少尉任官。
 大島久直(おおしま・ひさなお:1848~1928)
 秋田藩士の子。父親は奥羽越列藩同盟からの脱退を藩主に勧める。長州藩兵を率いる桂太郎と出会う。71年、中尉任官。
 立見尚文(たつみ・なおぶみ:1845~1907)
 桑名藩士。幕府の昌平黌で学ぶ。鳥羽の戦いで敗走しながら戦上手という定評を得る。江戸から幕府脱走陸軍と行動する。西南戦争で招かれ陸軍少佐任官。
 寺内正毅(てらうち・まさかた:1852~1919)
 長州藩軽輩の子。戊辰戦争に転戦。71年、権曹長から中尉に任官。
 井上光(いのうえ・ひかる:1851~1908)
 岩國藩士。戊辰戦争では仙台・会津と転戦。兵学寮に入り、71年大尉任官。
 大久保春野(おおくぼ・はるの:1846~1915)
 静岡県の神官の子。70年、兵学寮幼年生徒となり、フランスへ留学。75年、帰国して陸軍省7等出仕(文官:中尉相当官)、77年に武官になり少佐。
 
 土屋光春(つちや・みつはる:1848~1920)
 岡崎藩士の子。72年、少尉。
 鮫島重雄(さめしま・しげお:1849~1928)
 薩摩藩下士の子。戊申の役で転戦。ご親兵銃卒。73年、教導団に。すぐに伍長、その後、仮設士官学校へ。75年、工兵少尉。
 上田有沢(うえだ・ありさわ:1850~1921)
 徳島藩上士の子。秀才で藩主に愛されて200石取りになる。71年に大尉心得。
 以上が明治時代に大将に進んだ人々。

コメント

  1. 陸上自衛隊第8師団の紹介 | 軍事情報 より:

    […] 長は立見尚文中将。衛戍地(*)は弘前。 […]

  2. 陸上自衛隊第2師団 | 軍事情報 より:

    […] 初代師団長は最後の仙台鎮台司令官・佐久間左馬太中将。創設時の隷下連隊は仙台の歩兵第4連隊、青森の歩兵第5連隊、新発田の歩兵第16連隊、仙台の歩兵第17連隊(後、秋田に移る)。 […]

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