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【第11講】 日欧比較軍事史上の日本の特殊性

time 2008/10/23

孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長
同志社大学/京都外国語大学・スペイン語非常勤講師
米田 富彦
http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html
16世紀当時のスペインと日本との軍事的交流をまとめて行きたいと思います。


11.日欧比較軍事史上の日本の特殊性
「織田信長が演出した”長篠の合戦”によって日本の軍事に新たな欧州の軍事
の息吹が吹き込まれた」・・・というようなことは、日本軍事史における
「軍事革命」という言葉を中心にして考えた場合、思い浮かぶ台詞でありまし
ょう。
(前回に紹介した「日本イスパニヤ学会」の某権威筋教授のご意見であった
「長篠の合戦以降、日本では甲冑が廃れて、甲冑を脱いで合戦をするようにな
った」とかの”革命”までは行かなかったとは思いますが・・・)
日本と欧州とは、比較観察して見ると、16世紀あたりまで・・・軍事における
同時代性(シンクロ)を現出させて来た・・・と言えましょう。
しかし、日本は、軍事の分野では、スペインのような国(当時、他の欧州の国
々やオスマン・トルコなどとの間で相互に政治や軍事の面で切磋琢磨の状況を
呈していた世界の一流国でした)と出会い(1543~)、そこから徳川幕藩体制
による鎖国政策(~1639)に至るまでには、何と96年間(約一世紀間)もの期
間、このスペインとの交渉を有していたにも関わらず・・・即ち、「欧州の軍
事的知識獲得の機会」を得ていながらも・・・それほど「欧州の軍事を摂取し
ていない」(批判的に表現すれば・・・ですが・・・)という、かなり興味深
くも特殊な状況が見られるのです。
ここでは、日本軍事史の中で軍事革命を問題にする際、キーワードとなる軍制
改革、三兵戦術(歩兵・砲兵・騎兵)、武器、築城術・・・などを踏まえつつ、
以下に興味深い問題点を指摘することにしたいと思います。
●欧州式軍用銃・火器戦術の無普及
1543年種子島に伝来した火縄銃とは、ポルトガル商人が乗船していた支那船
(ジャンク船)の遭難事故が機会で漂着した際、彼らがたまたま護身用に持っ
ていた頬付け式の狩猟用のもの(肩付け式の軍用とは異なる)が「偶然」とも
言えるタイミングで日本人に売却されたものと考えられます。
日本で普及した火縄銃は、元々、狩猟用(狙撃用、即ち、精密射撃向き)のも
のが原型になったのでした。それが日本刀の鍛錬技術のお陰とも重なり、命中
精度の高い精密射撃に向いたものとなり、「和風の発展」を見せた...と
考えられています。
このあたりの「飛び道具」に関する発想は、日本人の弓矢に対する概念とも比
較すると興味深いですし、武器から徒手格闘という”戦い方”そのものへの根
本的な考えについては、古伝空手( http://kodenkarate.jp/kodenkarate.html
が大変良き参考となりますので必ず目をお通しになっておいてください。
また、詳しい考察については、兵頭二十八著『軍学考』中公叢書、2000をご一
読ください。また、最近発売中のものに杉山頴男著『使ってみたい武士の作法』
並木書房、2008にも解説がありますので参考になさってください。
しかし、問題として、もし、スペインなどの欧州の国々が日本の内戦状態を観
察、分析し、その状況判断から交易項目の内にそこはかとなく「軍事」を織り
込んで “伝授”し、戦国大名の間の勢力バランスを工作していたのなら・・・
自ずと「軍用銃」の流入も起こったものと考えられましょう。
即ち、それは、精密射撃用ではなく、スペイン無敵陸軍”テルシオ”のように
銃兵が集団で一斉射撃し、弾幕を張るための大量の銃を戦国大名に売却して、
同時にかなりの利益を得よう・・・と考えるでありましょうし、武器売却と共
に、そのための”戦術”をも日本人の幹部に対して教授する必要性(同盟軍と
しての訓育)も考えることでありましょう。
フロイスは、日本の鉄砲は、頬付タイプ、欧州は、肩付タイプと言っています。
即ち、頬付タイプで照準が有り、狙撃するのが日本の火縄銃で、肩付けで照準
が無く号令と共に一斉に集団で弾幕を張るのが欧州の火縄銃である・・・とい
うことです。
ちなみに、17世紀のバロックのスペイン絵画に止まらず、美術界の巨匠中の巨
匠とされる「宮廷画家ベラスケスは見た!ドイツ三十年戦争」における軍事革
命の変遷が華やかに展開されていた時、ベラスケスの手による狩猟姿の一連の
ロイヤルファミリーの作品があり、当時の銃が猟犬(その種類が興味深い)と
共に描かれております。
