「戦争は悪意に基づいているのか?」—戦争は人間的な営みである ~新戦争文化論~(1)

2020年4月21日

From:石川明人
件名:戦争は悪意に基づいているのか?
2012年(平成24年)9月4日(火)
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軍事情報短期連載  戦争は人間的な営みである~新戦争文化論~(1)
「戦争は悪意に基づいているのか?」
                石川明人
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はじめまして。
石川明人(北海道大学助教)と申します。
このたび、ご縁があって、メルマガ「軍事情報」さんに駄文を
短期連載していただくことになりました。
全体のタイトルは【戦争は人間的な営みである】です。
昨年の秋、私は勤務先の大学で、戦争に関する短い講演をいたしました。
本メルマガでは、その講演の主旨に基いて、戦争や軍事に関する私見を
7回にわたって述べさせて頂く予定でございます。
   ↓
(参考動画:石川明人「戦争は人間的な営みである」約15分)
 
さて今日、この第1回目のテーマは、「戦争は悪意に基づいているのか?」です。
忌憚のないご意見、ご感想をいただければ幸甚に存じます。
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▼戦争は「純然たる悪意」によるのか
戦争は悪だと言われる。だが、戦争は本当に、単なる「悪」に過ぎない
のだろうか。いや、そもそも、戦争が悪であるとは、どういう意味なの
だろうか。
確かに戦争は悲惨であり、醜いものである。戦争で家族を失い、人生を
狂わされ、苦しみ、嘆いている人が大勢いることもわかっている。
しかし、人は純然たる悪意だけで、自らの命を危険にさらし、見ず知らず
の人々と戦うものだろうか。
むしろ、何らかの意味での愛とか、優しさとか、忠誠心など、
広い意味での善意がなければ、何十万、何百万という人間を、「戦い」
に駆り立てることはできないのではないだろうか。
人間が危険をおかして戦うためには、「愛情」や「真心」も不可欠な
はずである。誰もが、本音としては、そうした逆説に薄々気が付いて
いるはずである。
戦争の背後には、政治的・経済的対立だけでなく、誤解、差別、
プライド、宗教的信仰、民族意識、国家意識などがある。だがいずれも、
多くの場合は何らかの「正義感」にも基づいている。
戦いを決断する人や、戦う人たちの心のなかには、自由を守る、とか、
自分たちの社会を守る、仲間や家族を守る、という意識もあるはずだ。
あるいは、大事な何かを取り戻したい、奪われていた大切な何かを
取り返したい、という意識もあるかもしれない。
いずれにしても、「純然たる悪意」のみによって、何十万、何百万
もの人間を、破壊や殺人に駆り立てることはできない。戦争は「悪意」
よりも、むしろ何らかの「善意」によって支えられているのである。
人は必ずしも、「優しさ」や「愛情」が欠如しているから戦うのでは
ない。誰かを憎み、何かと戦うには、そもそもそれ以前に、別の誰か
を愛し、別の何かを大切にしていなければならない。
何らかの意味での「愛情」、あるいは「真心」があるからこそ、
人間は命をかけて戦うことができてしまう、戦争を正当化できて
しまうのだ。そこに、悲劇の本質があるのだと考えるべきである。
むしろいっそのこと、人々が皆、自分勝手で利己的で、崇高な理想や
正義感などを一切持たないならば、小さな犯罪は頻発するかもしれ
ないが、組織的で大規模な戦争や大きなテロなどは、起こすことが
困難になるだろう。
人間のもつ、そうした皮肉・逆説を、正面から見据えねばならない。
▼善意が戦争や暴力を正当化する
平和を愛し、暴力を嫌う日本人の多くが、今でも忠臣蔵の物語を
好むのはなぜだろうか。正義の味方が悪の組織と戦うアニメやドラマを、
何の躊躇もなく子供たちに見せるのはなぜだろうか。暴力も時には
愛の一部であると考え、戦いも平和の手段であると感じるセンスその
