地下鉄サリン事件と自衛隊(上九一色村編) 日の丸父さん(3)石原ヒロアキ

2019年2月6日

きょうの漫画はこちらからどうぞ

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はじめに

今年で地下鉄サリン事件は21年目を迎えました。
事件は次第に忘れられてきていますが、まだ被害者はじめ当事者
にとっては現在進行形であり、化学テロは今でも脅威です。
事件については多くの本や記録媒体などで知ることはできますが、
自衛隊の「化学職種」がいかに事件全般に貢献したか、
いかに対化学戦の準備を営々と地道に続けてきたかはあまり知られていません。
当然守秘義務があり、語れない部分もあるのですが、
多くの化学科隊員が事件の陰で人知れず努力してきたことはもっと
広く国民に知られてもいいのではないかと思い、今回のエッセイと漫画
を描くことを決心しました。捜査の内容については書けませんが、
当時の雰囲気だけでも感じていただければと思います。
また、「ブラックプリンセス魔鬼」も第6巻が出ました。こちらは日中間の
本格的武力紛争を描いています。とくに対着上陸作戦のシーンは、
将官の同期からも「よく描けている」と好評を得ました。こちらもあわせて
ご覧ください。 http://okigunnji.com/url/50/

地下鉄サリン事件と自衛隊

地下鉄サリン事件は、日本にとってもエポックメイキングな事件でしたが、
我々自衛官、とくに化学職種にとっても衝撃的な事件でした。日本は
核兵器に対しては被爆国で核アレルギーがありますし、化学兵器や
生物兵器にしても旧軍が研究していた(一部は使用したとも言われて
いますが)ということでずっとタブー視されてきました。
しかし、世界にはこれらNBC(今はCBRN:Chemical Biological
Radiological Nuclearと言われています)は普通にありますので、
自衛隊でもその専門知識を持った化学職種が必要なわけです。
もちろん自衛隊の主要な職種ではなく、人数も音楽職種を除いて最小の職種で、
極めてマイナーなため、この事件前までは「自衛隊の中の自衛隊」と自らを
自虐的に呼んでいるくらいでした。
かつては部隊と言っても第101化学防護隊が大宮にあるだけで、
化学の初級幹部は最初、普通科連隊に配置され、主に小銃小隊長として
勤務します。連隊でも「どうせいつかは出ていくんだから」と、普通科の
同期がキャリアアップのためいろいろな学校に入校するのを尻目に、
部隊の即戦力として野外訓練や銃剣道の合宿などに参加させられます。
逆にそれが部隊の実情を理解するうえで大変役に立ったのでよかった
のですが、化学職種だからということでまわりから一種覚めた目で見られて
いたのは事実です。のちに師団に化学防護隊小隊ができ、他職種と協同訓練
ができるようになってもそうでした。
私が平成元年頃、化学防護小隊長の時、ある連隊と協同訓練するように
命ぜられ、連隊本部に行くと「何で来たんだ。訓練の邪魔だから帰れ!」と
言われたことがあります。つまり化学状況が入ると、ほかの訓練がストップ
するのでやめてくれということです。
この状況を一変させたのが1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」でした。
当時、警備隊区の第32普通科連隊が地下鉄駅に派遣されましたが、実際は
化学学校や化学科部隊の隊員が地下鉄駅や車両に入り、駅構内や車両を
除染、検知しました。
上九一色村の強制捜査でも、化学職種の自衛官が警察を支援し、捜査
を成功に導きました。地下鉄の方は、災害派遣の枠組みで自衛隊が主体的
に動いたこともあり、本にもなっていてその活躍はよく知られていますが、
強制捜査は警察の所管であり、その多くは公表されていません。
しかしここでも化学職種の隊員は大変な苦労をしているのです。また家族も一緒です。
今回漫画にしたのはもちろん捜査の内容ではなく、その苦労の一端です。
警察は化学兵器に対してはお手上げでした。当時の防護衣もマスクもすべて
自衛隊が貸与したものです。化学兵器を日ごろから真剣に研究し、訓練して
いたのは自衛隊、それも化学科部隊くらいでした。
強制捜査に参加した化学科隊員は、誰もが「これは日本の危機だ。
我々がここで踏ん張らねばだれがやるんだ」という気持ちで臨み、その使命感
は福島第1原発の災害派遣と同じくらい強かったのです。
このころ、化学科部隊ができ始めていたのは幸いでした。現代戦では化学戦
は過去のものと思われていたのが、イラン・イラク戦争で化学兵器が使用され、
1990~1991年の湾岸戦争でも化学戦の脅威が高いとされ、兵士は当初、
全員防護衣を着て戦闘に参加しました。化学兵器の脅威が世界的に再認識
されるなか、化学兵器禁止条約が締結され発効されることになり、日本でも
化学兵器が注目を浴び始めていたその時だったのです。
湾岸戦争後も化学職種の自衛官が、イラクの化学兵器廃棄監視のため、
国連の要請に基づき2名ごとバクダッドに派遣されてもいます。彼らは昼間50℃
にもなる炎天下で、ゴム製の防護衣、マスクを装着してがんばりました。
このような努力の結果、ようやく化学職種もほかの職種と同じレベルでみられる
ようになったといえます。
オウム真理教事件が終わり、落ち着いたあとでさまざまな教訓事項を
まとめました。とくに警察、消防、自衛隊の連携強化は重要な課題でした。
これ以降、共同訓練が頻繁に行なわれ、組織間の交流もさかんになったのです。
この事件の2カ月前には阪神淡路大震災もありました。ここでも自衛隊は
大活躍をします。1995年は自衛隊にとって大きな転換点になったといっても
いいでしょう。
この大事件は、世界はどう見ていたのでしょう? 次回はこの事件を通じて
見たアメリカについて書きたいと思います。

漫画はこちら


「日の丸父さん(1)」

(つづく)
(いしはら・ひろあき)
【著者紹介】
石原ヒロアキ(ペンネーム)
1958年、宮城県石巻市生まれ。青山学院大学卒業後、陸上自衛隊入隊。
第7化学防護隊長、第101化学防護隊長を歴任。その間地下鉄サリン事件、
福島第1原発災害に出動。2014年退職。学生時代赤塚賞準入選の経験
を活かし、戦争シミュレーション漫画『ブラックプリンセス魔鬼 全10巻』
(電子書籍版)を発売中。『漫画で学ぶサイバー犯罪から身を守る30の
知恵』(ラック サイバー・グリッド・ジャパン・並木書房)の漫画を担当。
家族3人(一女)。本名:米倉宏晃。
『ブラックプリンセス魔鬼』
http://okigunnji.com/url/50/
『漫画で学ぶサイバー犯罪から身を守る30の知恵』
http://okigunnji.com/url/17/