将校の死傷率からわかる日露戦争の実態 (荒木肇)

2020年4月21日

From:荒木肇
件名:将校の死傷率からわかる日露戦争の実態
2012年(平成24年)9月12日(水)
□はじめに
 9月になったというのに、こんなに暑かったでしょうか。
まるで亜熱帯です。友人たちの中にも、体調を崩したり、食欲不振に
なったり、不眠を訴えたりという人が多くいます。皆さん、どうか
ご自愛ください。
 私は復興へのかけ声が盛んな仙台へ行って参りました。土曜日の
ことでしたが、仙台駅前はたくさんの人でごった返しています。
何事かと思ったら、ジャズフェスティバルという催しがあるとか。
お迎えに来て下さった自衛官とも、あやうく出会えなさそうな気が
するほどの混雑です。新幹線も「はやて」の席が取れない状態でした。
 いったい、どこに震災の爪痕が・・・と思いましたが、景気の格差
は大きいものです。ひとたび、駅前を離れれば、まだまだ復旧途上の
場所もあり、胸が痛みました。ところで、伺ったのは、陸上自衛隊
東北補給処です。方面隊ごとに補給処がありますが、その創立54
周年記念日でした。主にOBや企業の方ばかりが見える、品のいい
祝賀会です。国会議員もお一人も見えず、メインテーブルにも、
地域の町内会長さん方も招かれ、いい雰囲気の会でした。
▼日露戦時の人事事情
 さて、ベー様。おたずね、ありがとうございました。
陸大出身者も前線に立ち、その損耗はいかがなものか?ということと
受け止めました。明治陸軍の実態を知るためには貴重な視点だと
思います。そして、勝手ながら、脚気問題の大団円を迎える前に、
当時の陸軍の実態の一部をお知らせしておこうと考えました。
 まず、日露戦争での将校達の戦死傷の実態をお話します。
そして、今の自衛隊と同じく、いざ、有事にあたってやっぱり人手
不足の問題が起きています。よく知られていますが、奉天会戦を
終えた時には、将校・准士官の数が足りなくなり、もう次の会戦が
できる状態ではなかったというほどです。
 歩兵兵卒は3カ月で一応教育できる。ただし砲兵を一人前にする
には9カ月が必要と聞きました。下士官は数年がかりでしょう。
そして、将校は遠大な人事の見通しを立てて、10年単位で育て
なくてはなりません。
 まず、現役将校の数はどれくらいだったか。士官生徒(旧制)が
1期から11期まで。1890(明治23)年卒業の士官候補生1期
から16期までが、日露戦中に在籍した現役将校の補充源でした。
その数は、前者が1285名、後者は6916名で合計すると、
8201名になります。しかし、当時は平時での病死の割合も高い
ものでした。
 たとえば、旧制の1期生たちは卒業こそ117名でしたが、
1899(明治32)年の同窓生名簿によれば、病死が29名です。
現役を続けている人は、その時点で69名、つまり卒業時からみれば、
約59%しか残っていません。37年の7月には、現役はさらに
減って38人です。
 ついでに労作「日露戦争の軍事史的研究(大江志乃夫)」から
将官を除く、各兵科現役将校たちの実数を引きましょう。
大佐131名(以下省きます)、中佐139、少佐594、
大尉1698、中尉2603、少尉1598です。合計6763名。
 うち歩兵が4078ですから全体の60.3%。騎兵467で
同じく6.9%、砲兵は1498で22.1%、工兵383で5.7%、
輜重兵249で3.7%。憲兵は88名でしかなく、全体の1.3%
でした。これが明治37(1904)7月の実態です。
 そして召集されて服役中の予備・後備将校数(将官を除く)は
どれくらいだったか。予備役2694、後備役1321、合計4015
という大きな数でした。こうしてみると、陸軍将校のうち、現役と
召集中の人の比率はざっと、7:4ということになります。
 中でも予・後備役少尉は総数で2694名、しかもうち1年志願兵
出身者は1827人というものです(全体の67.8%)。手元に
ある『陸軍服役条例』によれば、将校の現役定限年齢は大佐55歳、
中佐53、少佐50、大尉48、中少尉45歳となっていました。
これになれば、今の企業・官庁の定年と同じく、ただちに予備役に
編入されました。ただし、これに満たないまでも、服役11年以上で
現役に耐えないと認められれば、諭旨予備役編入。予備役将校は現役
定限年齢になると後備役に編入され、その年限は第6年目の3月31日
というものでした。だから、召集将校の中には理論上、50歳の少尉
もいたことになります。
▼野戦師団の将校の数と出征者
 当時の陸軍は平時の編制と、戦時の編制ではだいぶん違っていました。
特設される部隊や機関などの数も増えますし、部隊そのものも大きく
なります。動員が下令されたときの師団の将校・准士官とその相当官
(軍医、経理、獣医など)の人員数を示してみます。
 野戦師団と野戦電信隊、兵站部隊の将校・准士官、同相当官の数です。
順に392、3、20、合計415名です。これに輜重兵科が25名、
これに各部将校・准士官相当官が、317名。すべての合計が757名
となります。下士・兵卒・雑卒(輜重輸卒や砲兵輸卒、補助看護卒など)
も合わせて、総人員2万106名ですから、割合は約3.8%というの
が実態でした。野戦師団はその司令部と2個の旅団司令部、4個の
歩兵聯隊、騎兵、野砲兵(山砲聯隊もある)の各聯隊と工兵、輜重兵
大隊の各大隊、弾薬大隊、架橋縦列(中隊規模)と馬廠、衛生隊、
野戦病院などで構成されます。
 歩兵聯隊は将校・准士官が69名、各部相当官が9名、各兵科
下士209名、各部7名の合計216名。歩兵聯隊の幹部(陸軍は
伍長以上を幹部といった)は合わせて294名ということになります。
総人員は2919名ですから、割合は将校・准士官、同相当官は
約2.7%だったようです。
 なおついでに戦争に参与したすべての人員数を確認しておきましょう。
 将校は2万6097名(以下省く)、准士官5624、
下士8万7565、兵卒96万9710、合計108万8996名。
 そして、意外に無視されがちなのが軍属です。軍属は軍隊に所属
する文官たちでした。将校に相当する高等官が4162名(以下省く)、
判任官と雇員(こいん:下士相当)が1万6163、傭人(ように
ん:兵卒相当)が13万3851、合計15万4176名でした。
NHKの「坂の上の雲」にも、野戦騎兵大隊を率いた秋山好古に、
平服の支那語通訳官がついていました。おそらく判任官待遇の人だった
でしょう。
 なお、この数字は『戦役統計』からです。将官と見習士官、
同相当官も入っています。
 108万8996名のうち、94万5394名が戦地勤務、
すなわち出征軍に属しました。約87%です。他は内地勤務でした。
 
