靖国神社参拝~Qさんへの反論を通じて伝えたいこと~ – 日本列島波高し(1)

昨今話題の靖国神社参拝問題に触れてみたいのですが……
 最近、あるきっかけで邱永漢さんのホームページを見る機会がありました。興味深い内容の記事もいろいろとありましたが、下記WEBの記事はどうにも
いただけません。
  http://www.9393.co.jp/moshiq/kako_mos/2005/05_0713_moshiq.html
  http://www.9393.co.jp/moshiq/kako_mos/2005/05_0714_moshiq.html
 でも、近頃は国内でも少なくない人達がQさんと同じような気持でいるらしいので、私の気持ちとどこが違うのか少し考えてみました。
ごっちゃになっているのはどっち?
 Qさんは、靖国神社に祭られている人の大部分は被害者なのに、そのへんがごっちゃになっている、と言います。なるほど、心ならずも徴兵されて戦死した英霊も多いことでしょう。私の父もそうでした。
 でも、ごっちゃになってはいないのです。戦死した英霊は単なる可哀想な被害者ではありません。他の人達に代わって務めを果たした人達です。
家庭であれ、郷土であれ、国であれ、自分と同じ輪にいる人々のために命を張り、与えられた務めを果たしました。勇躍参加したか、嫌々だったか、は問われません。結果が成功か、失敗か、も問題ではありません。託された義務を果たしたことが尊いのです。
英霊はそれ故に英霊として残った人達から敬意と感謝の花を手向けられているのです。彼我の戦争被害者と一緒くたにしているQさんの方こそごっちゃになっているのではないでしょうか。
忘れっぽいのはどっち?
 Qさんはまた、日本人は忘れっぽいがお隣の被害者は忘れない、とも言っています。なるほど、我々日本人が「イヤなことは早く忘れる」という生活の知恵を持っているのは確かです。
 でもね、自分に都合の悪いことを忘れっぽいのはお隣さんも相当のもの。「文化大革命万歳」「修正主義撲滅」の舌の根も乾かぬうちに「社会主義自由
経済万歳」ですからね。解放された筈の内陸部の農民は今や賤民扱い。侵略と圧政下で苦しむチベットの人達もきっと私の見方に賛成してくれると思いますよ。
 我が国からは既に 天皇陛下を始め歴代の首相達の謝罪の言葉や多額のODAが出されていますが、これらのことは忘れたふりをしているだけなんですかね。
 西欧人は「忘れない、でも許す」という言い方をします。日本人は「水に流して忘れよう」と言います。これは表現の違いだけで心は同じ。でもお隣さんにその心が無いのなら、ドタキャンして帰国した副首相の無礼も、無断侵入の潜水艦のこともまだまだ水には流さないでおきましょう。
面子にこだわるのはどっち?
 Qさんは、小泉首相が面子にこだわっているだけ、とも言いました。なるほど、マスコミや政治家の中にもそのような見方があるようです。
 でもこれもね。コトの発端は、江沢民主席が訪日した際に歴史観のお説教をしつこく繰り返したのに日本側がハハーッと恐縮して受け入れないものだから大ボスとしての面子は丸潰れ……にあったんじゃないのかな。面子にこだわっているのはむしろQさんの故国の中南海のエライさん達だと思いますよ。
 Qさんは更に、血気にはやると後始末に困る、とも述べています。なるほど、日本の大使館や領事館は「やらせデモ」の後始末に困りました。その言葉も小泉さんへではなく、北京や上海の方に向けて言って欲しいものですね。
商人流のこれからは・・
 Qさんの話を読んで幕末の長崎海軍伝習所教官だったカッテンディーケ大尉の話の中に出てくる長崎商人のことを思い出しました。彼は、国防や安全保障はお侍の考えることで自分達商人には関わりない、と述べたとか。お金儲けのためなら土下座も何も平気の平左、と言うところでしょうか。
 でも以前「話せば分かってくれる」と言っていた日本人の多くが最近、土下座外交にキリのないこと、五十歩を百歩譲っても相手は全く譲る気のないこと、等々に気付き始めたようですね。これから長崎商人流は徐々に支持を失っていくような予感がします。
百花繚乱に英霊も
 ここまで書いて久しぶりに靖国神社に参拝してきました。最近は参拝論争で若い人達にもその存在が知られて参詣するカップルも増えているそうですが、なるほど境内は涼しげな姿の百花繚乱でした。
英霊の皆様もさぞ喜んでおられるのではないでしょうか。
以上、ヨーソロの管見でした。

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