フランス外人部隊・日本人衛生兵のアフガニスタン戦争 Vol.19

From:野田力
2012年(平成24年)7月16日(月)
□はじめに
このたびは、私の看護学校の試験週間のためお休みをいただき、
ありがとうございました。おかげさまで、試験はきっと合格点に
達しているのではないかと思います。
試験期間終了翌日の7月14日は土曜日でしたが、
特別課業で某大学医学部まで解剖見学に行きました。
ご遺体は新鮮なものでなく、だいぶ前に亡くなったかたがたを
保存処理していたものです。生々しくはありませんでしたが、
筋繊維や内臓など実際に触れることができ、勉強になりました。
見学から帰宅し、インターネットでフランスのニュース番組を見ると、
ちょうど革命記念日の軍事パレードが生中継されていました。
7月14日はフランスの革命記念日で、アメリカの独立記念日のように、
各地で盛大に祝います。最大の見ものは、パリ・シャンゼリゼ大通り
の軍事パレードです。
パレードの最後に、来賓席の前にパラシュートで着地した兵士の1人が
膝を負傷し、救護班に搬送される事態が起きました。
それを見た私は、同じ兵士として彼が
「全国、万国が見ている前で醜態をさらしてしまった。仏軍の威信を
汚してしまった」と落ち込んでしまうのではないか?と思いました。
その直後オランド大統領は、負傷兵のところに歩み寄り、
「すみませんでした」と言う兵士に、「気にすることはない」と
励ましました。
私は、この光景に感動しました。
ミスした兵士にとって、これほど安心できるフォローはないでしょう。
さて、アフガン連載にまいりましょう。
▼兵士に不利な規定
アフガニスタンに来てから1ヶ月ほどが経った。
これまで、COPフォンチーへは何度か行き、ルートは馴染み深いものと
なった。首都カブールの国際部隊基地へ物資輸送のエスコートで1度
行ったし、毛布を配布する人道支援任務にも行った。
この1ヶ月、結果的に危険な任務は一切なかった。
不謹慎だが、物足りなさを感じはじめた。
そんなとき、少し緊迫する事象がFOBで発生した。
その事象に私自身は係っていないのだが、ブラジル人のデコ一等兵が
夜明け頃にFOB警備のため、歩哨所から前方に広がる荒野を見張って
いたときに発生した。
薄明るい中、100mほど先に1人のアフガン人がFOBを向いて地面に
しゃがみこんでいるのが見えた。FOBと現地社会を隔てる有刺鉄線の
外側なので、法的には問題はない。しかしデコは、そのアフガン人が
急にAK小銃を服から取り出し発砲するのではないかと懸念した。
デコは報告のため、無線で警備班詰所を呼び出す。応答がなかった。
無線が故障したのか、交信ができない。持ち場を離れて、警備班長の
軍曹のところまで伝えに行くわけにはいかない。
さあ、どうするべきか。デコは考えた。
まずは、「デガージュ!デガージュ!(仏語:うせろ)」と大声を出して、
アフガン人に立ち去らせようとした。片腕を大きく振るジェスチャーも
つけ加えた。
アフガン人はピクリともしない。言葉やジェスチャーが通じなくても、
武装している兵士が大声を出している場合、その場を離れたほうが
いいことくらい、普通ならわかるはずだ。我々が簡単に発砲できない
という規定を知っている敵がFOBを観察しているのかもしれない。
もしくは、声が聞こえていなかっただけかもしれない。
デコはFAMASを1発だけ撃った。弾丸はアフガン人から離れた地面に
当たった。ウォーニングショットだ。するとアフガン人はゆっくりと
立ち去り、見えなくなった。一件落着したが、その後はデコにとって
「一難去ってまた一難」だった。
銃声は他の歩哨たちを驚かせ、彼らは警備班詰所に無線連絡を入れた。
詰所の軍曹は、ぐっすり寝ている基地の上層部を即座に起こすわけには
いかず、状況確認のため、各歩哨所に連絡を入れた。
デコだけが応答しない。軍曹はデコのもとに班員を派遣し、確認させ、
状況を知ることとなった。
敵襲ではなかった。FOB敷地のすぐ外側にアフガン人がいただけだったが、
発砲したため、デコは軍曹に怒鳴られた。「基地の敷地内に入ってきて
いないなら撃つな。それが規定だ」と。さいわい、警備班を除く、
FOBで生活する者は建物のなかにおり、ほとんどの者が睡眠中だったので、
銃声は気づかれず、騒ぎにならなかった。
デコは後日、私とフランス人のムニエ一等兵に言った。
「ウォーニングショットが許されないなんて絶対におかしい!
