【第5講】スペインの対外戦略と外国勢力の視点から見た日本情勢

2019年2月6日

第一次イタリア戦争時のシャルル八世の軍勢(Wikipediaより)孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長
同志社大学/京都外大・スペイン語非常勤講師
米田 富彦
 今回は、16世紀のスペインの戦略思考を概観しつつ、それを受けて立つ側としての日本の戦国時代の興味深い点について比較観察して行きたいと思います。
4.スペインの対外戦略と外国勢力の視点から見た日本情勢
 この日本と最もよく似た政治的・社会的環境を呈していた当時の欧州の地域とは、一定地域(言語、文化、歴史などの相似性や共有性の見られるところ)の中での諸勢力が日本と同じく群雄割拠、即ち、戦国時代の様相を呈していたイタリア半島でした。
ここイタリア半島は、スペインがフランスとの間で覇権を巡り武力衝突したところであり、歴史では”イタリア戦争”として知られているテーマです。スペインは、数々の戦闘での勝利を重ね、戦略的勝利、即ち、「戦争」に勝ったのでした。イタリア戦争の概略とは、およそ次の通りです。
イタリア戦争
 スペイン王国を構成する旧アラゴン王国の系統に連なる王族がナポリ王国(イタリア半島の南半分の地域)を継承していました。このナポリ王国の王位
継承の問題に対し、イタリア半島に勢力拡大の野心を持つフランス王シャルル8世が継承権を主張して侵攻し、そこから、第1期イタリア戦争(1494~1516)が勃発しました。後、スペインもフランスも国王が代替わりして、第二ラウンドとなる第2期イタリア戦争(1519~1559)が展開します。
 今では、イタリア南部、ナポリと聞いて、マフィアで有名なシチリア島とかスパゲッティのナポリタン(これは、”イタリア焼きそば”とも言える純然たる日本の料理であって、イタリア本国ではお目にかかれません)程度しか思い浮かぶものはないでしょう。が、このナポリの占める地理的条件を見れば、地中海での覇権確立を成就させる戦略的条件をいろいろと備えている訳です。
 よって、地政学的な食材を料理すること、即ち、天の時と地の利を踏まえ、「異質の共同体との間からの接触・摩擦・衝突」から生じて来る問題解決には、まさしく血と肉と骨と命と魂がその調味料として加えられ、そして、煮たり焼いたり蒸したり揚げたり...というような調理を通じて、最終的に”食する”ことになって来るものです。
 この時にかなった、宜しき(好き嫌いを言う場合ではなく...)食材を、腕をふるって調理するコックとは、一国の政治家と軍人、そして、これらの両者を支える文臣(経済担当など)であり、仕上げられた”ディッシュ”(戦略的利益)に舌鼓を打つ客とは、本来ならば国民となっているものです。「国民とは、良き地政学のグルマン(美食家)であれ」と、いろいろと陰になって努力するのが組織のリーダーの心配りでもありましょう。
 しかし、これが往々にして、個人の利益に帰結したり、特定思想・信条を信奉する団体の利益に帰結することとなり、結局、組織では、上下意を同じくせず、上が下を力で強いることで、組織内での利害関係が齟齬を呈するところがあるものです。現実の組織の管理運営で大変難しいところでもあります。
 しかし、人ならでは起こしてしまうこの組織の管理運営上の齟齬とは、自ずと「虚」を構築することとなるために、攻撃側としては、つけ込んで活用することになります。
スペインの戦略
 理想からはかけ離れた現実にこそ、実は、よく観察すると...いろいろとつけ込むスキがあるものである...このようなことを地政学的に実際に活用(内部分裂を利用)したのが、ここでお話ししているスペインの対イタリア戦略であり、また、アステカ帝国(現メキシコ)、インカ帝国(現ペルー)を亡国となし、今日の北米・中米・南米に自らの言語と文化を拡散したのみでなく、それらの地に根付かせ、新たな人種(メスティーソ)までも作り上げ、まさに、自国の亜流を創造したスペインの戦略的特徴でもあり、地政学上の知恵でもあるのです。
