桜林美佐:誰も語らなかった防衛産業




『誰も語らなかった防衛産業』
著:桜林美佐
発行:並木書房
発行日:2010/8/10
http://tinyurl.com/2arusjm
「一度製造をやめてしまったら、次に始めたい時には、もう技術者はいない」(三菱重工 鈴木技術部長)(P38)
<このお金(国防費)が「自分たちの安全のために」計上されている予算だということについて、ついぞ忘れがちなのは、世の中が平和だからだろう。
兵器は使われたときに圧倒的な威力を発揮すべく、多額の予算を通じて開発されるが、最後まで「使われない」で天命を全うすることがベストという大きな自己矛盾を孕んでいる。そしてそれは自衛官の存在も同様である。この頃は、「一生使わないものにお金をかけるのは無駄」という思考、国の安全を経済的観点で計るという発想から、見えないものへの負担は御免こうむるという人も増えているようだ。「抜かない名刀」に価値を見出せるかどうかは、今後の日本人の資質が左右するといえるだろう。
実は、この投資には国家の技術力の進歩・発展や、人的資源の養成、抑止や安心感といった無形のさまざまな「財産」が残されるのだが、それがなかなかわかりにくい。
本来、そういう意味で、すべての国民が受益者なのだ。>(P124)
■徹底的な取材が生んだ初めての入門書
防衛産業という業界ほど、その意味を理解されず、実態をゆがめて伝えられてきたところも少ないと感じます。
これについて著者は、「断片」でしかこの産業を評価できていないから、と言います。
(それにしても題名「誰も語らなかった防衛産業」は秀逸です。このタイトルは、本著のみならず戦後日本の総てを物語っている感を私は持ちました)
そんな現状のなか著者は本著で、これまでにない視点で防衛産業にアプローチしました。「モノ作りの現場の人間」という視点です。
本著は、モノ作りの現場から真剣に国防を考えるという新たなスタイルを提示し、軍と民をつなぐ場でブラックホールと化していた「防衛産業」の姿・意味を描き出した見事なルポルタージュです。しかもそれだけに留まらない、他に類をみない総合性を持つ初心者向け啓蒙書となっています。知る限り、同種の作品を見たことはありません。
本著最大の特徴は、装備や武器・兵器をゼロから作る「国内の防衛産業の現場」という見えない存在に日を当て、防衛産業を支える大企業から小さい町工場まで幅広く取材していることです。大きなことだけでなく、こういう具体的な底辺部分の実態をどこまで了解しているか。忘れがちなこういう視線に本著は気付かせてくれます。
取材先企業は、「三菱重工」「常盤製作所」「洞菱工機」「エステック」「石井製作所」「明治ゴム化成」「三菱長崎機工」「日本製鋼所」「多摩川精機」「コマツ」「IHIエアロスペース」「旭精機工業」の12社で、それぞれの会社の雰囲気・歴史が、こまやかなタッチで、こなれた文章を通じて表現されてます。
なかでも、各企業の軍需品にまつわる歴史は非常に貴重で、資料的価値があります。
本書最大の秀逸さは、
「多能工」「コスト削減」といった言葉に代表される、ミクロの生産現場からの視線という光の筋が、防衛産業の受益者代表たるわが自衛隊部隊への訪問やコラム二編というプリズムと交叉することで、読み手の視野が「防衛産業とわが軍事技術、わが自衛隊、わがモノ作り、わが軍事、わが国防、わが安保、わが国策との関わり」というマクロな七色に広がることです。そしてそれに成功した点です。
小さなこの本がそこまでできた。実に見事です。
このおかげで、ほとんどの国民がつかめていない
「軍の装備が意味するもの」
「防衛産業の国家における意味合い」
「防衛費削減が防衛産業、ひいてはわが国防に至大なダメージを与えている事実」
といったことを理解できるようになります。
■著者はこの方
桜林美佐さんです。
チャンネル桜の常連さんだったら「いまさら・・・」という感じだと思いますが、ご存知ない方もいらっしゃるので、本著から著者紹介を引用します。
<桜林美佐(さくらばやし・みさ)
昭和45年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。
フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作した後、ジャーナリストに。ニッポン放送「上柳昌彦のお早うGood Day」「ザ・特集」にリポーターとして出演。「フジサンケイビジネスアイ」に「防衛産業のいま」を連載。国防問題などを中心に取材・執筆。著書に『奇跡の船「宗谷」ー昭和を走り続けた海の守り神』『海をひらくー知られざる掃海部隊』(ともに並木書房)、『終らないラブレターー祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」』(PHP研究所)。桜林美佐の国防日記(安全保障問題や自衛隊の話題を中心に更新中)
http://www.geocities.jp/misakura2666 >
国防・軍事・安全保障問題を見る目が非常に斬新で、前々作の『海をひらく』を紹介させていただいたこともあります。
その著作の特質は「斬新な切り口」「徹底した取材」「こまやかな視線」という言葉で表現できると思います。
別の面から見れば、自分が学んだこと、知ったことを読者と分かち合おうとする「母性あふれる素直で豊かな姿勢」です。
著者の記す言葉からは、国防・軍事・安保の世界でわが国を現場で必死に支えている人たちに対する深い敬意と温かい視線と無限の信頼を覚えます。だから健康です。
読んでいてほっとします。本著もそうです。
あとがきの、225ページ2行目からはじまることばは、そんな著者でなければ書けない誠実な言葉と感じます。私も同意です。
■防衛産業からの企業の撤退
防衛費削減が続き、国内産業が撤退しつつある防衛産業界の現状紹介が本著の重要な柱です。非常に重要です。(次期主力戦闘機選定が遅れに遅れている戦闘機分野では、しびれを切らした二十社がすでに防衛産業から撤退したそうです)
たとえば住友電気工業は「防衛関連の事業は高度な技術力が必要とされながら、成長性に乏しく、限られた人材や生産設備は民間用に振り向けられるべき」(広報)との経営判断から防衛事業から手を引いてます。(P22)
平成二十一年に発生した富士重工の防衛省提訴も衝撃的な事件でした。
話は違うかもしれませんが、気になったことが一つありました。
三菱重工は平成二十二年七月、神戸造船所の民需生産から撤退し、防衛事業のみ継続する決定を下しました。本著を通じておぼろげながらわかったのが、この撤退は、毎年行われていた潜水艦更新が平成二十一年度に行われなかったことと関係しているのではないか?と思われることです。
<二十二年度の概算要求に予算は計上されたが、いずれが受注しても、逃した方は「三年間受注できなくなる」そのため、技術者維持が極めて困難となる。>(P22)
わが潜水艦は三菱神戸、川重神戸が生産し、一年おきに受注しています。
以前もお伝えしましたが、潜水艦の製造技術全般はその国が持つ技術力を図るひとつの物差しといえる高度なもので、中途半端な国では製造できません。
民需の受注が極度に少なくなったから業態を変更する、というのならそれでいいのですが、私の推測が的を射ているとすれば、三菱重工首脳陣は、防衛技術継承のため、経営上ギリギリの決断を下したと推察されます。誠に立派な報国精神です。
これは三菱のみならず川重も同じような状況でしょうし、防衛費削減が続く中、防衛産業界では、将棋倒し的に同種の危機が起きていると見たほうがいいようです。
わが装備調達を代表する言葉として挙げられるのが「多品種少量生産」で、「とにかく発注量が少ない」ことが、防衛産業最大のネックになっているとされますが、どうもそういう言葉だけでは済まされないレベルに防衛産業は至っているようです。
こういう状況に喜んでいるのが誰かは、容易に想像できますよね。
報道される種々の企業ニュース単体では、意味するところがよく理解できないものです。しかし本著を通じ、防衛費削減がつづく現実が防衛産業に与えているボディブローの影響がわかると、見えてくるものはかなり違ってくるように思います。
■読んでほしい武器輸出三原則のところ
