マーケット・ガーデン作戦とインテリジェンス(8)
前回までのあらすじ
本連載は、精確な内容を持つインテリジェンスが1944年9月上旬に連合軍の指揮官に利用されたかどうかを考察することにある。実は、インテリジェンスの内容は、マーケット・ガーデン作戦実行に伴うリスクを連合軍の指揮官に警告していた。
指揮官が決定を下すために利用できるインテリジェンスの情報源は数多く存在していたが、本連載では「ウルトラ」情報により提供されたインフォメーションにのみ焦点を当てて考察を進めることとする。第二次世界大戦を通じて、連合軍の戦略レヴェル・作戦レヴェルの指揮官たちはウルトラ情報を活用し、ウルトラ情報の精確性に関してめったに疑いを持たなかったからだ。
過去数回にわたりマーケット・ガーデン作戦がどのような経緯をたどったのか?について述べてきた。
マーケット・ガーデン作戦は、1944年9月17日から9月26日まで続いたが、低ライン川渡河点を確保するという目的を達成することには失敗した。北部ドイツ平原を通ってベルリンに至る回廊を開くことにも失敗した。空挺部隊及び第30軍団を含む損害の総計は、11000人に達した。
6つの橋のうちの5つの橋の奪取には成功したが、アルンヘムでネーデル・ライン川にかかる最後の6つ目の橋を奪取することには失敗した。アルンヘムでの抵抗及び第30軍団が通過したルート上でのドイツ軍の抵抗が予想以上の抵抗であったため、空挺部隊は地上軍部隊がアルンヘムに到着するまでアルンヘムの橋を保持することができなかった。そして最も重要なことは、モントゴメリーの希望とは異なり、この作戦は第三帝国の崩壊をもたらさなかった。
今回から数回にわたり、インテリジェンス活動の基幹をなす暗号と暗号解読についてみていきたい。その際にキーワードとなるのは、ドイツ軍が使用した暗号機「エニグマ」とそれを解読した「ウルトラ」情報である。
商業用暗号機として開発された「エニグマ」
ドイツ軍が使用した有名な暗号機に「エニグマ」がある。エニグマと呼ばれたドイツの暗号機は、第一次世界大戦後に、軍用としてではなく商業用製品として使い始められた。
最初に、この商業用暗号機の主たる市場として考えられたのは、商業活動の際に通信の安全を必要とする大企業であった。だが、ドイツがヴェルサイユ講和条約で規定された条項に違反して再軍備を開始した時に、この商業用暗号機の運命は大きく変化することとなった。
というのも、再軍備計画を秘密裡に継続実行するためには、安全な通信手段が必要とされたからである。そして、エニグマは既存の通信構造に容易に取り入れることのできる能力を有していたため、ドイツ軍はエニグマに目を着けたのである。
エニグマに最初に関心を示したドイツ海軍
エニグマとその能力に最初に着目したのは、ドイツ軍のなかでも海軍が最初であった。そして、海軍が着目して間もなく陸軍もエニグマに関心を示した。
そして、第二次世界大戦が終了する前までに、暗号機エニグマはドイツ陸海空軍のあるゆる部門およびドイツ政府機関の数多くの部署で使用されるまでにドイツ国内で普及していた。
ポーランド、フランス、イギリスによるエニグマ暗号解読の努力
第二次世界大戦においてドイツ軍の敵国となるポーランド、フランスおよびイギリスは、開戦以前からエニグマの暗号を解読しようと試みていた。
エニグマ暗号を解読するという任務は、エニグマ暗号機が作り出すことができる複雑な暗号コードのパターン数を考慮すると気が滅入るような困難な任務であった。
エニグマ暗号機を使用しているドイツ軍当事者同士が読む前に、連合軍関係者がエニグマ暗号を読むことができるようになるまでに、数多くの試行錯誤と多少の幸運とが必要であった。
「ウルトラ」とは?
「ウルトラ」とは、エニグマ暗号機でやりとりされる電文を解読するプログラムに与えられたコードネームである。
第二次世界大戦が終了するまでに、ウルトラは連合軍の指揮官たちにこれ以前の戦争では前例のないような能力を与えることを可能とした。そして、その能力とは、敵が発する通信文をほぼリアルタイムで読む能力である。
もちろん、ウルトラのみがヒトラー率いる第三帝国を崩壊に導いたのではないが、ウルトラが第二次世界大戦で連合軍が実施した諸作戦の計画と実行を助けたことは確かであるし、連合軍の死傷者を減少させ、最終的に連合国がドイツを敗北に追い込む時間を短縮させることに寄与したのは確実である。
非線形なエニグマの改良発展
エニグマはシステムの開発改良が複雑な経緯をたどってすすめられたため、エニグマの改良について決定的といえるような歴史的説明をすることは困難を伴う。
そもそも、エニグマ暗号機は、暗号解読を困難にする目的で、第二次世界大戦の開始から終了まで、絶えず改良がくわえられた。
さらに問題を複雑にしているのは、エニグマ暗号機を使用したドイツ陸海空各軍およびドイツ政府各機関が、他の軍種・機関がなにをやっているのかについては気に留めることなく、暗号機にさまざまな改良を施していった点である。その結果として、ドイツ陸海空各軍とドイツ政府各機関には、同時期にさまざまな種類のエニグマ暗号機が存在することとなったのである。
エニグマ改良の歴史 〜海軍の場合〜
ここでは、エニグマ改良の歴史を海軍を例にとり見てみよう。その前に、エニグマ暗号機の機械的説明をすると次のようになる。
エニグマ暗号機は、一番手前にキーボードがついてあり(なお、キーボードの手前にはプラグボードが格納されている)、その奥に表示盤(ランプボード)、最奥部に三枚のローターの順で並んでいる。
暗号化の鍵となるのは、複数あるローターのうちどれを使うかの組み合わせと、ローターをセットする順序、ローターの目盛りの初期位置、およびプラグボード配線である。
海軍は、最初、標準的な三枚のローターを使用したエニグマ暗号機を使用していたが、1943年に、読解を困難にする目的で、四枚ローターを使用するエニグマ暗号機を導入し、その後、ローターの数を五枚に増やしている。
ローターを増加させることで、ドイツ海軍の暗号を読解することは非常に困難になった。陸空軍と比較すると、海軍が使用していたエニグマ暗号機の数は少なかった。そのため、ドイツ海軍は改良したエニグマ暗号機を艦隊に配備することが容易であった。
エニグマ解読をさらに困難にしたもの
エニグマ暗号機の機種が数多くあることに加えて、エニグマ暗号機を使用するドイツ陸海空軍およびドイツ政府各機関がそれぞれ独自の運用手続きでエニグマ暗号機を使用していた。
たとえば、事実上、ほぼすべてのエニグマ暗号機を使用する軍・政府機関が平文をエニグマ暗号機にタイピングする一方で、ナチスの親衛隊保安部は、平文をエニグマに打ち込む前に、平文を暗号化する手続きを踏んでいた。
暗号を解読する連合軍の側からすると、これはエニグマ暗号を解読することに加えてもう一つの暗号を解読することを意味するので、暗号解読を担当する分析官たちを非常に悩ませることとなった。
(以下次号)
(ちょうなん・まさよし)
(平成27年4月23日配信)
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