 スペインの戦略について比較考察する際に興味深い点が指摘されます。そもそも、印欧人(アーリア人のこと。これはナチスによる定義ではなく、所謂、欧州系の人々の祖先のことです)の特徴とは、民族移動と対異質共同体の支配を基本として、拡散して行くことが指摘される点です。
 この対異質共同体の支配については、おもしろい材料が存在しています。先ず、米国のハリウッド映画や他のB級作品のジャンルに「侵略もの」、「パ
ニックもの」があることは認められるところです。その多くは、他の星からの宇宙人や宇宙生物、ある時には、突然変異や人間が化学的に作り出した生物が”奇襲”して来て、パールハーバーのような状態になり、そして、第二次大戦末期の日本のように米軍艦載機からあたりかまわず機銃掃射をうけて一般の人々が殺されたように、やたらに人間が見つかり次第殺戮されることを経験した後、最後は、必ず撃退されるパターンになっていることです。
 おもしろいところは、宇宙人などが侵略するパターンなのです。これらの映画では、宇宙人や宇宙生物などが人間の女をかたっぱしから陵辱して、混血児を沢山産ませて、それから地球を併呑することはほとんどありません。これも、アングロ・サクソン系(かのインディアンに対抗した形式が興味深いところです)とラテン系(ちなみにラテン系と同じ形式はインドでも起こっています)の形式の違いです。
 日本の発想での「侵略もの」なら、さしずめ、宇宙人などは、進化を遂げているのでしょうから、むしろ、肉体そのものを昇華してしまっていて、魂の次元で時空を超えて地球に飛来し、人間に憑依するという侵略パターンの方が好まれると思います。
梅毒を持ち帰る
 ところで...このイタリア戦争を契機として、コロンブスが新大陸から持ち帰った病気がかの「梅毒」でした。そもそも、戦争とは、戦争のみで生起せず、必ずシステムで生起するものであります。
 当時、兵士たちを戦場や軍の組織以外のところで相手にするいろいろな商売もありました。即ち、兵士相手に金を稼ぐ人たちの存在であります。ここから、「梅毒」とは、単にコロンブス一行が上陸した淋しいカリブ海の島々においてだけであったものが、世界中、いわゆる「性の処理」を通じて、いたるところで爆発的に拡散するようになったのです。
 たった一つの病気が世界中に広まるという事実から導き出される「方程式」とは、現代でもどのような領域や分野や科目で応用が効くものなのかどうか...を読者の皆さんは、単に変数(パラメーター)を変えるだけではなくて、実際に脳を使って考えてみる必要がありましょう。
ロジスティクスの重要性
 また、この事実から、読者の皆さんが気づかねばならないのは、戦略、情報と共に兵站(ロジスティクス)というものについての考えなのです。兵站とは、単なる武器や食料の補給を前線の将兵に対して行う...というハード面の世界だけではなく、そこには、人たるものが必ず乗り越えねばならないソフト面の世界の解決、即ち、本能的欲望(食欲、性欲、睡眠欲など)の「組織的健康管理」を踏まえて、直接的・間接的な「職業病の予防」ともなる公衆衛生(よって、精神衛生や栄養学の配慮)は、当然ながら含まれて来るものであります。
 大方の日本人は、戦略のみならず、情報も、そして兵站の思考も疎いのかどうか...について検証する必要がありましょう。本当は、兵站など一般的に軽視する場合が多いのではないでしょうか。
 「輜重輸卒(兵站担当の部隊)も兵隊ならば、ちょうちょトンボも鳥の内...」というような台詞がかつての日本軍では常識として唱えられておりましたが、このような戦略そのものの思考が欠如していることを他人に公言するような「真言」のお陰で、一体何万人もの壮健で優秀な将兵が戦闘で死なずに、餓死や戦病死したのでしょうか。
 戦略や情報を学ぶなら、やはりシステムで思考しなければなりませんが、戦略のシステムとしての兵站は、決して無視したり、忘却したり、他人まかせにしたり、距離を置いたりしてはならないものであります。
 采配を取る主体者たるリーダーこそ、むしろ、じわーっと何とも言えないにおいのする脂汗が滲み出て来て、体臭までムワーッと臭くなるような気配りが求められる重要事項なのであります。(実例としては、会社などで営業課職員と経理課職員と仲の良くないことがありますが、その理由を過去・現在・未来と時系列的に事例を基に調べてみると興味深いデータが出てくるかもしれません。)
