なぜ日本人はフランス語が喋れないのか?―外人部隊の真実(4)  元上級伍長 合田洋樹


はじめに
 今回は、なぜ日本人部隊兵はフランス語がなかなか上達しないのか、
その理由を考えてみます。最近の日本人部隊兵のフランス語上達は、
私の先輩たちと比べると遅い気がするからです。
 信じられないかもしれませんが、勤続5年になっても会話がまったく
できない日本人部隊兵もいるのです。彼らは在隊中、語学力向上
のための努力をまったくしなかったのでしょう。それでも何とかなって
しまうのが、外人部隊なのです。
 外人部隊ではフランス語をほとんど話せず、また理解できなくても、
一度入隊してしまえば、最初の1任期(5年)であれば、よほどのヘマ
をしないかぎり追い出されることはありません。それは外人部隊側
の理念として、「ケピ・ブラン(白いケピ帽、外人部隊兵の象徴)を
一度かぶった者は、同じ家族の一員である」。これが根底にあるから
でしょう。だから入隊させ、ケピ・ブランをかぶった者を部隊は守ろう
とするのです。言葉ができない、体力がないなど、そのような理由
で部隊兵を追い出すことはありません。
 残念なことにこの外人部隊の「優しさ」が、一部の怠惰な部隊兵を
生む原因になっています。「仕事をサボっても除隊させられない」
と開き直ってしまうのです。
▼なぜ日本人はフランス語が喋れないのか?
「フランス語さえ話せれば……」。いったい何人の日本人がこのぼやき
を漏らしているだろう? 部隊に入隊する日本人が最も苦労すること、
それはフランス語の習得だ。会話力や理解力が劣っていると、
まわりから容赦なくバカにされる。それが大きなストレスとなり、
日本人部隊兵の脱走につながっている。
 私の先輩たちと比べると、最近入隊してくる日本人のフランス語上達
は遅く感じる。原因を考えると、先輩たちがいたころは「容赦のない鉄拳
制裁」が残っていた。命令が理解できずにミスすれば、頭を思いっきり
はたかれた。そのたびに殴られていたのではたまらないと、必死に
フランス語を覚えようとしたのだろう。ヒトは危機的状況に追い込まれないと、
甘えてしまってなかなか本気にならないものだ。
 今では鉄拳制裁は御法度だ。そのため口で罵詈雑言を浴びせられるが、
殴られることは稀だ。口で言われるだけだと、腹は立つが、恐怖心は
生まれない。だから必死になれずになかなかフランス語が上達しない
のではないだろうか。
 ただ面白いことに日本人ほどフランス語を勉強している部隊兵はいない。
私がまだ戦闘中隊にいたころ、35人ほどの小隊に19カ国の部隊兵が
いたが、フランス語を勉強していたのは私と韓国人だけだ。ほかの者が
勉強しているのをほとんど見たことがない。暇つぶしにフランス語の雑誌
を読んでいた(見ていた?)くらいだ。
 日本人はそれなりに文法の勉強をしているから、基礎的なフランス語
はいちおう書けるが、会話力と理解力がきわめて低い。逆に他国の
部隊兵は文法の勉強をしてないから、フランス語を書くことは苦手だ。
簡単な単語の綴りも間違うし、動詞の活用となるともうお手上げだ。
しかし会話力と理解力は非常に高い。
 たまにフランス語のテストが行なわれると、たいていの日本人部隊兵
は他国の部隊兵より筆記テストの成績がよい。だからテストを担当する
小隊長は「この日本人はオレの話すことは理解できないのに、
なぜほかの連中よりフランス語が書けるんだ?」と首を傾げることになる。
 仲のよいポーランド人から「おいゴーダ、『今日』ってフランス語で
どう書くんだっけ?」と聞かれたことがある。彼は勤続20年を超えており、
とうの昔にフランスに帰化している。そこで「マジかよ、お前フランス人
じゃなかったっけ?」と皮肉ったら、「Oh ta gueule !(うるせーな!)、
Espèce d’enfoiré !(ボケ!)、vas te faire foutre !(お前、うぜーんだよ!)」
と、完璧な発音と文法で罵倒されたのであった。
(つづく)
(ごうだ・ひろき)
【著者紹介】
合田洋樹(ごうだ・ひろき)
1978年神奈川県生まれ。都内の高校卒業後18歳で渡仏。
1997年フランス外人部隊に入隊。計17年半勤務し2014年11月除隊。
最終階級は上級伍長。在隊中は主に第2外人落下傘連隊に在隊し、
ジブチの第13外人准旅団にも計3年在隊。長い在隊期間中の約11年間
を後方支援中隊にて事務員として勤め、そのうちの5年半を警務課で
勤務。外人部隊を深く理解するうえでこの部署での経験が非常に役立つ。
『外人部隊125の真実』を近く出版予定。ほかに第2外人落下傘連隊に
ついての電子書籍版を執筆中。
《長期派遣歴》
1997年01998年ジブチ、2009年02011年ジブチ
《短期派遣歴》
1999年ボスニア、2000年ガボン、2001年ジブチ、2002年ギアナ、
2004年ジブチ、2006年ジブチ、2010年カタール、2011年ウガンダ