【第2講】16世紀のスペイン情勢について

孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長
同志社大学/京都外大・スペイン語非常勤講師
米田 富彦
1.16世紀のスペイン情勢について
(1)スペインの国内・国際情勢
スペイン(Espan~a)とは、1469年、イベリア半島内で覇を唱えていた二大キ
リスト教勢力(共に王国)である、お菓子のカステラの語源になったカスティ
リア王国のイサベル1世(女王)とアラゴン王国のフェルナンド2世の国王同
士の婚姻を通じ、政治体制を統合一本化して、旧来の封建的政治体制を乗り越
えた先駆的な連合王国の「国家」として誕生したものです。これが、途中、共
和制や独裁制などがありましたが、今日まで続いている「スペイン王国」の始
まりです。この誕生したスペイン王国とは、一つの組織として、他の組織との
“他流試合(ヘゲモニーとサバイバル)”を前提にしているものです。かのマ
キアヴェッリは、『君主論』の中でも当時のスペイン王国を時代を先取した一
つの理想的な存在として意見を述べているところです。

スペイン王国は、南スペイン・アンダルシア地方にグラナダ王国(イスラム教
徒のムーア人、即ち、ベルベル人の国)として残存していた勢力をレコンキス
タの総仕上げとして1492年に制圧し、イベリア半島からのイスラム教徒たちを
駆逐しました。レコンキスタとは、”再征服”の意味で日本では「国土回復運
動」と訳されます。これは、711年にイスラム勢力によってゲルマン系のヴィ
シゴート王国(キリスト教勢力)が制圧された後、北部山間地域で旧ヴィシゴ
ート系王族・貴族が722年の”コバドンガの戦い”での戦勝以降、1492年まで
約800年間続いたキリスト教徒たちの不断の戦いです。
この1492年には、他にクリストファー・コロンブス(スペイン語ではクリスト
ーバル・コロン)が新大陸を発見し、そしてアントニオ・デ・ネブリーハによ
って最初のスペイン語文法の本、即ち、『カスティリア語文法』の著作がなさ
れました。これは、その後、国家の概念と共に各国語の文法書の先駆けとなっ
た重要事件でもあります。国家と言語は切っても切れない関係があることは当
然のことです。また、在イベリア半島のユダヤ人たちにキリスト教徒になるか
国外退去かの選択を迫った年でもあります。この中で改宗ユダヤ人がスペイン
では興味深い存在となって行きます。そして、国外退去のユダヤ人、これがス
ペイン系ユダヤ人としてオスマン・トルコ領をはじめとして、北アフリカ、バ
ルカン半島、オランダ、イギリス、ドイツなどの様々な土地へと移住しました
が、セファルディー・スペイン語という15世紀の古風なスペイン語を現在も共
同体単位で保持しています。
スペインの”ルネッサンス”とは、イタリアでのような建築、美術、文学など
の芸術的側面が主流であったというよりも、「未知の世界に進出を開始するこ
と」であって、それが当時の大航海時代につながっています。当時の常識では、
天動説であり、海の彼方が崖になっていたり...というようなことを真面目
に信じていたのですから、そのような常識に対して合理的に実際の事象につい
て考えて、計画を立て、実行して成果を収めたことは、興味深いことでありま
しょう。
気分が重く、心も暗くなって、閉塞感に覆われ、誰が見ても苦しみ悩んでい
る...それは分かりました...では、このような時に木々の緑を見よ!花
屋に咲き乱れる美しい花々を見よ!小鳥はさえずり、雲は流れている!これが
「現実」なのです。頭で常識と思うのは、「貴方の勝手」であって、「現実は
頭で思っていることとは違う」のです。どちらがホンモノなのでしょうか。
このような点に気がつくのがここでのミソというものです。
読者の皆さん、要するに、この言葉では言い切れないような気づき、発想とい
うものが、”軍事”に活用されると「軍事革命」とか「革命的軍事改革(RM
A)」のキッカケともなるものです。読者の皆さんにおいては、さしずめマー
ケティングとかシェア争い、各種の民事訴訟の収め方、プレゼンテーションの
テクニックなどとして弁えておかれると良いでしょう。
当時のスペインと日本(戦国期)に共通している点は、国際舞台、国内舞台と
それぞれが演じる舞台に大小の違いこそあれ、置かれた立場が旧来の思想・環
境・体制を温存・維持・継続する「現状維持」より、イノベーション(革新)
とブレイクスルー(突破躍進)を主旨とする「現状打破」が主流であり、日本
語的に表現すれば、「革新とは、組織の内部から起こるものではなくて、外部
から組織をぶっ壊す形で行われる」という”非常識が常識”という、まさに常
識に「下克上」の態度を取っていたことでありましょう。
新興王国=”スペイン王国”の誕生は、欧州をはじめ、他の全ての王国や共同
体という既存勢力に対する「対抗勢力」の誕生を意味するものであり、世界を
舞台に覇権を競う力が整えられて行ったということなのです。往々にして新興
勢力の出だしが良いのは、その繰り出してくる発想に対して、既存勢力が速効
的な対抗策を打てないこと(慮らざるところを攻められるから)にあり、そこ
から、新興勢力の取る新しい方式がこちらに強制されることに一種の放心状態
になってしまうところにあります。スペインとは当時、まさしく、そのような
新興勢力であったのでした。
また、イベリア半島という、地理的条件を有利に展開し、当時としては、優勢
な陸軍力と海軍力の保持に努めつつ(これら両面の軍事力の充実については、
当時は、スペインかオスマン・トルコぐらいであった)、国際政治上の主導権
を握る立場に至ったのです。ちなみに半島というのは、三面が海に囲まれ、一
方が陸地でつながっている地形ですが、イタリア半島、ギリシア半島、イベリ
ア半島、または、北方のスカンディナヴィア半島など、かなり外向的な民族集
団がそれらを拠点として居住し活躍しています。即ち、民族移動のような対外
進出が特徴的なところです。
ところで、スペインは、昔から文明の栄えて来た地中海での覇権を巡り、他国
と切磋琢磨して行きますが、この地中海と地理の上で大変よく似たところがあ
るのを読者の皆さんはご存じでしょうか。ここも地中海世界のように交易が発
達して、文明が花咲いてもよかったのでしょう。が、そうはなりませんでした。
ヒントは、アジアにあります。お分かりになられたでしょうか...実は、日
本海がそうなのです。いつも見ている地図を逆さまにしたりしながらご覧にな
ると、これは、とても興味深いことと思います。
では、話しをスペインに戻しましょう。当時のスペインは、「政治-軍事-経
済」の”トライアッド(三副対)”を他の欧州地域に比べてより調和的・強力
的に維持しつつ、文学・芸術等、他の分野においても16世紀からの約150年間は、
長らく主導権を握り続けたのでした。スペインは、ルネッサンスを享受する側
でなく、創出する側の”先進的立場”であったことが特徴とするべき点である
と言えましょう。
この当時は最強国のスペインも、この15世紀から16世紀に至る絶頂から、350年
くらいのスパンで、夏の夕日のように長い時間をかけながら、ゆっくり、ゆっ
くりと、所謂、”ヘタレの国”に没落して行きますが、現在は、また上昇の方
向にあるのです。
ここも日本と比べてみると興味深いところでありましょう。
(つづく)