非常事態宣言と戒厳令の違い

「日本列島波高し」より
http://yosoro.okigunnji.com/?cid=19711
まず、非常事態宣言ですが・・・
これは予想を超える大きな災害や予期しない事件で、事前に想定されている程度の対策では充分でなく、かつ通常の「平時モード」法律によるだけでは有効な対処ができないような事態が続出した事態に至ったとき、臨機の処置をとる権限を行政府に認める「非常時モード」に切り換える制度ですね。

この制度はあくまで事前に「非常時モード」法体系で「出来ること、出来ないこと」等の許容範囲が定められているべきで、已むを得ず事前に許容した範囲を超える施策を行う場合には国会の議決を経る必要があります。
つまり、大前提として国家の三権が(一時的、局所的には欠けるとしても)全体としては機能していることが想定されているのではないでしょうか。
もちろん許容される範囲は様々で、ナチスドイツのように議会が政府に全権を委任すれば次に述べる戒厳令を含めて「何でもあり」状態にもなり得ます。
一方、戒厳令の発令ですが・・・
これは「本来は」国家の三権が機能できないような事態を、それが回復されるまで暫定的に、軍政によって乗り切る手段ですね。
もっと有り体に言えば「軍隊による国家権力の一時的占領」です。
例えば、(現在の日本国憲法にはありませんが)世界中の「普通の国」では元首なり議会なりが「戦を宣し」「和を講じる」ことを憲法等に定めています。
しかし、もし首都が核兵器で奇襲されればその両者とも一時的に存在しなくなるかもしれません。国土、国民は存在しても国家機能は壊滅しているような状態です。
このように「敵と戦え」という命令を出すべき政権中枢さえも消滅しているような場合、前述の「非常時モード」への切換もできないわけで、もし戒厳制度がなければ国家としてはなすすべがありません。
この例は極端ですが、ことほど左様に戒厳令とは「国家機能に重大な欠落が生じた場合に発動される、一時的、合法的なクーデターもどき」と言えるかもしれません。
以前に「自衛隊をめぐる不条理」の話で書きましたが、軍隊の本質は「国内法の機能し得ない場面で活動できる」ことにあります。
本来軍隊の行動を規定するものは最高指揮官の意志と確立された国際法だけです。
そのため軍事刑法等の軍規諸令達も法律ではなく、最高指揮官(国王や大統領)からの命令の形で出されているのが普通です。議会で議決された法律では指揮官の権限で臨機に変更することができないからです。
(ちょっと道草:英国海軍の軍人が「この無精髭は女王陛下が許可した」と威張っていますが、これも上記の海軍刑法などの記された
“Queen’s Regulations for the Royal Navy” (*)の中に書かれています。ビクトリア女王が艦内の真水節約のために許可したそうです。)
幸いにも軍隊には指揮官に事故あるときに指揮権を委譲・継承すべき順序が事前に、上は国家元首たる最高司令官から下は末端の兵士に至るまで、明確に定められて周知されています。如何なるときにも、部隊の所在や規模にかかわらず、誰が指揮官(意志決定者)であるかは常に明白です。
更に加えて、他に依存せず独自で任務を遂行できる能力(自己完結性)を具備しています。
これ等の特質を使って「やむを得ず、臨機の処置として、軍隊により国家機能を維持する」、これが戒厳令の発令になるわけです。
なおこの観点から見ると戦前の我が国の戒厳令は2.26事件のみが該当しますね。
日比谷事件や関東大震災は当時の警察力の補完(当時は機動隊がなかった)に過ぎず、現在の自衛隊の治安出動と同じ性質のものではなかったかと思います。
先の大戦中は、東京大空襲のような関東大震災を凌ぐ戦災下でも国家機能が正常に活動していたので、戒厳令は発令されませんでした。
以上、ヨーソロの管見です。繰り返しますが、明白な根拠は・・・ありません。
それにしても、世界中至るところで非常事態宣言や戒厳令が見境なく乱発されていますね。
(*)“Queen’s Regulations for the Royal Navy
(ヨーソロさま)
(2005.05.08配信 「軍事情報号外」より)