武器輸出三原則の緩和に対する防衛産業の姿勢は、実に興味深いです。
わが国の現状は「世界との競争に太刀打ちできない」状況にすでにあり、下手に緩和したら「海外の軍需産業に呑み込まれるだけ」になりかねないということです。
ただ21世紀の主流になる「多国間共同開発」のためには緩和が不可欠というスタンスです。
おそらくこの話は、関係者の間では常識だと思います。
でも、一般国民レベルまで下りてきたのは今回が初めてではないでしょうか。
また、P141からのコラムでは、わが国軍需産業は海外兵器市場でもまれた経験がなく、開発面も自衛隊のみに限られており、政府にも武器輸出を外交手段として活用する発想はないという環境があることから、<狡猾な外交戦略なしに参入できるほど武器輸出は甘くない>と記されてい
ます。その後に記されている韓国の武器輸出戦略も、非常に興味深い内容です。
■圧巻は「まとめ」
極端な話をすれば、この「まとめ」を読むだけでも十分といえます。
それほど秀逸な「防衛産業をめぐる問題点整理」であり、「軍需品調達入門」であり、「調達をめぐる現状の問題点のまとめ・提言」です。
版元さんに伺いましたところ、「フジサンケイ・ビジネスアイ」で今年四月から連載された「防衛産業のいま」を書くに当たって、集中して取材・勉強された結果ということがわかりました。桜林さんご自身の手になる内容ということです。非常に驚いています。
■最後に
「国内における軍需品の生産基盤維持」は、わが安全保障と直結しています。
装備や武器を輸入するばかりでは、防衛産業は国内で発展しません。
その結果、国内産業力は低下し、現在ある生産ラインや技術者の維持が極めて困難となり、国産装備品は製造できなくなるのです。一度失った技術は二度と取り戻すことができません。重要なのは、将来の後輩たちが「やりたい」「やる必要が出てきた」ときにはもう遅いということです。
これこそが、防衛産業を理解するキモです。多くを外国から輸入することで「わが防衛産業」を弱くする方向は、先達からの軍事技術の伝承を絶やし「わがモノ作り能力を自ら削り」「わが国防・安保を危うくする行為」だということに、本著は痛いほど気付かせてくれます。
現場への取材を通じてよく伝わってきたのが、いま、軍需品を製造しているわが企業は、民間企業の生命線「儲けること」というより「わが国防を支える使命感」で技術・ノウハウの維持を行っている姿勢です。
防衛産業関係者から出てくるのは「お国のため」という趣旨の言葉ばかり。
本当に感激します。なかでも私は、石井製作所社長の言葉に感激しました。
<「いろいろ苦労はありますが、どうしても投げ出すことはできません」>(P78)
お国のためにがんばっているこういう人々の使命感に依存するばかりの現状のままでいいのでしょうか? 国家国民総てが「依存症」でいいのでしょうか?強くそう思います。
われわれの目に見えないところ、耳に聞こえないところにホンモノの日本がある。
綿密な取材を通じ、そのことを改めて思い起こさせてくれた著者に感謝します。
あなたにもぜひ読んでほしいです。
「徹底的な取材で得た事実」が「圧倒的な迫力」をもって「防衛産業・軍装備の意味にまるで素人のわれわれに、ひたりと訴えかけてくる」本です。
そのうえ、日本人であることを誇りに思える「感動」までくれます。
戦車は単なる戦いの道具ではなく、地上戦で唯一「抑止力」を保有する装備であり、現場のわが隊員を護るために必要不可欠な存在。といった具体的な軍事理解に資する記述がワンサカあるのもうれしいです。
心からオススメします。
本日紹介した本は
『誰も語らなかった防衛産業』
著:桜林美佐
発行:並木書房
発行日:2010/8/10
http://tinyurl.com/2arusjm
でした。
(エンリケ)
追伸
残念ながら「フジサンケイ・ビジネスアイ」の連載「防衛産業はいま」は終ってしまいましたが、この連載企画の価値は非常に大きいものがあります。
スクラップしてた人も多かったのではないでしょうか?ぜひこの続きを読みたいです。
もっともっと多くの企業を取材して、防衛産業の実際を広く国民に伝えてほしいと思います。そして本著の続編を作ってほしいです。
