自衛隊海外派遣の歩み (6)

昨年に続き、カンボジアPKOの話です。
 第1次カンボジア派遣大隊長である渡邊氏は、現地で痛感したことがいくつかありました。ひとつは他国の部隊との交流が不可欠だということです。PKOは国連のもとで各国が協力しあってやるものだから、情報交換したり意見を言い合ったりすることで相互理解が深まる最大の恰好の場でもあります。だから友好親善はあって当然のもの、そう感じたそうです。
「定期的な指揮官会議だけではなく、それぞれの国のイベントに招待したりされたり。これは国内で訓練しているだけじゃわからないことでしたね」
 今では当然すぎるほどのことかもしれませんが、四半世紀前の陸上自衛隊にこの発想はありませんでした。そもそも海外派遣という想定がなかったのですから、ほかの国の軍隊とコミュニケーションを図る必要性がありません。
 それからもうひとつ。
 渡邊氏が自衛隊に入隊した頃、ちょうどガイドラインができて日米共同訓練が始まったそうで、渡邊氏は米軍の通訳をやりながら初めて世界が少し見えたと言います。その世界は、とてつもなく巨大なアメリカという組織の影から見ていたものでした。けれどPKOには、ほとんどアメリカの影がありませんでした。それは日米安全保障条約の枠ではなく国連という枠だからで、「当たり前といえば当たり前なんですが、これは私にとって大きな発見と驚きでした」。
 PKO法が陸上自衛隊に適用された初めての例となったカンボジアPKOにおいて、法について不自由とか不便といったことを考えてもしょうがない、法律なんだからその枠の中でやるしかない、その枠から出ることは許されない。それが渡邊氏の考えでした。この考えは現在海外派遣に赴く指揮官にも共通していることでしょう。自衛官は法の良し悪しを言いません。ただ定められた法に従い、その中で最大限にできることを行なうのみです。(だからこそ法整備はとてもとても大切なのです)
 カンボジアでは、あえて不自由を挙げるとすれば二重指揮という点だったそうです。これはどういうことかというと、たとえば、フランスの軍隊はフランスの政府からやりなさいと言われたことと、UNTACからやってくださいと言われていることにほとんど違いがありません。ところが国連と日本が自衛隊の派遣部隊に抱く期待は、ちょっと食い違っていたそうです。けれど渡邊氏は、多少かみ合わなくても無理に歩み寄る必要はないと思うと、取材時には言っていました。
「日本に限らず、どこもそれぞれの事情の中でPKOに参加している。だから人をいっぱい出せるところは人を、お金を出せるところはお金を、技術力があるところは技術を出せばいい。どの国もできる範囲で最大限のことをすればそれでいいんじゃないか、そんなことを考えました」
「カンボジアの復興に役立てたと思いますかと多くの人から尋ねられましたが、そのような自負はまったくありませんでした。復興への手伝いって、最初はボランティアやNGOから始まるんですよね。ただ、それでは日本という国の姿が見えないので、国が何か行なうときの先頭にいるのが自衛隊だったり外交官だったりするわけです。だからその後ろにはODA、海外青年協力隊、文化使節団など、さまざまな人たちがいる。これらすべて含めて国際平和協力なのだと思います」
 余談ですが、取材時に渡邊氏の口からこれを聞いたとき、「いい言葉だなあ」としみじみ感じいったことをよく覚えています。特に「復興への手伝いはボランティアやNGOから始まるが、それでは日本という国の姿が見えないので、自衛隊が先頭に立つ」というくだりは、自衛隊以外の国際平和に尽力している団体にもしっかり眼差しが向けられていることを感じて、とてもうれしかったのです。
 帰国後一躍「時の人」となり、自衛隊の歩く広報のような立場を経験した渡邊氏ですが、きわめて客観的な視点で一連の活動を捉えているのが印象的でした。この冷静さこそ、大隊長という立場にもっとも求められたものだったのかもしれません。
 次回は国際貢献の新たな道を開いた国際緊急援助活動についてご紹介します。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)1月7日配信)