雑穀混用--陸軍兵食について

2020年4月21日

From:荒木肇
件名:雑穀混用--陸軍兵食について
2012年(平成24年)8月1日(水)
□ご挨拶
 暑さが日々、増してまいりました。いよいよ夏本番ですが、
皆さまいかがお過ごしでしょうか。私はいわゆる「暑気払い」と
称して、外で仲間と宴席を設けています。仲間、友人には
陸上自衛官も多く、彼らの士気の高さ、心意気をよく感じ、
まさに暑気払い。連日にわたる深夜帰宅も、むしろ楽しいばかり
です。
 今回の人事異動、陸自は7月26日と8月1日付で大きな異動が
ありました。西部方面隊の指揮官、幕僚も大きく代わり、九州、
沖縄、南西諸島の防衛に力を入れつつあることを感じます。
西方総監以下、第4、第8の各師団、沖縄にある第15旅団、
方面航空隊、さらには西方普通科連隊(方面総監直轄の離島防衛
を主任務にし、機動力のある連隊)などなどが腕を撫(ぶ)して
いることも分かります。
 さて、べー様、昔の陸軍が米麦の差額をどうしていたか・・・と
いうお話は明治17年にさかのぼります。平時の糧食給与は、
聯隊長などに委任経理として現品、金銭で支給されました。
そのときに、米を6割分として現品給与して、差額を現金で支出
したというところが正しいようです。いわゆる独立部隊が「横流し」、
「現金化」ということはしなかったのでしょう。師団経理部などの
操作だったと思われます。
 海軍では艦船に現物を搭載し、米麦をそれぞれ支給。下士兵卒は
麦を嫌って、その配合比較などはその艦の主計長に任されていた
ようです。初代陸上自衛隊需品学校長だった瀬間喬主計中佐の著作
によれば、会計検査で麦が余っているので処理に困り、深夜に舷側
から麦を捨てたということもあったようです。
▼「精米ニ雑穀混用の達」
 この明治の初めごろ、前回にご紹介した遠田澄庵の名声は高いもの
でした。一気に文明開化を叫び、西欧に追いつけという近代主義者
はともかく、多くの高級軍人や部隊長クラスの中には、遠田を信奉
する者も多くいたのです。副食費は増やせない、兵食の改良はこれ
また無理。麦飯を食わせろという現場の声、そして一向にやまない
脚気の流行。石黒を中心とした軍医行政の高官たちは頭を悩ませま
した。
 出した結論は、麦飯は害にならない、各自の好みで食うに任せる。
ただし、脚気を予防するために米食を禁じて麦飯を食えといった命令
は出せない。麦は米より安価である。だから支給した米を減らして、
それを麦の購入にあてて差額を得る。そのお金をオカズの方に振り
向けられれば上等だ・・・。そこで、1884(明治17)年9月
25日には軍医本部からの上申にもとづいて陸軍省令が出されます。
以下、口語訳。
『各隊下士卒の食料は、一日精米六合金六銭でまかなうように
決まっている。しかし、今後は麦、小豆その他の雑穀類をまぜて
支給してもかまわない。なお、精米の定量より生まれる残米代は
時価でさげ渡すから賄料に加えて、魚菜代に使うようにせよ』
 明治17年とはどんな世相だったか。秩父事件や加波山事件と
いった自由民権運動による暴動が相ついだ。また、東京の鹿鳴館で
ダンスの講習会が開かれた。暮らしについていえば、東京のパン
卸売業者は54軒、小売業は170軒にしかすぎなかった。また、
松方デフレ財政によって、米価は石(150キロ)あたり4円61銭
に急落していた。明治14年には14円40銭もしていたものがである。
 1日6銭の賄代とはよかったのか、悪かったのか。一般物価と
比べてみた。大工の手間賃が1日50銭。畳表の裏返し手間賃が
1畳当たり8銭5厘。質屋の利息が1円に対して月に3銭3厘。
うな重が25銭で昔からぜいたく品。もり・かけが1銭。牛鍋が
3銭2厘。白米の標準米の小売価格が明治15(1882)年に
82銭(10キロ)だから、一日6合といえば900グラム。
およそ7銭4厘ということになる。清酒が1升で中等品8銭だと
いう。豆腐は1丁1銭、ただし大きさはかなりのものだった。
現在のスーパーの充填豆腐のおよそ3倍もあるものだった。
▼森林太郎のドイツ留学
 森の経歴はこまごまと書くまでもないでしょう。石見国(島根県)
津和野藩の医官の家に生まれます(1862年)。わが国哲学の先達、
西周(にし・あまね)は親戚でした。西はオランダ留学の後、帰国
し陸軍大丞(だいじょう・文官の実質ナンバー1)となり、
1872年に林太郎を東京の自宅に引きとります。年齢をいつわって
12歳で東大医学部の前身、医学校予科に入学し、3年後には大学
医学部本科生になりました。1881(明治14)年7月に満19歳
で医学部を卒業。早熟な秀才でした。文部省留学生として欧州に留学
を望みましたが、成績がさほどよくなく(30人中8位という)、
同級生の小池正直や西のすすめで陸軍軍医の道を歩みます。
 この雑穀許可令が出た明治17年8月にはドイツに留学しました。
ライプヒチ大学、ミュンヘン大学、ベルリン大学で学び、1888
(明治21)年9月に帰国。陸軍軍医学舎(軍医学校)教官を命じ
られました。ところが、留学のさなかの1886(明治19)年に
森は、おそらく軍医部の意向をうけて、『日本兵食論』を完成させます。
 その主旨は、陸軍に西洋食(つまり肉食)を採用するのは、
兵員数や、年間に屠殺できる牛の数、それによってかかる費用すべて
が現実的ではないというものでした。むしろ、魚や豆腐という高たん
ぱくで安い食材を使うべきだとも主張したのです。同時に、米飯と
麦飯を比べて、米の方がはるかに消化がよいとし、1887(明治
