マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(13)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(13)

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。

 

前回から戦間期ポーランドの暗号解読活動について詳しく述べている。前回は、ポーランド軍参謀本部はポズナン市にあるアダム・ミツキェヴィチ大学で暗号学講座を開設し、その講座を修了したマリアン・レイェフスキ、ヘンリク・ジガルスキおよびイェジ・ルジェツキの三人が選ばれて暗号局のメンバーとなり、エニグマ暗号を解読しようとするポーランドの努力を主導していくことになったことや、レイェフスキがエニグマのローターの配列を迅速に割り出すために、現在のコンピューターの前身というべき「ボンバ」と呼ばれる機械を製作したことなどについて詳述した。

 

今回も引き続きポーランドによるエニグマ解読の努力について述べることとする。

 

「ボンバ」の構造

 

ボンバが開発されたことにより、暗号分析官が暗号化された通信文を解読することができなかったとしても、エニグマの日鍵を特定するためにボンバを使用して暗号通信文を処理することができた。

 

ボンバは、電気モーター駆動の機械で、エニグマの複製機六台を接続したものであり、日鍵を約二時間程度で迅速に解析する能力があった。ポーランドは一九三八年十一月中旬までにボンバを六台製造している。

 

ドイツ、エニグマのローターの数を増やす

 

ボンバの製造はポーランドの暗号解読作業にとって大変有利に働いた。だが、その期間は長くは続かなかった。一九三八年十二月、ドイツがエニグマのローターの数をさらに二枚増やしたのである。これにより、原理的にはホイールオーダーが約十倍(六から六十)に増加し、暗号がより強固なものとなった。

 

つまり、ポーランド側はボンバの台数を六台から六十台程度に増やさなければならないこととなったのだ。だが、ポーランドは、六十のホイールオーダーを処理するのに必要な台数のボンバを製造し、それを運用するだけの予算・要員を持っていなかった。ボンバの数を六十台に増加させるだけでも、ポーランド軍参謀本部暗号局の予算の約十五倍を超える金額が必要であったのだ。

 

ポーランドの限界

 

しかも、すでに限定的であったポーランドの人的・予算的資源には、ローターの数が増えたことの他にも、さらなる重圧が加えられた。ドイツが戦時体制を強化したことにより、ドイツの全体的通信数が上昇し、それに伴いエニグマにより暗号化されて発信される通信文の数も増加したのである。これにより、通信傍受施設にかかる負担が増加した。だが、ポーランドは、ドイツが通信量を増加させたのと同様の迅速さで通信傍受・暗号解読を行なう能力を拡大することができなかった。

 

ポーランド軍参謀本部暗号局は、自国が持つ暗号解読能力を超過する量の暗号通信文で洪水状態となったのである。ポーランドはドイツによるローター数の増加に対処する方法を理論的には迅速に発見可能であったが、理論を実践するに必要なだけのボンバを製造・運用するのに必要となる資源を持っていなかったのである。

 

暗号解読面で他国との連携を迫られたポーランド

 

一九三八年までに、ドイツとの戦争が不可避なことがはっきりとなった。多くの欧州諸国が戦争のための態勢を準備し始めた。これにより暗号化されたドイツの通信を読むことのできる能力を保有することの必要性が欧州各国の政軍要人間の関心の的となった。

 

当時、イギリスではまだ解読されていなかったドイツのエニグマ暗号を解読するために、イギリスの政府暗号学校(GC&CS)は、暗号解読に必要な要員を集める全面的なリクルート活動を開始した。一方でポーランドは、ドイツのエニグマ暗号解読に成功していたが、いまや単独で暗号解読活動を実施することはできず、連合国を暗号解読活動に引き入れなければならないことを理解するようになった。この時点まで、ポーランドがエニグマ解読において達成した成功を知っている国は存在しなかった。

 

ポーランド軍参謀本部暗号局、ギュスターブ・ベルトランの提案を拒否する

 

欧州諸国がいかにポーランドのエニグマ暗号解読の成功に気づいていなかったのかは次の事実によって明白だ。

 

すなわち、ギュスターブ・ベルトランが、ポーランド軍参謀本部暗号局長ランガー大佐に対して、フランスがエニグマ暗号が破られていることをドイツ側に漏らすべきだと提案した事実である。ベルトランは、エニグマを使用して暗号化されたドイツの通信がどんな方法を使っても絶対に解読不可能であるとの信念に基づいて、この提案を行なった。ベルトランの目論見では、フランスがドイツにこのように漏らすことで、戦争前にドイツが通信システムを変更する挙に出るかもしれない可能性があったのだ。