もしあのアフガン人がRPGを取り出して、僕に向けて発射してたら、
僕は死んでたかもしれない。」
デコはさらに続ける。
「こんな規定、現場を知らない、エアコンの効いたオフィスのお偉い
さんが決めてるから、実践的じゃない。」
いろんな映画や書籍によくある定番の台詞だ。
「ああ、マジでクソだ。」
ムニエが相槌をうつ。私は「難しいよな」と無難な反応にとどめた。
実は私はデコのやったことに賛成していない。我々兵士の仕事は
「オフィスのお偉いさん」の決めたこと、いわば「命令・規定」に
従うことだ。その範囲で、自分たちが有利になるように工夫するのが、
兵士という仕事の精一杯だ。
それに、「お偉いさんに現場の者が翻弄される」という構図は、
大昔からある構図だ。今さらそれに不満を言うのはよそう。
それが原因で戦死しても、それは仕方のないことだ。残念ではあるが、
仕方のないことだ。私自身が戦死しても、私は「仕方ない」と思うだろう。
私はその見解をデコたちには伝えない。もし伝えたら
「じゃあ、つまらない規定のために僕らが死んでもいいのか」と
思われてしまい、多くの同僚を敵に回すかもしれない。
それに、実際に自分がデコの状況に陥ったわけではないので、
敢えて強く主張するべきではないと思った。
そもそも「ウォーニングショット禁止」自体、とんでもない規定とは
思わない。むやみに威嚇発砲された現地民が我々ISAFに対して恨みを
持てば、フランス政府をはじめ、派兵している国の政府にとっては
不都合だ。だから「お偉いさん」たちは兵士に不利な規定を制定せざる
を得なかったのだろう。
我々は、B級アクション映画の登場人物のように、好き勝手に武器を
使うために派遣されてはいない。フランス政府の政策のために来ている。
我々に有利か不利かは関係なく、政府が望むことをやり、望まない
ことはやらない。ただそれだけのことだ。
そんなふうに考えるのはダサいかもしれないが、私はそのように、
乾いた目で見て、割り切って考えている。
(つづく)
(野田 力)
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● 著者略歴
野田力(のだ りき)
1979年9月 近畿地方生まれ。
阪神大震災における自衛隊の活躍を描いた書籍を読み、陸上自衛官を志すも挫折。
自分が立派な兵士になれることを証明するため渡仏し、外人部隊への入隊を果たす。
2005年3月 基本訓練ののち、希望していた第2外人パラシュート連隊に配属され、コル
シカ島に駐屯。
2005年4月 パラシュート課程修了。
2005年5月 第3中隊(水路潜入専門)第3小隊配属。歩兵訓練修了。ミニミ軽機関銃射
手を担当。
2005年10月 対戦車ミサイルERYX(エリックス)課程修了。同ミサイル射手を担当。
2005年12月 水路潜入課程レベル1修了。
2006年2月~6月 アフリカ・コートジボワールに派遣され、治安維持作戦に従事。
2006年12月 衛生兵課程修了。小隊の衛生兵となる。
2007年3月 水路潜入課程レベル2修了。
2007年4月 装甲車VAB(ヴァブ)免許取得。
2007年6月~10月 アフリカ・ジブチに派遣され、砂漠訓練等を受ける。
2008年2月 伍長昇進。
2008年9月~2009年1月 アフリカ・ガボンに派遣され、ジャングル訓練等を受ける。
2009年7月14日(フランス革命記念日) パリのシャンゼリゼ大通りの軍事パレードに参
加。
2009年12月 上級伍長昇進。
2010年1月~7月 アフガニスタン派遣。国際治安支援部隊活動。
2011年4月 除隊。
2011年6月 帰国。2012年春から看護学校に入学。経験・特技を活かし、国際医療・災
害医療の看護師を目指す。
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