ものは、決して異常なものではないのである。
この世の「悪」が、すべて純然たる悪意のみから生まれているならば、
この世の中の出来事はもっとわかりやすいものになっているはずである。
善意からも悪が生じうるという人間的宿命を、もっと素直に見つめな
ければならない。
警戒すべきなのは、あからさまな悪ではなく、むしろ浅薄な善意なの
である。われわれが見つめるべきなのは、ある種の善意が戦争や暴力
を正当化するという、人間の痛切な矛盾そのものなのである。
戦争は、人を殺したいという衝動をもった時に始まるのではなく、
むしろ、自分たちは命の危険をおかしても構わないという覚悟を
もった時に始まるのだ、という議論もある。戦争ほど「利他的」な
行為はない、と表現する研究者もいる。
確かに戦争には、略奪や、拷問や、虐殺など、ひどい行為もつきもの
である。また戦争の背後には、エゴや支配欲といったものもあるだろう。
しかしわれわれは、そうした「過ち」も「愚かさ」も含めて、戦争は
「極めて人間的な営み」、「人間臭い営み」であるということを、認める
しかないのである。
クラウゼヴィッツが『戦争論』のなかで、「戦争とは、他の手段を
もってする政治の延長に他ならない」と書いたのは大変有名である。
戦争は政治的目的達成のための手段である、という考えだ。
似たように、中国の毛沢東も「政治とは流血をともなわない戦争であり、
戦争とは流血をともなう政治である」と言った。確かに戦争は、政治と
深く関わるものである。
しかし、戦争は必ずしも、狭い意味での政治との関連だけで語れる
ものでもない。というのは、戦争・軍事は、その社会がもっている
様々な伝統や、価値観や、人々の情念に支えられているものでもある
からだ。
人間は科学的・合理的に物事を考えることができる。しかし同時に
また、極めて曖昧で主観的な基準に基づいて行動することもある。
例えば、人は宗教的信仰や、芸術活動に熱心にかかわることがある。
あるいは、古い伝統や、昔ながらの慣習に、強くこだわることもある。
また、友情、結婚、師弟関係などの人間関係や、社会との絆、地域
との絆に、人生や生活をかけることもある。
しかし、それらの正当性や妥当性は、何も科学的・合理的に説明
できるわけではない。信念とか、慣習とか、美意識とか、仲間意識
とか、客観的にはその価値や優劣を測れないものに、人間は強く
縛られるものなのである。
「戦争」や「軍事」においてさえも、やはり人は、様々な伝統、
価値観、情念のなかで考え、決断し、行動するのである。
戦争は、他の動物がやるような、単なるエサやメスの奪い合いでは
ない。人間による戦いは、名誉欲、復讐心、正義感、信仰、民族意識、
政治的経済的利害などをも根源としている。この世の生物のなかで、
そうしたものに強いこだわりをみせるのは、人間だけである。
そしてそうしたもののために、巨大な軍隊を組織し、その時代の
科学技術を応用し、その時代の思想や価値観で正当化し、周到に
準備・計画をして遂行される。
したがって戦争は、結果としての悲惨さにおいては確かに
「非人間的」だが、その事象・現象の全体としては「人間的」と
しか言いようがない営みである。
▼平和を手に入れたいなら「戦争」「軍事」を学ぶべき
戦争に反対することはもちろん正しい。しかし、ただ単に「反対、反対」
と叫ぶだけで終わるとすれば、それは人間や社会の現実から目を背けて
いるだけのことに過ぎない。
イギリスの戦争研究者ジョン・キーガンは、「戦争とは文化の発露で
ある」と喝破した。彼のこの言い方でさえ、今の平均的な日本人の
感覚からすれば刺激的かもしれない。だが私はさらに率直に、
挑発的に、皮肉を込めて、「戦争は人間的な営みである」と言っている。
これが私の戦争観の基本線である。
戦後日本では、これまでいわゆる平和教育が熱心になされてきた。
今現在も、学校によって程度の差はあるにしても、そうした授業プロ
グラムがあるであろう。大学でも「平和」がキーワードになっている
講義は少なくない。
だがその一方で、なぜか「戦争」や「軍事」そのものについての授業は
極端に少ない。ほとんど無いといってもよい。これまで日本では、