 

ベルトランの策略にドイツがどのような反応を示したかは純粋に推測の問題でしかないが、「ウルトラ」計画が始まる以前に終了してしまった可能性が高い。だが、連合国にとって幸運なことに、ランガー大佐はベルトランの提案に不同意であった。そのため、ベルトランの策略は単なる議論以上には進展しなかった。

 

失敗に終わった、一九三九年一月の三ヶ国情報関係者協議

 

この時までに少佐に昇進していたベルトランはエニグマ暗号の解読に熱意を持つようになっていた。ベルトランは一九三九年一月にパリで仏・英・波(ポ)三ヶ国による情報関係者協議を開催する手配をした。この協議はフランス・イギリス・ポーランド三ヶ国の代表者がエニグマに関する情報を共有するために開催されたものであった。だが、この協議は全体的にみて不成功に終わってしまった。

 

各国の思惑

 

この協議が不成功に終わったのには理由がある。各国の思惑が一致しなかったからだ。

 

この当時エニグマ暗号解読に熱心であったイギリスは自国以外の国がエニグマ解読に成功をおさめていたとは考えていなかった。ベルトランを代表として送り出したフランスはハンス=ティロ・シュミットから機密文書を入手して以来、エニグマ解読に有益な情報をなんら入手できていなかった。そして、ポーランド代表は、もし他の国がポーランドが持っているよりも有益な情報を提供できない限りは、エニグマに関してポーランドが持っていた情報を公開してはならないと、本国から命令されていたのである。

 

ポーランド、連合国にエニグマに関する秘密を公開することを決断する

 

一月の協議以降、欧州情勢は悪化し続けた。三月、ドイツ軍が、プラハを占領し、スロヴァキアに進駐し、リトアニアを占領した。これにより、ドイツの勢力圏はポーランドを包囲する形となった。ポーランドはドイツの脅威に対処するために部分動員を発令した。ポーランドにとってドイツとの戦争が不可避なことは明白なものとなった。こうして、ポーランド軍参謀本部は、政府の同意のもと、自国が保有しているエニグマ暗号に関する情報を連合国に公開する決断を下したのである。

 

転換点となった、一九三九年七月協議

 

情報関係者の協議がポーランドで開催されることとなった。フランスとイギリスから派遣された代表団が一九三九年七月二十四日にポーランドに到着した。

 

今回は、イギリスもポーランドが彼らに公開するであろう情報の重要性を予想して、前回よりも経験豊富な政府暗号学校の職員をポーランドに送り出していた。フランス代表団の中にはベルトランの顔も見られた。今回の協議では彼らは失望を覚える必要はなかった。

 

七月二十六日、十名の関係者からなる一団がワルシャワの南約十キロのところにある小さな町ピレに移動した。ピレ郊外にあるカバティの森の中に、ポーランドは暗号解読基地を建設していた。そしてこの場所で、ポーランド暗号局が実施していた極秘活動がイギリスとフランスの代表者に公開された。

 

エニグマの複製機、英仏両国に交附される

 

カバティの森にある秘密基地を見学した後、ランガー大佐は、暗号局がコピーしたエニグマの複製機と、彼らが製造したボンバを英仏の代表団に見せた。英仏の代表団はポーランドがなした業績にとても強い印象を受けた。英仏がポーランドのエニグマ暗号解読プログラムの規模について知ったのはピレでの協議が初めてであった。そして、英仏代表団は、ポーランドのプログラムが初期段階にある英仏のエニグマ暗号解読プログラムにとってどのような意味があるのかを正確に理解したのである。

 

英仏の代表団がポーランドで受け取った情報は両国のエニグマ暗号解読プログラムの進展を確実なものとした。強固なエニグマ暗号を解読できることを知ったことで生まれた心理的後押しが両国の情報関係者の士気を高める効果もあった。彼らは手ぶらで本国に帰還するつもりはなかった。

 

協議の結論として、英仏両国がエニグマの複製機を受領することになるであろうと、ランガー大佐が発言した。一九三九年八月までにエニグマの複製機が両国に到着し、こうしてエニグマ暗号解読物語の新しい章が始まるのである。

 

 

 

(以下次号)

 

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

(平成27年8月27日配信)

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