▼どれくらいの割合で将校は死傷したか?
 これもまた、大江の労作によるが、戦役の間の勤務将校の増え方
があります。少尉は前年7月と比べると4.3倍の増加です。
とりわけ高いのが歩兵の5.4倍、工兵の5.7倍となります。
工兵はいわゆる建設工兵(道路や架橋などのインフラ整備)より、
前線に出る戦闘工兵が増えています。砲兵や騎兵の増加は2倍程度
ですので、いわゆる機械化装備や馬匹資源を増やす、その技術者で
ある幹部を育てるのは簡単にはいかない訳からでしょう。
 兵科・階級別の死亡率です。最も高いのが少佐であり、中でも
歩兵少佐は人員数の23.6%。歩兵大尉は14.9%でした。
ただし、大江氏も書いておられますが、大尉が戦死し、名誉進級
した少佐が含まれているという事情もありそうです。全体でみれば、
歩兵科将校の15%が死んでいます。歩兵科少尉の12.2%が
亡くなっていました。負傷者は死者の3倍くらいという近代戦の原則
からいえば、歩兵隊では将校の半分以上が死傷している。
少尉の12.2%が死んだということは、半数が死傷してしまった
ことを表している。
 歩兵少佐と大尉の死亡率が高いのは、当時では突撃単位が大隊
だったからと考えられます。大隊長は少佐、そして大尉は中隊長。
また大佐であっても、死亡率は15.8%という恐ろしい高率でした。
聯隊長が軍旗を奉じて突撃ということがふつうでもありました。
 軍隊は階級が下ほど損をするといった「神話」がウソであること
が分かります。日露戦争全体を通じても、歩兵兵卒の戦没率は
10%であり、各科兵卒でみれば同8.8%にしかならない。
『戦線に到着した補充の新品歩兵少尉たちは平均10日で死ぬか、
負傷して後送される』といった言葉がやりとりされていた前線。
聯隊旗手までも次々と倒れ、中隊長の大尉が死に、代理の中尉が
すぐに撃たれる。代わりに立った少尉は突撃を下令した瞬間に
狙撃される。これが日露戦争の野戦の実態だったようです。
 また、予備役大尉や後備役の大尉、つまり予定された中隊長要員
はひどく少ないものでした。それぞれ用意されていたのは数十人
という規模です。これは、海軍の予備士官と異なり、陸軍は厳密に
軍務にじっさい就いていた年数を進級の要件にしていたからでした。
海軍の予備士官とは高等商船学校出身の民間船士官で、商船や貨物船
での船舶運用経験も加味され、それなりに進級していました
(もちろん、現役に比べれば遅々たるもの)。これに対して陸軍は、
召集中に進級した者以外は、すべて任官時の少尉のまま据え置かれて
いたのです。
 現役大尉は貴重な「人財」であり、陸大卒業生もたいへん貴重な
存在でした。でも、前線に立つ中隊長も大事な任務でした。陸大の
学生はみな「戦時職務」をもって入学していました。したがって、
陸大が閉鎖されれば、ただちに野戦隊に戻ったのです。そうした
原則はひどく厳しく実行されていました。それがまた、わが陸軍の
近代組織であるゆえんの一つだと私などは思うのです。
 最後に、戦闘死者(即死者と戦傷が元で亡くなった人たち)の
統計があります。
 歩兵佐官は総員の20.9%です。同尉官は15.0%、
下士17.4%、兵卒10.0%。佐官が異様に高いことが分かります。
まさに「歩兵の戦」だったことの証明になるでしょう。
 次回でようやく、「脚気問題」の大団円です。
(以下次号)
(荒木肇)
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● 著者略歴
荒木肇(あらき・はじめ)
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、
情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研
究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務め
ながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受け
る。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイ
ド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供にも嫌わ
れる先生」「東日本大震災と自衛隊」
(いずれも並木書房 http://www.namiki-shobo.co.jp/ )
「日本人はどのようにして軍隊をつくったのか」
(出窓社 http://www.demadosha.co.jp/
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著者:荒木肇
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