 ここらへんで、戦略、情報、兵站といった事柄の本質的な内容について意識が改まって来られたかもしれません。例えば、日本の国家レベルで観察すれば、情報(インテリジェンス)の問題は、その組織の様態・運営形式が外国のやり方も踏まえてあれこれ賢く議論されていますし、兵站(ロジスティクス)の問題は、環境問題も含めて効率的なシステムで構築することが必要となっています。しかし...教養や学歴のある賢い人たちが沢山集まって、専門的な話しを重ねようとも、卓越した戦略を実践するリーダーが”不在”のままでは、まさに国家レベルでの「鯖の生き腐れ」になってしまう危険があるのです。
 以上のような考え方を踏まえて、当時のスペインを観察していただきたいと思います。
スペインのイタリア覇権獲得
 ここで、イタリア戦争の話し戻して続けて行きたいと思います。これら二回の”イタリア戦争”でフランスを撃破したスペインは、イタリア半島での覇権確立に成功しました。第1期イタリア戦争が原因で、フランスとの関係が強く、地理的・政治的にも重要な位置にあったスペイン東北部のナバラ王国(バスク人の国)は、新興王国のスペインに征服(1512年)されてしまいました。
 旧ナバラ王族であったフランシスコ・ザビエルは、後、元スペイン軍将校イグナチウス・デ・ロヨラとパリで”邂逅”し、1534年(スペインの無敵艦隊”アルマダ”に匹敵する無敵陸軍”テルシオ”の創立年と同じ!)に軍事的性質を持つキリスト教宣教団体である”イエズス会”を結成して、遂に東洋布教に旅立ち、はるばる日本までやって来ることになります。
“イエズス会”とは、宣教団体でありながらも、ナバラ王国滅亡後のナバラ王国の気概・精神を継承して、その「散りて後、残る香の有り難さ」を内包し、自らの組織の矜持としている...とか言われることもあります。また、特に、現在の日本では、カトリック・キリスト教とは、”ミッション系”という言葉からも、教育、特に学校経営に強いところは知られていますが、この”イエズス会”の設立した学校としては、東京・四谷にある上智大学などが有名なところです。
 ナバラ王国とは、8世紀にやって来たイスラム勢力を早々に撃退、排除して、10世紀の初頭にはキリスト教王国として成立していました。この王国の特徴とは、印欧系の人々とは異なるバスク人によるものであり、15世紀に誕生するスペイン王国を形成したカスティリア王国とアラゴン王国が発展する際には、傍で多大な影響を与えて来た王国でもあります。また、このような経緯から、現在のスペイン語(カスティリア語のこと)がラテン語から発達する際には、音声面でバスク語の影響を受けていると言われています。
 ナバラ王国が占めていたイベリア半島内での地政学的な条件が新興スペイン王国にとって、避けては通れない戦略上の問題となっていたことが”亡国”の憂き目にあう原因となっていたのです。
 そもそも、”天・地・人”とありますが、人あればこその天であり、地であります。天も地も動きませんが、人は動くものです。ナバラ王国も周辺事情が異なれば、また、別の道を歩んだかもしれませんし、ザビエルも違った人生を歩んだことでありましょう。
 地理に縛られて、人とは、動くもの(物理的にも思考的にも)であることを忘れやすい...これも人たるものの有する”虚”でもあり、ここから自分にも他人にも様々な”業”を生じさせるものであります。
 イタリア半島のことがナバラ王国におよび、ナバラ王国が亡国の憂き目にあった後、イタリア半島は、スペインが政治的に最大の実利を獲得した地域となって行きました。
 このイタリア半島が当時の列強の草刈場となった原因は、イベリア半島での場合のように強い統一国家が作れず、ローマ教皇領、多くの貴族領や王国領、様々な都市国家領などの各個的利益が主張され、お互いに利害関係から群雄割拠の”内戦状態”を継続していたからであります。この点、日本の戦国時代とは、同質性を見せています。