■もくじ
はじめに
第1章 国防を支える企業が減っている
富士重工VS防衛省の衝撃
迷走する次期主力戦闘機がもたらす危機
国産の装備品を製造できなくなる・・・
第2章 国家と運命をともに
国産戦車製作の草分け・・・三菱重工
「どこまでも国家と運命をともにせよ」
ラインに乗る90式戦車は年間8両
製品への愛情なしにはできない仕事
「戦車不要論」を選んだカナダでは
実は”人にやさしい”戦車
第3章 戦車乗りは何でも自分でやる
戦車射撃競技会でわかったこと
戦車乗りと馬乗りはそっくり
戦車のこれからを考える
第4章 戦車製造の最前線
節約しても「物作り」の矜持は失わない・・・常盤製作所
新戦車三両カットの先にあるもの・・・洞菱工機
職人集めはバンド作りと同じ・・・エステック社
腕のいい職人は一度切ったら集められない
職人としての矜持
昭和の香りそのままの木造事務所・・・石井製作所
製品検査は担当者しだい
必要なのは「鉄と戦う」気概
「どうしても投げ出せない」
【コラム】自衛隊の装備品開発の流れ
第5章 武器輸出三原則の見直し
欧米との共同開発ができない
「武器輸出三原則」が生まれた背景
三木内閣でさらに後退
堀田ハガネ事件
平和維持と武器輸出
第6章 日本を守る「盾」作り
ゴム製造は国策の重大テーマ・・・明治ゴム化成
社の宝物はゴムの「レシピ」
「儲けなくていい。だが開発できない会社はだめだ」
日銀のマットが語るもの
「日本の一大事、なんとかしましょう」・・・三菱長崎機工
宿命ともいうべき職務に踏みとどまる
人を、国を守る「盾」作り
第7章 富士学校と武器学校
火砲そして砲兵の現場へ・・・富士学校
「助け合わなければ強くなれない」
戦いに勝つのは火力があればこそ
火砲の威力が再評価されている
国防費は国民財産として残るもの
データ解析で約三十億円の削減に
予科練の地に立つ武器学校・・・武器学校
戦友のために槍先を研ぎ、整える
第8章 刀鍛冶のいる工場
「プレスは餅をこねるように」・・・日本製鋼所
海外メーカーを抜いた砲製造技術
DNAが戦後生まれとは違う
【コラム】世界の武器輸出戦略
コンビニの市場より小さい日本の防衛産業
外交ツールとしての武器輸出
これが「韓流」防衛産業政策だ
第9章 女性が支える「匠の技」
ジャイロ・コンパスの国産化を目指して・・・多摩川精機
創業以来「男女同一賃金、同一労働」
敗戦、そして再開の道へ
ロケットからハイブリッドカーまで
開発力は最大の抑止力
第10章 日本の技術者をどう守るか
特車から弾薬まで・・・コマツ
百%官需企業の苦悩・・・IHIエアロスペース
宇宙開発も「仕分け」でストップ
ライセンス国産の苦労
防衛省でも宇宙開発への取り組みが始まったが・・・・
第11章 国内唯一の小口径弾薬メーカー
何度も社名が変わった旭精機工業
弾が作れない!
NATO弾研究から国内唯一のメーカーに
海外製の製造機を通して学んだもの
弾薬は均一性が命
「いい弾ですね」と部隊で言われた時が一番嬉しい
まとめ 防衛装備品調達の諸問題
装備品国産化の方針
国内防衛生産・技術基盤の特徴
スピンオフとスピンオン
国内防衛生産のいま
調達の形態
調達の仕組み・問題点
装備品調達のプロが育たない
日本の国情に合わせた装備
国際活動への対応
厳しい審査
インセンティブの採用
米国の調達改革
わが国の調達と今後の方向性
ライフサイクルコスト(LCC)
コスト抑制のために
短期集中調達
初期投資を「初度費」として計上
海外防衛産業の業界再編
日本の防衛産業再編
輸入は安い?高い?
オフセット取引
各国のオフセット取引体制
国際共同開発
商社の存在
まとめ
おわりに
本日紹介した本は
『誰も語らなかった防衛産業』
著:桜林美佐
発行:並木書房
発行日:2010/8/10
http://tinyurl.com/2arusjm
でした。
◎本の紹介:『誰も語らなかった防衛産業』
は次の内容でお届けしました。
■徹底的な取材が生んだ初めての入門書
■著者はこの方
■防衛産業からの企業の撤退
■読んでほしい武器輸出三原則のところ
■圧巻は「まとめ」
■最後に

こちらです