20)年9月には、『海軍の麦食より陸軍の白米食の方がはるかに
よいと補説までしました。
▼森の帰朝講演・海軍への攻撃
 森陸軍1等軍医は、1888(明治21)年11月、『非日本食論
ハ将ニ其根拠ヲ失ハントス』という題で多くの聴衆を集めて講演します。
それは栄養学の大家フォイト(ミュンヘン大学生理学教授)の研究を
もとにした当時としては科学的に最先端の意見でした。つまり、日本食
にたんぱく質が足りないというが、それは誤りだ。日本の成人の1日の
たんぱく質摂取必要量は80グラムでいい(現在の学説では65グラ
ム)。(明治20年代の初頭)現在でも、日本食は十分に必要を満た
している。
 こうした主張だったのですが、余計なことも言いました。『みだ
りに「ロウスビーフ」に飽くことを知らざるイギリス流の偏屈学者の
跡を追い・・・(現代語訳)』、明らかにイギリス流のうんぬんは
海軍軍医高木兼寛を指しています。高木は薩摩藩の縁から英国に留学
していました。このあたりから、元来、面識もない、2人の明治軍医界
の巨頭たちは対立をやむなくされていったのです。
 気が付かれた方もおられるでしょう。森は決して脚気について
話してはいません。日本食においてのたんぱく質の量をいっている
だけで、脚気についてはふれていないのです。西洋食がいい、優れて
いる。だから、食事を肉を中心とする西洋食にしろという考え方に
反対し、わが国の伝統の「よさ」を見直せと言っているのでした。
無批判に洋食化を推進する人々に警告を発している。それだけなのです。
▼陸軍の現場での麦飯採用は実は早かった
 1881(明治17)年3月、監獄(現在は刑務所)の囚人たち
の食事が規定されました。「下等の白米4割と挽割麦6割で、副食費
は1日1銭5厘」ということです。ひどい粗食でした。ところが、
これによって、不思議なことに監獄内の脚気が激減、あるいは消滅
してしまいました。これに注目した軍医がいたのです。
 大阪鎮台病院長だった堀口利国でした。堀口は考えました。給養も
環境も兵士の方が数等いい。であるのに、監獄には脚気がなくなり、
鎮台では毎年罹患者が増えている。現に、大阪鎮台では脚気の発症率
がおよそ兵員の43%にも達しているのに(明治16年)、監獄では
消滅していたのです。(明治11年から16年まで、大阪鎮台での
発症率では順に58.0、39.5、31.0、23.7、24.7、
42.8。いずれも%)
 そこで、明治17年10月に堀口は鎮台司令官の山地元治(やま
じ・もとはる)少将に、脚気予防のため、1年間、兵卒に麦飯を支給
することを上申しました。ところが、部隊長会議にこれが議題に
されると、いっせいに反対の声が上がりました。「麦飯というのは、
下層民が食べる物であり、忠良なる兵卒にそんなものは食べさせら
れない」というのです。それでも堀口の熱意はみなに伝わり、12月
から営内では4割の麦が混入された米麦食が支給されました。
 成果は見事にあがりました。翌年にはわずか1.3%しか患者が
見られなくなったのです。1年経った18年の12月には米麦食の
継続が認められ、以後、日清戦争の勃発まで発生率の数字はいつも
1%にも満たないものになりました。
 同じようにしたのが、当時の近衛隊でした。近衛軍医長だった
緒方惟準(おがた・これよし)はすぐに近衛都督(このえ・とと
く、司令官)の許可を得て、1885(明治18)年12月から
部隊に麦の3割混入を実行しました。この結果、例年20%以上
で前年には48.7%だった発生率は19年には2.9%に大き
く減り、22年には1%以下になったのです。
 事実をいえば、こうした実践と努力で、1891(明治24)年
までには、陸軍の全部隊に麦飯が行き渡るようになりました。
おかげで、1883(明治16)年に発生率25.5%、死亡者
235人(全兵員の2.4%)が、24年には発生率0.5%、
死亡者6人になり、翌年には66人の発生しか見ず、死亡者も0
になるということになりました。
 では、こうした事実に対して、中央の陸軍軍医たちはどう考えて
いたのでしょうか。
(以下次号)
(荒木肇)
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● 著者略歴
荒木肇(あらき・はじめ)
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、
情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研
究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務め
ながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受け
る。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイ
ド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供にも嫌わ
れる先生」「東日本大震災と自衛隊」
(いずれも並木書房 http://www.namiki-shobo.co.jp/ )
「日本人はどのようにして軍隊をつくったのか」
(出窓社 http://www.demadosha.co.jp/
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