マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(10)




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マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(10)

アモス・ギルボア著『イスラエル情報戦史』(並木書房)を推薦する

 

本連載に登場するポーランドの事例に代表されるように、国の四周を敵国に囲まれた国家の情報機関はよく発達する傾向にある。現代の事例でいえば、イスラエルの情報機関がそれに該当するであろう。

 

一般に、情報機関の活動は機密に属するため、情報機関の活動の実相に迫ることのできた研究というのは少ない。だが、市民の間で高まりを見せる情報公開・情報アクセス権の輿論の高まりに対し、情報機関ですら沈黙を守ることが困難な時代となった。

 

この時代の流れをうけて二〇一〇年、英国の対外情報部MI6が正史を刊行して(ジェフリー・キース著『MI6秘録 イギリス秘密情報部1909〜1949』上下巻、筑摩書房)、自身の活動を可能な限り明らかにして国内外の注目を集めた。このMI6の正史の出版に影響を受けたのが、イスラエルの情報機関関係者である。モサドやアマンなどのイスラエルの情報機関も自身の手で明らかにできる活動の詳細を公表しようとしたのである。それが、イスラエル政府公認の情報「正史」である本書、アモス・ギルボア著『イスラエル情報戦史』(並木書房)である。

 

本書は数多くの論文から構成されているが、その執筆者はアマン、モサドの元長官、ヒューミントやシギントに関与した指揮官などであり、その内容は専門的で、史料的価値が高いものとなっている。

 

恐らく、本書は、『『MI6秘録』とならび、今後、情報戦史の必読本として読み継がれていくであろう。文章も平易で専門外の方でも読みやすいので、ぜひこの機会に多くの諸賢が本書を繙かれることを期待したい

 

 

前回までのあらすじ

 

本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが一九四四年九月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。

 

指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。

 

前々回からインテリジェンス活動の基幹をなす暗号と暗号解読についてみてきている。その際にキーワードとなるのは、ドイツ軍が使用した暗号機「エニグマ」とそれを解読した「ウルトラ」情報であるが、前回は「エニグマ」誕生の詳しい経緯について説明した。

 

エニグマ暗号機の誕生は、ドイツ人技師アルトゥール・シェルビウスが歯車を回転させることで暗号化を行なう暗号機に関する特許を申請(一九一八年出願)し、シェルビウスが一九一九年に同様の特許申請を行なっていたオランダ人ヒューゴ・アレクサンダー・コッホの特許を購入したことに端を発する。

 

一九二三年、シェルビウスは企業に暗号機を販売することを目的とした会社を起業した。だが、シェルビウスはエニグマ暗号機を商業用暗号機として販売したものの、彼のビジネスは順調とはいえないものであった。

 

事実上無視されていたシェルビウスの暗号機が注目を浴びる契機となったのが、一九二六年、ドイツ海軍によるエニグマ暗号機の採用であった。ドイツ陸軍、ドイツ空軍およびその他のドイツ政府機関はドイツ海軍の動きに追随し、エニグマ暗号機をそれぞれの通信システムに導入するようになった。そして、第二次世界大戦終了までに、エニグマ暗号機は軍のあらゆる部門のみならず、軍以外の政府内のあらゆる機関でも使用されるようになった。

 

今回から数回に亙り「ウルトラ」情報について述べることとする。

 

忘れられたポーランドのエニグマ暗号解読作業

 

よくある誤解の一つに、英国がエニグマ暗号の解読に成功したのは、英国が単独でなした業績であるというものがある。しかし、英国の「ウルトラ」計画の系譜は、ポーランドのウイッチャー計画に直接遡ることができる。というのも、ポーランドがドイツの暗号通信を解読することで蓄積した、ウルトラ計画以前の十三年間に及ぶ諸経験なくしては、ウルトラ計画が現在かたられているような成功譚となったかどうかは極めて疑わしいからだ。

 

ポーランドが、第二次世界大戦前夜に、自国がやってきた解読作業の蓄積を、フランスおよび英国に引き渡したとき、英国はわずかにエニグマ暗号機がどのように動くのかというような極めて初歩的な知識しか有していなかった。

 

不幸なことに、ポーランドが蓄積してきたエニグマ解読作業は多くの歴史家により見過ごされがちである。というのも、ポーランドの解読作業は大戦中ではなく戦間期に実施され、その規模が小規模だったからである。だが、小規模であってもポーランドの解読作業は効果的なものであり、後に英国により実施された解読作業に劣らないどころか、英国による解読作業以上の重要性を持つものであった。

 

ウルトラに関するもう一つの誤解

 

ウルトラに関するもう一つの誤解として、ウルトラの唯一の任務はエニグマの暗号コードを解読することであった、というものがある。この誤解は部分的には正しいが、ウルトラ計画の裾野は広く、毎日、エニグマ暗号の「鍵」を発見しようと努力する数学者たちの集団だけの努力にとどまるものではない。

 

現実には、ウルトラ計画は以下のようなあらゆる段階を含む総合的な計画であった。すなわち、それらの段階には、

 

@ドイツ軍が送受信する情報を傍受する
A傍受した暗号の「鍵」を解読する日々の努力
B情報文を読みやすくする
Cインフォメーションをインテリジェンスに高めるために情報文を分析する
D解読・分析が済んだインテリジェンスを第一線部隊の指揮官に伝達する
Eそれを読んだ部隊指揮官たちが「ウルトラ」情報を決断のために利用する

 

といった諸段階が含まれていた。

 

ポーランドによるドイツ無線通信傍受計画の始まり

 

第一次世界大戦の後の数年間、大戦に参戦した多くの国家が大戦中に実施されていた暗号解読のプログラムを維持し続けたが、その有効性の程度は各国により異なっていた。今回は、ポーランドと英国の例を説明してみよう(次回で、フランスや米国をとりあげる予定)。

 

それらの国々の中でも、最も積極的に暗号解読プログラムを実施していたのがポーランドである。というのも、ポーランドはヴェルサイユ条約が戦争を終わらせるものではなく、次の戦争までの一時的休息期間を提供するものに過ぎないということを正確に理解していたからである。

 

ポーランドにとって直接の関心事はドイツがポーランドに対してどのように反応するのか?というものであった。というのも、ヴェルサイユ条約はドイツに対しポーランドへの領土割譲を定めていたからである。

 

ポーランドはこのことを念頭に置き、大戦終了後間もなくからドイツの無線通信の傍受を開始し、この通信傍受活動はポーランドがドイツ軍の侵攻を受ける一九三九年まで継続した。

 

第一次大戦後における英国暗号解読プログラムの情況

 

新たにエニグマにより引き起こされた潜在的な脅威が関係者により理解された時に、ポーランド以外の連合国はポーランドの情報活動に匹敵する諜報活動を行なっていなかった。

 

第一次世界大戦中、英国で行なわれた暗号解読プログラムの名前は「ルーム40」といった。大戦終結後の一九一九年、ルーム40は解散され、その機能は政府暗号学校(GC&CS)創設のために英国陸軍の情報部MI1と統合され、その管轄も海軍省から外務省へと移管された。

 

政府暗号学校の暗号解読は戦間期も機能していたが、エニグマ暗号を解読するのに十分な人的・物的資源の配分は適切になされておらず、第二次世界大戦前夜になってドイツの通信システムを突き破る準備ができていないことが判明した。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

 

(ちょうなん・まさよし)

 

(平成27年6月25日配信)

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