軍隊でも腕力がものを言う——外人部隊の真実(3) 合田洋樹


□はじめに
 今回は、ほかの軍隊と同様、外人部隊でも最終的には
「腕力が物を言う」ということについて書きます。
外人部隊では、体格がよく、腕っ節の強い者は、良い意味
でも悪い意味でも一目置かれる存在となっています。
 しかし、志願時には格闘技をやっていてもあまり重要視されません。
外人部隊側にとって重要なのは格闘技歴ではなく、
「犯罪歴がないか、また身元確認がしっかりとできるか」だからです。
 もちろんその分野で実績を上げていれば入隊に有利になる
かもしれません。外人部隊には柔道、ボクシング、キックボクシング
といった格闘技クラブがあり、有望だと思われる者は各連隊に
配属されたあと、格闘技クラブに入るよう勧誘されます。
そこで実績を上げればさまざまな大会に出られるチャンスが訪れるでしょう。
 最近では第2外人落下傘連隊の軍曹が、ISKA(国際競技キック
ボクシング協会)のヨーロッパチャンピオンになったり、伍長が
フランス軍のボクシングチームの一員に選ばれ、韓国で行なわれた
ミリタリーワールドゲームズに参加しています。
 当然のことですが、仮に柔道の元金メダリストや、ボクシングの
世界チャンピオンが入隊しても、伍長になるまでは便所掃除などの
雑用はやらなければなりません。外人部隊に志願した段階から、
バックグラウンドの違うすべての入隊者が、同じスタートラインに
立つことになるからです。
 それでは本編に入ります。
▼軍隊では「腕力」がものを言う
 どこの世界でもそうだが、軍隊でも腕力がものを言う。たいていの者
は自分より強い相手には遠慮してしまう。軍隊で暮らすには「強い男」
であるということはかなり重要だ。いくら上官でも、自分よりも明らかに
強い部下であれば多少は気を使う。同じ中隊の仲間ならなおさらだ。
だから日本人部隊兵にはまわりから畏怖されるような存在になってほしい。
 もちろん日常生活で暴力的な行動や態度をとれと言っているのではない。
それでは単なるパワハラで、仲間の恨みを買い、敵を作ることになる。
何か問題に巻き込まれても誰も助けてくれないだろうし、下手をすれば
戦闘中のどさくさで背後から撃たれないとも限らない。
 個人どうしが尊重し合える関係にならなければ、不要な争いごと
が生まれる。それは日本の武道の教えにも反するだろう。
 警務課で一緒に働いていたスロバキア人伍長は、「オレは日本人
は好きだけど、韓国人は嫌いだ」と言っていた。理由を聞いたら、
彼の基礎教育中の同期だった韓国人がテコンドーの有段者
でありながら、非常に暴力的で、気に入らない同期によく暴力を
振るっていたそうだ。
 日本人も含め、外人部隊兵の中には「外人部隊では何をやっても
許される」と勘違いをしている者がいる。誇張された映画や本の影響
かもしれないが、妙に態度が尊大な者がいる。同僚に限らず、
民間人に対しても同様な態度をとる。それが残念でならない。
民間人に嫌われては、部隊の存続にも関わる。
 ここで言う「畏怖される存在」とは、単に暴力的で、恐怖心を与える
威圧的な輩ではない。謙虚ながらも、やる時はやるという心構えを、
自然と見せられる者だ。そしてその強さゆえに周囲に気を配ること
ができる部隊兵である。
 落下傘連隊にいる日本人部隊兵の中には、格闘技をやっていた者
が数人いるが、みんな度胸が座っており、同僚からも一目置かれている。
 勤続4年半の北村伍長は、私と同年齢で、人生経験豊富な男だ。
サラリーマン経験があるからか、人あたりがとてもよく、誰からも
好かれるタイプだ。軍人でありながら、民間人気質も備えていて、
しかもムエタイをやっていたので、肉体的にも精神的にも強く、
まわりからも高く評価されている。
 しかし、なかには「お前が格闘技をやっていようがそんなことは
どうでもいい。オレにはこれがあるからな」と不敵な笑いとともに
巨大なつるはしの柄(え)を持ち出してくる古参の下士官もいる。
つるはしの柄は、過去に部隊内で「罰」を与えるためによく使われた
ものだ。
(つづく)
(ごうだ・ひろき)
【著者紹介】
合田洋樹(ごうだ・ひろき)
1978年神奈川県生まれ。都内の高校卒業後18歳で渡仏。
1997年フランス外人部隊に入隊。計17年半勤務し2014年11月除隊。
最終階級は上級伍長。在隊中は主に第2外人落下傘連隊に在隊し、
ジブチの第13外人准旅団にも計3年在隊。長い在隊期間中の約11年間
を後方支援中隊にて事務員として勤め、そのうちの5年半を警務課で
勤務。外人部隊を深く理解するうえでこの部署での経験が非常に役立つ。
『外人部隊125の真実』を近く出版予定。ほかに第2外人落下傘連隊に
ついての電子書籍版を執筆中。
《長期派遣歴》
1997年01998年ジブチ、2009年02011年ジブチ
《短期派遣歴》
1999年ボスニア、2000年ガボン、2001年ジブチ、2002年ギアナ、
2004年ジブチ、2006年ジブチ、2010年カタール、2011年ウガンダ