マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(22)
前回までのあらすじ
本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。
指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。
この数回、連合国によるマーケット・ガーデン作戦までの「ウルトラ」情報の利用について述べている。前回は、ドイツ国防軍のドイツ国境への退却戦の実態を、通信傍受情報に注目して考察した。
連合軍がフランスを横断してベルギーに向けて突進した時、ドイツ国防軍は不可避の事態を遅らせようとして限界に近い状態であった。適切な量の兵員も戦車もないドイツ国防軍は、長期間にわたって放置されていた「西の壁」(ジークフリート線)の線で連合軍を食い止めることを願い、何とかしてドイツ国境に到達しようと試みると同時に、連合軍の前進を遅滞する以外にほとんど何もできなかった。
指揮統制面でもドイツ軍は困難な状態にあった。たとえば、西方総軍司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥の参謀長ジークフリート・ヴェストファール将軍は、隷下司令部が電話を介して西方総軍からの命令を受領するまでにしばしば二十四時間以上の時間を要した、と語っている。
だが、ドイツ軍の混乱状態は、連合軍にとって良い面ばかりであったわけではない。
ドイツ軍高級司令部が前線での戦況を把握しようと懸命にもがいていたのと同じ頃、英国の政府暗号学校および連合軍の野戦軍指揮官は、ドイツ軍の現在の配置や戦闘序列を把握するのに困難を感じていた。
ファレーズ包囲戦以前、ドイツ国防軍はいまだ部隊としての結束性を維持していたため、連合軍がドイツ軍の移動や企図を追跡することにそれほどの困難はなかった。だが、退却するドイツ軍は正規の戦闘序列を崩して、ごちゃ混ぜの編成となり、状況により周囲の部隊をグループ化して戦闘群がつくられた。そのため、ファレーズ包囲戦以後、連合軍が把握できるドイツ軍の配置や企図はとても混乱的なものとなったからである。
さらに悪いことに、無秩序で敗走するドイツ軍のイメージが、連合軍の将兵をして「勝利の幸福感」に感染せしめた理由の一つとなっていた。
今回は、「ウルトラ」情報が明らかにしたドイツ軍の人的・物的状態について論じることとする。
ドイツの補充兵不足が生んだ連合軍の「勝利の幸福感」
「ウルトラ」情報にのみ基づくならば、連合軍がいかにして戦争が終結に近づきつつあると考え始めるようになったのかを説明するのはたやすい。
モルタン攻勢が始まった八月七日、ドイツ軍は、ノルマンディ上陸作戦当日の六月六日から八月六日までの期間を対象とした統合報告書を送信している。
この報告書によれば、ドイツ軍の人的損害は、将校三千二百十九人、下士官兵十三万千四十六人であった。連合軍がこの報告書から得ることができた情報は人的損害ばかりではない。上記の損害を補充するために前線に送られた補充部隊がいかに少数であるかが、この報告書から明らかとなった。
計算すると、損害合計十三万四千二百六十五人を補充するために、ドイツ軍が前線に送ることのできた補充兵の数は、わずかに一万九千九百四人であった。これは、十五人の損害に対して一人の補充兵しか送れていない計算となる。また、この他に、一万六千四百五十七人の補充兵が間もなく前線に到着する予定となっていた。ちなみに、上記の損害にはファレーズ包囲戦での捕虜・死傷者六万人が含まれていない。
ドイツ軍の戦闘能力評価
連合軍は、隷下部隊の戦闘能力に関するドイツ軍の評価もまた、「ウルトラ」情報により入手していた。通常、報告書は、悲観的な内容であっても、楽天的な表現を使用して、悲観的状況を和らげようとするものであるが、この前線からの評価報告は極めて率直な内容であり、ドイツ軍が置かれている状況について楽天的な文面を含むものではなかった。
