マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(21)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(21)

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬
に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。
実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスク
を連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は
数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供された
インフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。
第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官
たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに
疑いを持たなかったからだ。

 

前々回から連合国側によるマーケット・ガーデン作戦までの「ウルトラ」情報
の利用について述べている。前回は、ノルマンディ上陸作戦直後の連合軍
の状況とファレーズ包囲戦について述べた。

 

今回は、ドイツ国防軍のドイツ国境への退却戦の実態を、通信傍受情報を
使用してみてみることとする。

 

ドイツ国境への追撃戦

 

連合軍がフランスを横断してベルギーに向けて突進した時、ドイツ国防軍
は不可避の事態を遅らせようとして限界に近い状態であった。適切な量の
兵員も戦車もないドイツ国防軍は、残りの部隊が長期間にわたって放置
されていた「西の壁」(ジークフリート線。フランス〜オランダ国境沿いに構築
されたドイツの要塞線で、ドイツ軍は連合軍のドイツへの侵攻をここで
食い止めようとした)を確保できることを願い、何とかしてドイツ国境に到達
しようと試みると同時に、連合軍の前進を遅滞する以外にほとんど何もできなかった。

 

このような状態にあったドイツ国防軍が少しは抵抗できたという事実は印象的
であり、その功績は軍の大部分を前線から退却することを可能とした遅滞戦闘
を戦った兵士と小部隊指揮官に帰せられるべきものである。そして、彼らの抵抗
でフランス戦線から脱出できた部隊が、連合軍のドイツ本土への進撃を
遅らせることを可能にしたのである。

 

インテリジェンスから見た追撃戦の意味

 

インテリジェンスの観点から見ると、フランスを横断してのドイツ軍の追撃は、
多くの傍受通信と情報を連合軍側に提供してくれた。

 

『ウルトラ・イン・ザ・ウェスト』の著者でありハット3で勤務した経験を有する
ラルフ・ベネットは次のように証言している。

 

「八月下旬の大退却は、ハット3が最も繁劇な期間の一つであった」。

 

「ウルトラ」情報の量は、ドイツ軍がドイツ国境へ向けて大急ぎで退却する間、
爆発的に増加した。これには二つの理由が存在する。

 

第一の理由は、事実上、全陸軍部隊が移動状態にあり、もはや電話通信の
使用を可能にするような固着した指揮施設から作戦を指揮することが
できなくなった点だ。これにより、無線通信が主たる通信手段となり、英国の
政府暗号学校は奔流のような通信量と格闘しなければならなかった。

 

第二の理由は、ドイツ国防軍が組織的に崩壊していたことである。ドイツ軍の
退却が、計画された退却作戦ではなく、組織的に崩壊していた部隊による
小規模ないし個々人の退却行動であったため、ドイツ軍指揮官が混乱の
渦中で行われている退却を統制・調整することは極めて困難な状況にあった。
ドイツ軍指揮官にとって、隷下部隊の位置を特定し、隷下部隊の行動を調整
しようと試みる際に、無線通信が唯一の通信手段であったのだ。しかも、
その無線通信は、連合軍側により、傍受・暗号解読されていた。

 

ドイツ軍の困難な通信状態

 

西方総軍司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥の参謀長
ジークフリート・ヴェストファール将軍が、隷下司令部が電話を介して西方総軍
からの命令を受領するまでにしばしば二十四時間以上の時間を要した、と語っている
ことから推測されるように、ドイツ軍の通信状態は極めて悪かった。

 

また、ハインツ・グデーリアン将軍は、指揮官たちは戦場で何が起きているのか
について正確に理解することをやめてしまった、とまで述べている。

 

通信傍受情報が示すドイツ軍の無統制状態

 

ヴェストファールおよびグデーリアンの証言は、この当時のドイツ軍が
指揮統制を発揮できなかったことを強調する通信傍受情報によっても裏付け
が取れる。

 

たとえば、連合軍側が傍受した通信情報によれば、あるドイツ軍師団は、
「終日、いかなる指示もなかった」と述べたうえで、防衛線を確立するために
隣接する部隊と調整中である、と報告している。多くのドイツ軍部隊は、
自身の生存のために戦うだけではなく、その戦闘を上級司令部からの
いかなる指示なしに実行せねばならなかったのだ。

 

連合軍側の困難

 

だが、ドイツ軍の混乱状態は、連合軍にとって良い面ばかりであったわけではない。

 

ドイツ軍高級司令部が前線での戦況を把握しようと懸命にもがいていたのと
同じ頃、英国の政府暗号学校および連合軍の野戦軍指揮官は、ドイツ軍の
現在の配置や戦闘序列を把握するのに困難を感じていた。

 

ファレーズ包囲戦以前、ドイツ国防軍はいまだ部隊としての結束性を維持
していたため、連合軍がドイツ軍の移動や企図を追跡することにそれほどの困難
はなかった。だが、ファレーズ包囲戦以後、連合軍が把握できるドイツ軍の配置
や企図はとても混乱的なものとなった。

 

退却するドイツ軍は正規の戦闘序列を崩して、ごちゃ混ぜの編成となり、
状況により周囲の部隊をグループ化して戦闘群がつくられた。戦闘群は、
追尾してくる連合軍の前進を遅滞する戦術的必要性から生み出された、
その場しのぎの臨時的な部隊編成であった。

 

セーヌ川渡河後の、混乱しているがとても楽観的な内容を持つ情報報告書が、
連合軍指揮系統のあらゆるレヴェルをして「勝利の幸福感」に感染せしめた理由
の一つであったのだ。

 

 

(以下次号)

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

 

 

(平成28年5月26日配信)

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