外人部隊の老人ホーム「ピュルビエ」ーー外人部隊の真実(最終回)  元上級伍長 合田洋樹

2019年2月6日


 計12回にわたって私のメルマガにお付き合いいただき、本当に
ありがとうございました。このメルマガや拙著『外人部隊125の真実』
によって、少しでも「フランス外人部隊」のイメージが良い方に変わり、
私たち部隊兵のことを理解していただければ幸いです。
 また、どこかでお目にかかる機会があれば、「メルマガ読んだよ」
「本読んだよ」と声をかけていただければと思います。
 さて、最終回は外人部隊が運営する元部隊兵のための老人ホーム
「ピュルビエ(養護院)」について書きます。この施設があるからこそ、
外人部隊は完全に自己完結型の軍隊と言えるのです。
 仮に最年少の17歳半で入隊し、1任期の5年で除隊したとしても、
本人が望めば死ぬまで「ピュルビエ」で暮らすことができるのです。
このような施設は世界中を見ても、私の知る限り、フランス外人部隊
以外に存在しません。
 ここには、除隊後に民間での生活に馴染めなかった者、在隊中
または除隊後のケガや病気が原因で働けなくなった者、家族をなくし
天涯孤独の身になった元部隊兵などが暮らしています。
 1人の入居者を養うために、毎月約1000ユーロ(13万5千円)ほど
がかかるそうですが、もちろんこの額を支払える入居者はほとんど
いません。でも問題はありません、「ピュルビエ」ではワインやオリーブ、
また各種の外人部隊記念グッズを作っており、これらの作業に従事する
ことで賃金が発生するからです。賃金の85パーセントを施設に納め、
残りは自身の小遣いになります。
 外人部隊は名誉と忠誠のもとに勤務した部隊兵のことを、除隊後
も見放さないのです。もちろん在隊中、しっかりと勤務したことが絶対条件
ですが。
 仮に「ピュルビエ」が何かしらの理由で閉鎖されることになれば、
それは外人部隊が最も大事にしている「Solidalité (連帯、団結)」が
失われることを意味します。だから現役や元部隊兵は、「ピュルビエ」を
大切に守っていかなくてはなりません。そうすることが、我々にとっての
将来に対する保険にもつながるからです。
「もし人生に行き詰まったらピュルビエがあるさ!」。この思いがあれば、
長い人生で苦境に立たされても、きっと踏ん張ることができるはずです。
すべてを失っても、我々部隊兵には「帰る家」があるのです。
 健康で、希望に燃え、将来の不安のない若い部隊兵にはピンと来ない
かもしれませんが、年齢を重ね、甘くない現実が見えてきた時に、
「ピュルビエ」のありがたさは身に沁みてわかるはずです。
 残念なことに今でも「外人部隊は傭兵で、フランスの捨て駒である」と
言われることがあります。それでは、なぜ外人部隊は、元部隊兵のための
養護院を用意しているのか? なぜ部隊兵にはフランスの社会保障が
適応され、傷痍軍人手当や軍事恩給もあるのでしょうか?
 この連載を読んでくださった読者ならお分かりと思いますが、外人部隊
は傭兵でも、捨て駒でもありません。フランス正規軍としての地位を保証
された軍隊なのです。
▼外人部隊の老人ホーム「ピュルビエ」
 部隊にはIILE(L‘Institution des Invalides de la Légion Étrangère)
と呼ばれる、元部隊兵のための「養護院」がある。
 フランス語の「Invalide」は日本語に直すと「廃兵院」。廃兵院とは、過去
の戦争で負傷し、二度と戦闘に従事できなくなった兵士や一般社会での就労
がむずかしい兵士を保護する施設のことだ。
 私はこの「廃兵」という言葉が好きになれないので、本書では「養護院」としたい。
 この養護院は、第一次インドシナ戦争中の最大の激戦「ディエン・ビエン・フー
の戦い」が行なわれた1954年に完成し、60年以上の歴史を持つ。
 戦闘で負傷した部隊兵に休養をとらせる施設はすでにあったが、激しい
戦闘が続いたインドシナ戦争では、それまで以上に多くの戦死傷者を出した。
 外国人でありながら部隊とフランスに忠誠を誓って戦い、負傷し、
時に命までなくした。社会復帰が困難な戦傷者のために、永続的な養護施設
の設立が急務となった。
 1953年、フランス政府は、南仏のエクス・アン・プロヴァンスに近い
ピュルビエ村の外れの200ヘクタール(現在は230ヘクタールに拡張)の
広大な領地を買い上げ、部隊に引き渡した。部隊はここを「ダンジュー大尉
の領地(Domaine Capitaine Danjou)」と名づけた。ダンジュー大尉は
カメロンの戦いの英雄だ。
 この養護院を部隊兵は「ピュルビエ」、または「部隊兵の老人ホーム」と
呼んでいる。サント・ヴィクトワール山の裾野に広がる広大な敷地内には、
現在100人ほどの元部隊兵が暮らしている。
 責任者である中佐の下で15人ほどの現役部隊兵と、26人の民間人
(大半が元部隊兵)がスタッフとして働いている。
 彼らは入居者が不自由なく暮らせるためのサービスを提供し、入居者
が望めば、就職の斡旋など、社会復帰の手伝いもする。
 病気で身寄りのない元部隊兵が、治療と療養を兼ねて養護院を訪れる
こともある。回復したら施設を出て、一般社会に戻ってそれまで通りの生活
を送る。
 もし将来、私が大病して恩給だけでは暮らせないと思ったら、この養護院
で養生できるし、ここで一生を終えることもできるのだ。
(おわり)
(ごうだ・ひろき)
【著者紹介】
合田洋樹(ごうだ・ひろき)
1978年神奈川県生まれ。都内の高校卒業後18歳で渡仏。
1997年フランス外人部隊に入隊。計17年半勤務し2014年11月除隊。
最終階級は上級伍長。在隊中は主に第2外人落下傘連隊に在隊し、
ジブチの第13外人准旅団にも計3年在隊。長い在隊期間中の約11年間
を後方支援中隊にて事務員として勤め、そのうちの5年半を警務課で
勤務。外人部隊を深く理解するうえでこの部署での経験が非常に役立つ。
『外人部隊125の真実』を近く出版予定(*)。ほかに第2外人落下傘連隊に
ついての電子書籍版を執筆中。
(*)http://okigunnji.com/url/77/
《長期派遣歴》
1997年01998年ジブチ、2009年02011年ジブチ
《短期派遣歴》
1999年ボスニア、2000年ガボン、2001年ジブチ、2002年ギアナ、
2004年ジブチ、2006年ジブチ、2010年カタール、2011年ウガンダ