スペイン勝利の原因
 スペインの戦略的勝利の原因とは何か...それは、即ち、「敵の敵は味方」という方程式を応用したのです。ちなみにこの方程式の裏技が「敵の味方をどうするか」であり、それは、裏切らせる、内部分裂を仕掛けるなどの”調略”とか”謀略”になって来るものです。
 イタリア半島の当時の特殊性として最も特筆するべき点は、半島内で起こっていた内戦的な闘争事象の決着を着けるために、当時の列強勢力の直接支援を個別に要請したことがあげられましょう。これがお互いの政治戦略から見れば、将来的にはイタリア半島の人々自らの立場を大いに損なう結果となり、イタリア半島統一には、その後、かなりの時間を要する(日本での明治維新と同じ時代)こととなってしまったのです。
 戦国当時の日本が、イタリア半島と同じ状況であったことは否めないところです。もし、スペインやフランスのような先進的軍事強国が近隣にあるか、また、日本への海上アクセスがとても容易であったとしたら、外国勢力が日本の内戦状態に付け込んで介入してくることも考えられるところでした。
 また、日本国内での野心的な大名、あるいは、キリスト教信者の共同体などが一向一揆のような武闘的組織形態を以て結託し、そしてスペイン軍などの外国軍を援軍として共闘すれば、ある程度、地域的な国内覇権を奪取することも可能であったのです。
南蛮船は黒船だった
 日本の戦国期というのは、大河ドラマ、歴史小説、ゲームのような”ロマン”があふれるようなものではなく、ある意味、幕末維新期に匹敵するような「国難」の時代であったというのが別の観点から言うことが可能であると思います。
 要は、外国勢力の軍事力(ハードもソフトも)が日本に対して決定的なレベルで非対称ではなかったからと言えるのではないでしょうか。その興味深い実例として、幕末には、「黒船」が社会現象になり、日本の戦略的動向に影響を与え、”国のレベル”で変革(レジーム・チェンジ)につながりました。が、「南蛮船」は、社会現象にはなり得ていません。この「黒船」と「南蛮船」の違いを観察しなければならないのです。この違いの分かる男こそ情報マンと言える存在ではないでしょうか。
 ちなみに当時、「南蛮船」を「黒船」と同類のものと喝破していたのは、織田信長あたりではなかったかと思われます。
群雄割拠を利用する
 この群雄割拠の状態をスペインが上手に活用する実例は、イタリア戦争とアメリカ大陸征服事業であったのは触れてきたところです。アメリカ大陸征服事業の場合、スペインは、イタリア半島と同じく、「敵の敵は味方」として活用し、敵対関係にある部族と緊張状態にあったメキシコのアステカ帝国や内紛状態にあったペルーのインカ帝国をその内部紛争・内部対立を奇貨として、僅かの兵力で攻略してしまっています。これは、中国兵法の有名な『兵法三十六計』にある”借刀殺人”(しゃくとう・さつじん:内部分裂を利用して敵で敵を討つ)、”趁火打劫”(ちんか・だこう:火事場泥棒)、”混水摸魚”(こんすい・ぼぎょ:混乱に付け込み利益を得る)等に相当する発想と同じものとなっている点は興味深いところでありましょう。
 また、スペインは、戦略とは表裏一体の関係にある情報(インテリジェンス)にも抜かりはなかったのです。特に、攻略地域の現地の人間を孫子兵法に謂う「郷間」(現地人工作員)として活用し、ある時は捕まえたり、ある時は不満分子を選択してから、彼らには、徹底的に語学を教育して、スペイン人のものの見方と考え方を身につけさせておいて、やたらに武力に訴えて戦闘に至るのではなく、まずは情報収集を行い、何度も交渉を繰り返して、戦うというよりは味方にするという方法で「戦いの経済」をコントロールしているのです。
これは、孫子兵法にも、「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」という普遍性に共通するものでもありましょう。
 政治・軍事・経済の合理性を追求した生存のための「術策」とは、かのマキアヴェッリ思想の実践でもありましょう。スペインは、実行においてリアルな態度を崩さなかったのですが、これは他の欧州の国々も同じことでした。
(つづく)