過去の戦争に対する「反省」の名のもとに、戦争や軍事については、
とにかくひたすら「否定」することばかりがなされてきた。
もちろん戦争の悲惨さや悲しさを伝えていくことは、非常に大切である。
しかし、そうした情緒に訴えるだけが平和教育ではない。むしろ、
冷静な視点から「戦争」や「軍事」を学ぶことも、大切なのではない
だろうか。
私たちは、交通事故や火事などに対して「火事反対」、「交通事故
反対」とデモ行進をしたりはしない。交通事故を減らしたければ、
「反対」と叫ぶ以前に、自動車、道路、標識、信号機などについて、
あるいは運転する人間の行動などについて、研究するしかない。
自動車や交通規則について無知であれば、交通安全についても無知
であろう。
同じように、「戦争反対」と叫ぶだけでは意味がないのである。
平和を手に入れたければ、なおさらのこと「戦争」や「軍事」
そのものを研究するしかない。これは極めて当たり前の理屈である。
中学や高校の歴史の教科書をみれば、その中身の多くが戦争に関する
話であることは、誰もが知っている。しかしそれにもかかわらず、
いざ「戦争ってそもそも何だろう」、「軍事っていったい何なの
だろう」と問うても、しばしばそうした議論は、「戦争は悪です」、
「戦争を繰り返してはいけません」、「反省しましょう」で
終わってしまう。
戦争や軍事を、ただ頭から否定することで自分は「平和主義者」
でいられるかのように振舞うのは、怠慢であり、偽善である。
平和主義の名を借りた、思考の停止に他ならない。
▼「軍事」は文化であり、「戦争」は人間的な営みである
私は勤務先の大学で、これまで戦争に関する講義を担当してきた。
「平和」ではなく「戦争」、「軍事」を主題としているので、
一部の平和主義者の方々からは顰蹙をかっているようだが、
こうしたテーマに対する学生たちの関心は非常に高い。
この大学で最大数の受講者を記録したこともある。
多くの学生たちは、「平和」というやや掴みどころのない抽象的
な概念ではなく、むしろ具体的な現実としての「戦争」と「軍事」
について知りたがっているのである。そして私は、彼らの好奇心
は健全だと思っている。
これまで人間は「戦争」や「軍事」についてどう考えてきたのか、
どのような軍事思想、戦略思想があり、そもそも軍事力とは何で
あり、軍隊とはどのような構造の組織なのか。武器・兵器は
どのように発展し、人々はそれぞれの時代にどのような戦争
スタイルをつくり出してきたのか。学生たちにとって、それらは
当然「知りたいこと」であるはずだ。
もちろん、いわゆる軍事オタクになる必要はない。だが戦争や
軍事は、あくまで具体的な現実なのである。平和が大切だと
思うならばなおさらのこと、狭義の軍事に関する知識も、
一般教養として学ぶ価値があるのではないだろうか。
軍事と戦争は、この地球上で、良くも悪くも、現に、圧倒的な
存在感をもっている。現に、多くの人々の命を左右する。
現に、歴史を大きく動かす。
つまり、これは、好き嫌いの問題ではないのである。好きであろうが
嫌いであろうが関係なく存在する現実なのだ。学び、研究するしか
ないものなのである。
私たちは、所詮は肉体をもった存在である。物理的な力によって
簡単に傷つけられ、死にいたる動物に過ぎない。そしてまた、
社会のさまざまな利害関係の葛藤のなかで、生きるしかないもの
である。互いに異なる思想や信念との摩擦のなかで、生きるしか
ないものである。
そうである以上、私たちは実際には、それが合法であれ違法であれ、
善であれ悪であれ、いかなる暴力とも全く無縁でいることはでき
ないのである。人間を、暴力無しで秩序を維持できる存在だと
考えるのは、平和主義というよりは、むしろセンチメンタルな
思い上がりである。
私たちは、もちろん戦争は嫌である。どうにかしてそれを避けたい。
しかしまた、美しい純粋な「平和」そのものを生きるということ
も、やはりできないのである。
私が「戦争は人間的な営みである」、「軍事は文化である」と
いうのは、決して戦争の肯定ではない。ただ戦争という営みを、
冷静に、真正面から見つめよう、と言いたいのである。
