くやしかった世間の誤解―主計大尉N氏の記録(2) (荒木肇)

陸軍主計中尉大礼服( http://www.tokukobi.com/fuku-bou/taireifuku1.htm )はじめに
 派手な話はありません。Nさんからいただいた手記には多くが戦地の日常生活の中の「暮らし」が書かれています。今回はその中でも珍しい小さな実戦の話です。それから始めるのも、経理部将校達への誤解が多い、そう思われるからです。
 両舷直様はじめ、多くの方々からお見舞いのお言葉を頂戴しました。
自分の不摂生から起きたことですが、長い風邪は辛いです。温かいお言葉に感謝しております。
 今日は目黒の自衛隊幹部学校の第6期最先任上級曹長の皆さんへの講話があります。元気に行って来るぞ!と気合を入れております。
撃たれた!
 運転台の横のガラスが「パーン!」とはじけた。ガラスの破片が顔に飛んできた。メガネをかけているので、それが眼には入らなかった。隣に座る運転兵は目じりに血をにじませている。おそらく、ガラスのかけらで切ったのだろう。
 必死の形相でハンドルを握り、眼は正面を見据えたままである。指示した通り、フルスピードでトラックは走る。ちらっとふり返ると、荷台の護衛兵は腰だめで激しく応射している。軽機関銃がうなる。空薬莢が飛び散って、運転台の屋根にあたってそれらがチンチン音を立てている。
 敵前を横行すること300メートル、さらに敵弾は追っかけてくる。車体にあたったり、かすったりする音がいやにひびく。さらに走ること400メートル余り、前方を見ると上りの坂道になっている。部落がある。ここで待ち伏せされたら全滅する。200メートルくらい手前で停車を命じる。ただちに全員に下車を号令する。地面に伏せさせる。
 先輩に聞いたことが頭をかすめた。オレはほんとうに落ち着いているのだろうか。うろたえて、バカな判断をしたり、誤った命令を下してしまったりするのではないか。実はこれまで銃声や弾丸の飛ぶ音は何度も聞いている。しかし、実際に自分が撃たれたのは初めてだった。護衛兵の長の軍曹も肩で息をしている。その横で片膝をついた姿勢でポケットから煙草を取り出してみた。マッチで火をつける。手も身体も震えていない。よし、オレは落ち着いている、そう思うと自分たちの置かれた状況をよく確かめることができた。
 弾丸は飛んでこない。安全だ。全員を道路わきのくぼ地に誘導した。整列させる。すると2名足りない。そのとき、遠くから「主計どの~」という大声が聞こえた。みると、濛々と上がっている砂煙の中を、真っ黒な影が転がるように走ってくる。身体じゅうに黄粉(きなこ)をまぶしたように真っ黄色になって全速で走ってくるのは炊事係の上等兵だ。すると、あと一人、足りないのは便乗者の村崎伍長である。「ここだ~!」と大声で上等兵に自分がいる場所を示す。
くやしかった世間の誤解
 N主計大尉の陸軍の生活、それは合計で7年余りになり、20代のほとんどを陸軍で過ごした。思い出を懐かしく語ってくれた。
「人生修業の道場でしたし、辛いこともそれ相応の理由があってのこと。すべての体験が、その後の私の人生を豊かにしてくれました。中でも人と人とのつながりの大切さを軍隊生活は教えてくれました」
 ただ、嫌だったことが2つあった。
 1つは若手兵科将校の一部による経理部将校や法務、軍医、獣医などの各部将校への蔑視的な言動だった。
「指揮権をもたない相当官ではないか。自分たち兵科将校だけが真の軍人なのだという思いあがった発言が、ままありました」。
 もちろん、兵科将校すべてがこうした人たちだったわけでもない。おおむね中隊長クラスになれば、そうした愚かな言動をとる人はいなくなったという。
 もう1つは民間人からの誤解である。
「主計さんはいいですね。後方の安全な場所にいて、美味しいものが食べ放題ですからね」、こういった実情も知らない、想像力もない人たちの言葉があった。
 隊付の経理部将校の実態はといえば、時と場合によっては、経理部将校はわずかな護衛兵とともに、部隊に先行しなければならない。敵中で部隊の食糧を調達し、集積しなければならなかった。糧秣輸送の途中で敵襲を受ければ、護衛兵を指揮して、自らも戦闘に加わるのが当然である。後方で、のほほんと美食などしていられる立場ではなかった。
西旧寨(にしきゅうさい)での戦闘