前線からの評価報告は以下のように論じている。最近の戦闘での敗北後にドイツ軍が直面する無数にある問題の一つは低い士気である。士気が低いことの徴候は、脱走率が高まりつつあることからも証明されている。武装親衛隊と空挺部隊はその団結と規律とを維持し続けているが、正規部隊はそれらエリート部隊と同レヴェルの闘志を持っていない。
ドイツ軍の通信を八月二十五日に傍受した「ウルトラ」情報によれば、八月二十三日から二十四日の二日間で、第179予備擲弾兵大隊から約五十人の脱走兵がでており、第217予備擲弾兵大隊の約六十%が脱走している。
武装親衛隊は正規軍部隊が直面しているような士気の問題に直面していないが、この一ヶ月間の戦闘が部隊の戦闘能力に悪影響を与え始めていた。たとえば、可能な限り多くのドイツ兵が逃亡できるようにファレーズ包囲網の東端を開放していた第2 SS装甲軍団は、「将兵はたいへん消耗している」と報告している。
この報告書を読んだ我々が、武装親衛隊が退却戦の期間を通じてその規律と団結力とを維持し続けていることや、高い消耗率にもかかわらず、部隊としての戦闘力を維持して戦闘を持続していることに注目することが重要である。
実際、第2 SS装甲軍団は、八月の戦闘で大損害を受け消耗していたが、マーケット・ガーデン作戦において、連合軍によるアルンヘムの橋梁の奪取を阻止するという重要な役目を果たす部隊となった。
「ウルトラ」情報が明らかにしたドイツ軍の物的状態
「ウルトラ」情報は、人的情報(質・士気・数量)のみならず、ドイツ軍が連合軍の前進を阻止し続けるのに必要とされる物的戦闘資源の状態に関する洞察も提供していた。
ドイツ軍は、自軍の分析官をして、退却期間中に部隊としての一体性を維持し続けたドイツ軍部隊の戦闘力を正確に評価せしめるために、装備状態に関する極めて詳細な報告書を作成していた。
たとえば、第1 SS装甲軍団は、隷下にある戦車大隊のうちの二個大隊の状態を、以下のように報告している。
第101 SS戦車大隊は、総計十八輛の戦車を保持している。うち七輛が使用可能で、二輛が短期の修理を、九輛が長期の修理を必要としている。第503 SS戦車大隊は、総計十七輛の戦車を保有している。うち、三輛が使用可能で、六輛が短期修理を、八輛が長期修理を必要としている。
このように、連合軍は、「ウルトラ」情報により、大隊レヴェルの敵戦車の稼働状況を把握していたのだ。
ドイツ軍の兵站報告書
「ウルトラ」情報によりドイツ軍の物的状態が明らかになったのに加え、ドイツ軍の兵站報告書を傍受分析することを通じて、連合軍は、ドイツ軍の重要軍事物資がいかに不足しているのかも把握していた。
たとえば、第5装甲軍は、八月二十九日に、「例外なくすべての燃料が交付されてしまった」と報告している。
つまり、ドイツ軍は危険な水準まで戦車を喪失していただけではなく、彼らが保有する極めて少数の戦車にすら燃料を再補給できない兵站の限界点に近づきつつあったのである。
また、ドイツの軍需産業が喫緊の需要を供給できないほど弱体化していたことと相まって、ファレーズ・ポケットに遺棄された兵器と軍需物資の量は、ドイツ軍にとり危機的損害であったことを、連合軍は「ウルトラ」情報により把握していた。
解読不能により師団名は特定できないものの、あるドイツ軍師団は、八月二十七日に、「歩兵はカービン銃以外のものをほとんど持っていない。二個大隊はその弾薬をほとんど使い尽くしている。補給が送られたが、いまだ到着していない」と報告している。
八月末、消耗品・耐久財の両面での補給不足が、ドイツ軍の通信を傍受した「ウルトラ」情報の主たるテーマとなっていた。だが、補給の問題は、ドイツ軍がドイツ本国の補給基地に向かって退却するにつれて、ドイツ軍の後方連絡線が短くなるため、改善されるようになる。
(以下次号)
(ちょうなん・まさよし)
(平成28年6月23日配信)
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