罪の無い人が大勢殺され傷つく戦争は、確かに「非人間的」と
しか言いようがない。しかし、戦争とは、決して単なる
個人的・衝動的な暴力ではない。極めて組織的に、準備し、
訓練し、計画し、実行されるものである。
例えば、「宗教」や「芸術」は、人間に特有の営みである。
犬や猫の世界には「宗教」もない。「芸術」もない。それらは、
人間ならではの行為であり、文化である。それと同じように、
「軍事」もまた、良いか悪いかは別にして、組織的に維持され、
共有され、継承されていくという点で、「文化」だと言うしか
ないものである。
確かに「文化」という語は、基本的にはポジティブな意味で
使われている。ラテン語の「cultura」あるいは漢語の「文治
教化」は、いずれも、良い・美しい、という肯定的ニュアンス
をもっている。すると、戦争や軍事を「文化」という言葉で
捉えるのは正当ではないと思われるかもしれない。
だが、すでに述べたように、戦争は純然たる悪意によってでは
なく、むしろ、何らかの意味での善意によって支えられているの
である。少なくとも当事者たちとしては、戦争は社会を悪化させる
ことを意図してなされるのではない。むしろ、何らかの意味で、
社会や生活を改善させるためとして、営まれるものである。
現在の日本では、軍事行政にしても作戦用兵にしても、ごく一部
の例外を除き、自衛隊関連の教育機関でしか学べない。
だが、掘り下げ方は多少浅くてもよいから、普通の大学でも、
幅広く一般教養として、戦争や軍事の概要を学べるようにする
ことは大切ではないだろうか。
戦争や軍事を学ぶということは、決して、いつか戦争をするため
の準備をしておこうなどという意味ではない。それは端的に
「教養」であり、これまで人間が経験し、今現在も世界で起きて
いることを理解するための知識である。
そもそも現代の「戦争」や「軍事」のスタイルを知らなければ、
平和についても具体的に考えることはできないはずである。
また、人生や社会の究極的な修羅場である「戦争」や「軍事」の
研究は、人間や社会そのものを理解するための、とても大切な
糸口になるものである。
日本のほとんどの大学・大学院が、極めて長いあいだこれらに
ついての研究と教育を怠ってきたことを、未来の、真の平和主義者
たちは、必ず批判するであろう。
(いしかわ・あきと)
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●著者略歴
石川明人(いしかわ・あきと)
北海道大学大学院文学研究科助教。文学博士。
1992年 立教英国学院(Rikkyo School in England)卒業
1995年 立教大学文学部キリスト教学科中退
1997年 北海道大学文学部哲学科宗教学講座卒業
2000年 北海道大学大学院 修士課程修了
2003年 同、博士後期課程 単位取得退学
2004年 文学博士
2003年7月~2004年3月
  北海道大学大学院文学研究科文化価値論講座・助手
2004年4月~2007年3月
  北海道大学大学院文学研究科宗教学インド哲学講座・助手
2007年4月~現在にいたる
  北海道大学大学院文学研究科宗教学インド哲学講座・助教
http://hb6.seikyou.ne.jp/home/iakito/kenkyushoukai.html
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■兵頭二十八さんの問題意識
<わが国の軍事図書情報の総合環境を、すこしでも改善するために、
広く皆様のお知恵をあつめたいものと念じております。>
(兵頭二十八さん)
アイデアありますか?
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▽必読メルマガ紹介
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発行:おきらく軍事研究会(代表・エンリケ航海王子)
著者:石川明人
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