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あの日の自衛隊

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今年もまた"あの日"がやって来ます。

 後に阪神淡路大震災と呼ばれる大地震が起こったとき、被災地の真っ只中に
位置する兵庫県庁や神戸市役所は、外部に向かってSOSさえ発信できないほ
どの痛手を負いました。

 自衛隊の災害派遣出動が遅れた原因については、当時、左翼系のマスコミは
ここぞとばかりに自衛隊の怠慢だと書き立てましたが、自衛隊が自発的に動け
ない法律が現に存在し、また自衛隊を法律でがんじがらめにして動けなくして
きたことが、それまでこの国の防衛政策の実態だったのです。

 では、当の自衛隊は出動命令を受けるまで何もせずに指をくわえて被災地の
様子を眺めていたのかというと、決してそうではありませんでした。

 大阪府和泉市・信太山に駐屯する第37普通科連隊は、大阪で唯一の実働部隊
であり、被災地から遠くにあるため被害を免れました。部隊では非常呼集が発
令され、営外居住者は直ちに全員出勤。
 しかし命令を受けるまでもなく、ほとんどの営外居住者は早朝、自発的に出
勤してきたそうです。そして外出中の者はもちろん、休暇中の隊員も全員が呼
び戻されて出動準備を整え、まず演習場に向かいました。
演習場にはヘリコプターが待機していて、部隊は空路、被災地へ移動しました。

 被災地へ入った部隊は直ちに各中隊・小隊ごとに目標を示されて、救援活動
を始めました。電気が止まり信号が作動していないので、道路は絶望的な渋滞
でした。ですから集結地から各目的地までは、徒歩で移動したといいます。
 移動の途中、いたるところで家が倒壊していて、たまたま難を逃れたり1人
だけ脱出に成功した家族の人が、自衛隊と見るやすがりつくように助けを求め
てきます。

 助けてやりたいのはやまやまですが、部隊として行動命令を受けているので
寄り道はできません。これから行こうとしている場所にも、助けを求める人が
いるからです。
 やむを得ず、すがりつく人を振り切って目的地へ向かったわけですが、これ
が後に「自衛隊が被災者を見捨てて行ってしまった」と誤解され、左翼系のマ
スコミによって記事になりました。

 徒歩で移動すると、このようにそこらじゅうから手を引っ張られるので、部
隊は救援用の資機材を担いだまま駆け足で移動することにしました。しかしそ
れでも追いすがってくる人がいるというので、やがて目的地に着くまで休憩な
しで全力疾走にて移動することを余儀なくされました。

 出動してまもなくの頃、ある小隊が移動中、半壊して傾いている家の横を通
り過ぎようとしていました。そこへ、その家の住人と思しきおばさんに「あん
たたち、この塀を押さえていてちょうだい」と声をかけられました。見るとそ
の塀は傾いてはいるけれど、すぐに倒れる気配はありません。

 小隊長は部隊の任務上それはできないことを説明しましたが、おばさんは納
得しません。小隊長は「家に閉じ込められている人がいるなら我々が助けます
が、まだ誰か中にいるんですか」と尋ねると、そのおばさん曰く「じゃあ、あ
たしが中に入るから助けてよ」と言います。ワケが分からんと隊員たちがキレ
かけたのを察した小隊長は、民間人とのトラブルを起してはならんと、おばさ
んを相手にするのをやめて移動を再開しました。

 災害派遣に動員された部隊は近畿近傍の部隊を中心に全国から動員され、2
ヶ月後に起こる地下鉄サリン事件でも出動することになる化学防護隊までが、
救援部隊として動員されていました。
 主な任務は倒壊した建物の下敷きになった人の捜索と救出でしたが、天幕で
風呂を提供したのは後方支援連隊の補給隊で、師団規模の大演習でも演習場の
宿営地で風呂を沸かしているのをよく見かけます。また、各避難所で暖かい食
事を提供したトレーラー式のキッチン「野外炊具1号」は、中隊に1台ずつ装
備されていて、部隊の食事を自前で賄うことができます。

 出動部隊の宿営地になった場所のひとつに、王子動物園がありました。部隊
は交代しながら約1ヶ月間そこに駐屯していたのですが、自衛隊が撤収すると
き、動物たちが檻ごしに名残惜しそうに部隊を見送っていたといいます。

 信太山から出動した部隊の食事は、最初の1週間は部隊から持参したカンヅ
メだけだったそうです。しかも、天幕を密閉して外部から見えないようにして
食べたといいます。なぜなら、同じ場所には被災者も居て、満足に食事をとれ
る状態ではなかったので、「自衛隊だけがたらふく食ってる」という誤解と批
判を恐れたからです。

 震災から数ヶ月のち、落ち着きを取り戻しつつあるといっても、それは表面
上のことで、被災地には避難民のテント村が減少の気配すら見られず、行政の
機能も満足に回復していない状態が続いているとき、奇妙な集会が東京で開か
れました。

「軍隊に守られた生活を拒否する」

 主催したのは聞きなれない名称の市民団体で、集会の主旨からみてもあきら
かに左翼系であることが分かります。阪神大震災の救援活動で活躍した自衛隊
を疎んじた連中が企画したものと思われます。

 この集会に、身分を隠して参加した海上自衛官がいました。部隊から密命を
帯びてというわけではなく、「こんなノーテンキな集会を開くのは、いったい
どんな連中だ」という個人的な好奇心でした。
 集会は一応全国大会を謳っていましたが、参加者はわずか30名たらず。主
催者代表を名乗る人物が「軍隊によって守られる生活を拒否し、自らの生活を
守ろう」という主旨の演説をぶち上げたそうです。最後に質疑応答になったと
き、件の海上自衛官は主催者に対してこのような質問をぶつけてみました。

「もし、あなたが被災者となり、自衛隊から救いの手が差し伸べられたとき、
あなたはそれを拒否できますか」

 これに対する答えは、
「それについては未だ考察の段階にあり、明確な解を得ていない」
 集会まで開いて自衛隊批判をやるくせに、自衛隊に助けてもらうぐらいなら
死を選ぶと言い切るだけの根性もないのですね。

 あれから8年。部隊としての派遣命令が解除されたあとも、ボランティアと
して個人で被災地へ通い続けた自衛官は少なくありません。また、自衛隊に助
けられた当時の小学生の1人が、いまは自衛官として勤務している事実がある
ことも、あまり知られていません。こういう事実は、マスコミが報道しないの
です。

 1月17日、テレビでは毎年特集を組んで放送しています。しかし特集を組
んだことで、なんとなく"オトシマエ"をつけたような雰囲気が年々強くなっ
ているような気がするのは、はたして私だけでしょうか。

(ひら☆やん)

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(投稿日:2003年1月17日 19:11
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