 撃たれたのは1941(昭和16)年1月3日のことだった。すでに前年11月30日には少尉に任官、ただちに臨時召集。支那駐屯歩兵第1聯隊第3大隊で勤務していた。このころ、聯隊は遵化県を中心に討伐をしばしば行っていた。相手は共産八路軍である。N主計少尉は、この討伐に行動する部隊のために糧秣補給を行っていたのだ。
 1月3日の早朝、遵化を出発、唐山の聯隊本部で糧秣を受けとる。昼過ぎにはトラック2輌で唐山を出発、鉄廠鎮(テツショウチン)経由で遵化へ帰ることにした。無事に3時過ぎには鉄廠鎮に到着、一部の物品を卸下(しゃか・荷を下ろすこと)する。この時にはすでに討伐隊の一部がトラックで集結していた。物々しい雰囲気はこれだった。
 ここの駐屯隊には同期生のH少尉(兵科)がいる。さっそく訪ねて情報をもらう。
『本道上から西3キロの地点、山裾に八路軍(パロジン)400余りがいるらしい。討伐隊はこれを遠巻きに包囲して捕捉殲滅しようとしている。十分、気を付けていくがいい』
 そして、頼もしい一言を添えてくれた。
『もし、敵襲があったら、これを捕捉して頑張っていてくれ。すぐに救援に駆けつけるから』
 すでにトラック3台が準備を終えている。うち1台は民間会社の車が同行したいとのことだった。すでに準備を終えていた。軍曹を長とする護衛兵も整列を終わっている。N主計少尉は、軍曹に状況を説明した。敵の襲撃があった場合のことを命じる。
『前方に支障がないかぎり、先頭車両は強行突破する。第2車と民間会社の車は車間距離が近い場合は続行、もし、離れていたら反転し、ここの駐屯部隊に事情を報告せよ』
 民間会社のトラックには社員の妻とその妹が乗っている。そんな危険な場所にも日系企業は進出し、家族をともなって赴任している会社員もいたのである。その2人には、襲撃があったら車を進めるか、もどるかは運転手が決める。決して運転の邪魔をしてはならないと言い聞かせた。2人ともしっかりとうなずいていた。
敵を捕捉する
 後続の2台は反転したらしい。となれば、いずれ救援隊がやってくる。ならば、さっきの平泉少尉の言葉通り、敵を捕捉していなければならない。兵力を2手に分けた。6人は軍曹に率いさせて右翼の指揮をとらせる。自分は残りの7人を連れて左翼へ広く展開した。
 トラックは運転手だけで先行させよう。部落から射撃がないから、完全には抑えられていないはずだ。車には運転手と護衛を1名残した。
「着け剣」を命じた。部落内で敵と出会ったら、ものをいうのは銃剣である。軍刀を抜いた。手抜きの緒をかけて(手から脱落しないように柄と手を結ぶひも)、肩にあててから一呼吸おいた。拳銃のサックのふたはすぐはねあげられるようにホックを外す。
 左右を見回すと、みんなの瞳が一斉に自分を見ている。「前へ!」の号令をかけて、先頭に立って道路を走ってわたった。部落に突入する。敵はいない。住民も見えない。1メートルくらいの段差がある。そこへ取りついて敵の左翼を包むように兵を配置した。敵は断続的な小銃の発射音を送ってくる。望遠鏡で探る。敵もこちらの右翼をねらってきている。だんだんと射撃が激しくなってきた。
 当番兵が服の裾を引っぱる。「主計殿、危ないです。引っ込んでください」と哀願するような声で言う。我に返ると、盾にしている盛り土の段差の下にプッ、プッと土ぼこりが立っている。狙撃されていたらしい。いくら兵服を着ていても、双眼鏡をもっている。これが目立たないわけがない。将校になって私物の服を営内や儀式では着る。でも、作戦行動や部隊から外に出る時には、兵服を着て、階級章だけ少尉のものを付けるようになっていた。将校服は目立ち、狙撃されることが多かったからである。
 ピッ、ピッとか、プッ、プッという音は弾着が近い。ヒューンとか、ピューンという音は遠い弾丸である。それは理屈で分かっていても、実際にはヒューンの方が嫌な気持ちがするのが興味深い。こちらの兵も盛んに撃ち返す。前面は平坦で、ところどころに土饅頭がある。敵にとっては接近するのに遮蔽物といえば、それしかない。それはこちらも同じことで、前に出るには兵力がとても足りない。現地点を死守しよう。そう決心した。軽機関銃は幸い故障もなく快調にうなりをあげている。
(以下次号)

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