(面白いところですが・・・バロックのスペイン絵画は、スペイン独自の流派
や様式、即ち「スペイン派」というようなものは指摘されません。ベラスケス
は、フランドル派の様式が強く、かの「フランダースの犬」のネロが大好きだ
ったルーベンスとも親交がありました。)
例えば・・・”ネルトリンゲンの戦い(1634)”でスウェーデン軍を撃破した
フェルナンド枢機卿皇子( http://www.artehistoria.jcyl.es/histesp/obras/234.htm )、
国王フェリーペ四世( http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/233.htm )、
バルタサール・カルロス皇太子( http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/235.htm )などです。
これらとの比較で、ベラスケスによる戦争絵画の傑作とされる「ブレダの開城」
http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/31.htm )の画面右側に
は、降伏したオランダ軍の兵士が肩に銃を担いだ姿で描かれております。
以上の作品は、全てスペインが世界に誇る「プラド美術館」にて鑑賞すること
が可能ですが、肖像画や絵画で描かれている銃は、そのためだけ(モデル用)
のものであったのか?・・・考証的に比較観察すると興味深いと思います。
銃については、『歴史群像グラフィック戦史シリーズ戦略/戦術/兵器事典3
 ヨーロッパ近代編』(学研 1995)の方がみなさんにはわかりやすいと思い
ますので、こちらも合わせてご覧になってみてください。
日本の火縄銃については、千葉県立中央博物館・大喜多城分館のサイト
http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/hinawa/index2.htm)がかな
り詳しく写真などを使って解説してくれていますのでご参照ください。
テレビドラマでは、まるで侍大将の着用するような鎧甲に身を固めた武者が横
列になり、火縄銃を構え、号令により一斉射撃をする場面(特に”長篠の合戦”
の再現ドラマなど)がありますが・・・狙撃用の日本の火縄銃は、引き金が軽く、
もし照準中に大声で号令をかけられると手元が狂うし、横列で密集していると
他人の火薬にも引火しやすいものであった・・・と言われています。
よって、火縄銃で密集隊形を作ることは、危険であった・・・ということでし
た。ここから日本の火縄銃は、その原型が元々一斉射撃用ではない、即ち、
スペインなどが使用していた欧州スタンダードの軍用銃ではなかったことが
分かります。
当時において、火縄銃は極めて”和風”に発展し、そして使用されていたので
あった・・・と考えられましょう。このことは、幕末維新の動乱期における軍
事情勢と比較考察すると大変興味深いものです。何故なら、幕末維新の時代に
なると、日本では輸入兵器と共に、編制・編成、戦術等(ソフト面)も同時に
欧州から習得し、”応用”しているからであります。
●攻城砲及び野戦砲の無普及
欧州との交易開始後も日本では攻城戦及び野戦の類の合戦は、多数繰り返され
ていました。これは、当たり前ですが・・・しかし・・・当時の欧州の戦場で
は、普通に使われるようになっていた攻城戦や野戦のための「大砲」が組織的
かつ効果的に活躍する場面は、1614年の”大坂冬の陣”くらいが知られている
だけで、それも”戦術的に応用”されての戦果を考えてみると、疑問が残りま
す。
テレビ時代劇では、長槍を持った足軽が走り、騎馬武者が太刀を振りかざして
突撃をかけて、背後に大砲が響き、シーンの中では、何人かが吹っ飛び迫力を
出していますが...実際は違う様子です。
“大坂冬の陣”以前の豊臣秀吉による”朝鮮の役”でも主に戦いでの遠戦兵器
は、火縄銃が威力を発揮しており、優勢な明の軍勢を何回も撃退しています。
この点のみが、「小銃重点主義」となっていた当時のスペイン陸軍との相似点
を形成していると考えられるのです。
日本において「大砲」が戦闘で本格的に”それらしい”活躍をすると考えられ
るのは、1637年の”島原の乱”で、それもオランダ船(当時、欧州ではドイツ
三十年戦争があり、プロテスタント側のオランダは、カトリックのスペインか
らの独立をかけて戦っていた、所謂、スペインの”敵国”でした)に依頼して、
海上から籠城勢力に向かって艦砲射撃を行ったものです。
“島原の乱”(ここの戦闘員は、カトリック信者ですので、この点にもプロテ
スタント・オランダの”助太刀”について調査すると興味深いと思います)の
後、幕府に対してオランダから「ハラカン」という大砲が多数献上され、軍学
者北条氏長は、稜堡形式の築城学「由利安牢攻城伝」を提唱し、一時、大砲へ
の関心が高まった時期もありました。
しかし、それ以降、幕藩体制下の日本国内で”戦争”や”合戦”は、起こるこ
とはなく、実際に利用され始めるのは、猛々しき「もののふのDNA」が春のめざ
めとなった幕末維新期における紛争事象においてであり、そこに至るまで、
約250年の間は、大砲の活躍を待たなければならないのです。
●城砦・都市の構造変化について
上記の点と関連しますが、「攻城砲」が猛威を振るったイタリア戦争以後、欧
州の城砦は、中世の厚くて高い城壁・望楼などが恰好の砲撃目標となるので、
「対攻城砲の観点」より、平地に築かれるようになり、要塞形式(かの函館の
五稜郭はこれを習ったもの)へと変化して行きました。
この要塞築城に長けていたのがスペインの敵国のオランダでした。高地ドイツ
語(マルティン・ルッターの聖書翻訳のお陰で現在のドイツ語へと発展)に対
して、低地ドイツ語(オランダ語やフリジア語。英語も元々は仲間です)の話
される海抜ゼロメートル地帯がオランダの国土の特徴となっています。
ちなみに長崎の「ハウステンボス」( http://www.huistenbosch.co.jp/ )は、
背景に山並みのある「和風オランダの風景」が楽しめる所です。「志摩スペイ
ン村」( http://www.parque-net.com/index.html )の方は、スペインの風景
が楽しめます。が、みなさん、本当は、現在に至るも、オランダとスペインは、
歴史的経緯から、お互いに好きになれないようなところがあります。
(もし、日本における経営戦略の問題で、「ハウステンボス」を「志摩スペイ
ン村」に売却したり、反対に「志摩スペイン村」を「ハウステンボス」に売却
したりすると・・・かの国々の国民にとっては、決していい気持ちはしないで
ありましょう・・・)
峻険な地形を有する日本では、元々、地の利を活かした山城が中心でありました。
平地に城(平城)が築かれ、城を中心とした欧州の「都市」のようなものを形
成して行くのは、織田信長の安土城から始まっていると言われています。
しかし、平城が普及するようになり、そして”その当時”になると、すでに
「大砲」の存在も認知されていながら、恰好の砲撃目標となる「天守閣」は、
その多数が幕藩体制になってからも、幕末までは残存し続けていました。
一方、徳川幕府は、自らが管轄する江戸城、それに譜代大名の管轄する城には
「天守閣」の建造には固執していません。それは、経済的理由によるものか、
幕藩体制維持の防衛対策(野心のある藩の財政を築城で溺れさせて逼迫状態に
しておくことや、反抗する藩には砲撃目標になる天守閣があるので火砲攻撃が
加え易くなる・・・などの理由)の一環としてなのかは、日欧比較軍事史の
観点から再考すると興味深いでしょう。
また、日本の城と”人口密集地”からなる日本的都市、所謂、今日、多く見ら
れる「県庁所在地」や「合同庁舎の集まりやすい所」などを軍事的観点から考
察すると、欧州型の都市は、標準機能として対戦闘のための「防災機能」を準
備した「要塞都市」として建設されているのに対し、日本の城と”人口密集地”
からなる日本的都市とは、この点、大変脆弱(人災はもとより、地震・火災に
も・・・)であるという事実が指摘されましょう。
この点に関しては、兵頭二十八著『武侠都市宣言』に詳述されていますので
参考にしてください。
これは、現在までも実質的には変化していない”日本人の都市建設における弱
点”となっています。今後、上述のような観点が公共的建物は当然として、
一戸建てやマンション建設に盛り込まれると新しいセールスポイントになるか
も知れません。
日本における欧州型の城砦については、”大坂冬の陣”での真田丸の縄張りや
1648年から築城が始まる播州赤穂城の縄張の一部が欧州の要塞形式を見せてい
ます。が、赤穂城には、天守閣が建設されていない点が興味深いところです。
来る西暦2013年には、日本の軍事史学会( http://wwwsoc.nii.ac.jp/mhsj/
がホストとなり、「国際軍事史学会」(外国では国防大臣が参加したり、参謀
本部が開催を担当しているほどの学会です)が開催されますが、みなさんも日
欧比較軍事史などをテーマとして研究を進められておくと、参加者の間でも話
しが弾み注目を集めると思います。
また、戦略研究学会( http://www.j-sss.org/ )では、関西支部が発足して
います。日欧比較軍事史を研究する際には良き方法論となる”戦略研究”の研
修会、あるいは勉強会も開催される予定ですので、この場をお借りしてお知ら
せさせていただきます。
次回は、比べて見ると意外と面白い、このような日欧比較軍事史の続きを展開
いたします。お楽しみに!
(つづく)


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